◎永遠の旅に出る(老子狂言)
『永遠の旅に出る
あらゆるものが
そのままで
絶対なのだ。
だから
あらゆるものは
夢として
相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声が
エメラルドの海と
完き解放の
太陽を誘そう。
バランスがパラノイアであれば
パラノイアは
この上ない甘美なバランス。
もっとも弱き者は
かみとなって
この地をつぐ。
複雑で不安な頭脳は
この上ないシンプル。
とうとう
私は
神になった。
あなたが神であれば
どうして
私が神でないことがありえよう。
さあ
すべてが終わった
私達は
今
永遠の旅に出る。
』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
【あらゆるものが
そのままで
絶対なのだ。
だから
あらゆるものは
夢として
相対し愛し合っている。】
これは、第六身体アートマン、すべてのすべてである神の視点。
【もっとも弱き者は
かみとなって
この地をつぐ。】
キリスト教では、神人合一を認めないので、キリスト者は、ここをどう思うんだろう?
【複雑で不安な頭脳は
この上ないシンプル。
とうとう
私は
神になった。】
人は、迷いと混乱と苦悩の果てに神となる。
【さあ
すべてが終わった
私達は
今
永遠の旅に出る。】
すべてが終わったとは、ニルヴァーナ、大悟覚醒だが、インドではニルヴァーナに至ったら、その後の再誕生はない。日本、中国(今の共産中国のことではない)では、一円相後にも人生という永遠の旅に出る。神あっての人、人あっての神。