◎私は私自身の中を旅し続けている
(2021-11-28)
ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。
『精神の広大さも
物質宇宙の戯曲も
私には何のかかわりもない
私は私の冥想の旅を続ける
旅は方向をもって続けられるが
その旅は私に理由のない確信を与えても
決してどこかに行き着くことはない
私は私自身の中を旅し続けている』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジP120から引用)
未知の虚空にもともとありもしない手と足とを放ち去ったので、精神の広大さも物質宇宙の精妙にも全く関わりなく生きている。
生と死をフル・コートとした冥想の旅は、『今でない今、ここでないここ』であるが故に、いつまでも終わることはない。その全体を確信してはいるが、今でない今、ここでないここであるから、終着駅にたどり着くことはない。
今でない今、ここでないここは、太乙金華宗旨の逍遥訣の第八句
どこにもない場所こそ真の家である。
(無何有郷は是れ真宅なり)
に通ずる。
単純に個生命であれば、個の死を以って終着点と見そうなものだが、チベット死者の書で示唆されるような、生のある瞬間に、神なる全体、今ここ、或いは『今でない今、ここでないここ』なる死の側の故郷に戻って、その後再び個として別の人生を歩むというようなサイクルを想像する。
『私自身の中を旅している』という時、その私は神なる全体であり、みじめで情けない個人でもある二重性、二重のリアリティ。