◎サマーディとは神になること
(2021-11-04)
サマーディへの七段階などというと、あたかも三昧というものが、個人的体験の一つであって世間でも共通認識のあるテクニカル・タームであるように誤解されがちである。ところが、サマーディとは、神になること、仏になること、宇宙意識になることであり、七つの身体論でいえば、第六身体と第七身体。つまりサマーディ以前とサマーディ以後には連続性はないのだ。
『ディヤン・スートラ―瞑想の道/OSHO』は、三日間の瞑想初心者向けの冥想合宿での講話。OSHOにしては、飽きないで体系だって説明しているところは珍しい。こういう真面目な語り口の講話は、1970年代や世界逃亡開始以後のウルグアイ以後に多い印象がある。
さて『ディヤン・スートラ―瞑想の道/OSHO』に出てくるOSHOバグワンの説くサマーディへの七段階とは、
1.身体の浄化
2.思考(マインド)の浄化
3.感情の浄化
4.無身体
5.無思考
6.感情からの自由
7.サマーディ
ここでは、テクニック・技法が6までであって、6までと7のサマーディには、体験としての連続性はない。体験する者がいないからである。
7のサマーディは、二度生まれた者とか、エックハルトは自分自身に出会っていたからさみしくないなど、連続性があるかのような説明をしているが、実際はそんなことはない。