◎「過去世と意識の進化」の罠
書物には、人間の書いたものと神の書いたものがある。神の書いたものとは、神を知る人間が時代の移り変わりによっても変わることのない言葉を書いたものである。
その観点からすると、「過去世と意識の進化/ワグナー・アレグレッティ/Voice社」は、人間の書いた書物であるといえる。
『進化上のメリット
多次元的自己認識
わたしたちは、数千年にわたるパズルのピースを集め、組み立てることによって、物質次元を超えた自分の過去の記録を発見し、いつかは、多次元に存在して多数の生を生きてきた自叙伝を書くことができるようになります。
それはつまり、いまのわたしたちが数千年にわたるカリキユラムの成果であり、過去の集大成であることを認識することです。
はるかな昔から今日まで培われ、確立された自分の条件付けや固定観念、洗脳、侵入による汚れ、道徳からの逸脱、抑圧のパターンなどを認識しなければなりません。 したがって、過去世回帰を抜きにして自己認識のレベルを高めることは、不可能です。
意識学によれば、意識の進化の過程において、過去世回帰は避けて通れないものなのです。』
(過去世と意識の進化/ワグナー・アレグレッティ/Voice社P168から引用)
過去世記憶を取り扱う前提として最も問題なのが、人は古い時代から順々に過去世を生きてきて、輪廻転生を繰り返し、現世を生きているという転生観である。
これは、先の記事『必滅の肉体+不死の霊魂セットは、うそっぽい』で指摘した考え方とは正反対の見方になる。つまり現世はリアル、過去世の人生と未来世の人生はドリームであるが、それぞれは同時に並立して存在しているわけではないようだということ。
ワグナー・アレグレッティのように「現世もリアル、過去世もリアル。でもって現世の私は過去世の集大成」と語るとき、もともと現世も過去世も同時並立しないのであれば、集大成なぞありえないことに思い当る。
こうしたワグナー・アレグレッティのような過去世観こそ霊能力者特有のもので、誤りに陥りがちな危険な考え方であると思う。霊能力者の世界観では、ほとんどが「自分と大神・ニルヴァーナとは、絶対に一体化することはない別物である」という考え方をまず出ることがないものであるからである。
こういう見方も「霊がかり」と呼んで注意しておくべきものだろうと思う。