◎夢の宇宙はあのようにも戯れる
(2021-11-18 )
ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。
『無限の中には
時間も空間も因果律も存在していない
無限の中に
宇宙の果ては
私の小指の長さにあり
千億光年の天体生命の光茫が
私の肉体の心臓の一鼓動とともに
生まれ来たり滅び去る
熟したリンゴの樹の果実が
地面から枝へと昇る
神の絶対無の中に
夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ
夢の宇宙はあのようにも戯れる』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジP116から引用)
無限という言葉は日常感覚で問題にする人は少ない。その実感が『時間も空間も因果律も存在していない』であって、それを敷衍したのが、宇宙の果ての長さが小指だったり、遠距離の辰星が鼓動とともに生滅するということ。
世界樹は、根を上にして、枝葉、樹冠を下にする。林檎の実が熟していく姿は、根源から生へと進み、やがて根源なる死の世界へと帰って行く様。この辺は集合的無意識におけるビジョンなのだろう。
絶対無という言葉は、哲学者西田幾多郎が多用した。元は無であって、ニルヴァーナ。そこで有は夢であり、夢の夢なる戯れを繰り返す宇宙。