アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

新婦の部屋で結ばれる-1 

2022-10-29 16:42:49 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎聖なるものの聖なるもの

 

フィリポによる福音書で、イエスがマグダラのマリアにしばしば口づけするのを見て、あなたは我々弟子のすべてよりもなぜマリアの方を愛すのですかと質問したところ、イエスは、なぜ私は、あなた方をマリアのように愛さないのだろうかと問い返してきた。

 

 

フィリポによる福音書§76では、洗礼が聖なる家であり、「聖なるものの聖なるもの」とは新婦の部屋のことである。さらに洗礼には復活と救済があるが、救済は新婦の部屋の中にある、と新婦の部屋を解説する。

 

さらに§79では、女は、新婦の部屋で夫と結ばれるものであり、新婦の部屋で一つになったものたちはもはや離れることがないだろうが、アダムとエヴァは新婦の部屋でないところで結ばれたから分かれたのだ、と。

 

復活と救済の先にあるので、神を知っていることは勿論のことだが、不可分の両性具有の起きる場が、俗人の想像するような場ではないことを強調して、「新婦の部屋」と言っているように思う。

 

この両性具有のことを花婿と花嫁から成ったものと説明もしているが、それでは却ってわからないのではないだろうか。

古事記でも両性具有の伊都能売について全く解説していないように、準備のできた者だけに語るべきことなのだろう。

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死神死仏から伊都能売

2022-10-29 16:39:22 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎国は富み世人栄ゆる神の代を開かせ玉ふは伊都能売の神

 

古事記に一行だけ神名が書かれてあって、日本書紀には記述のない伊都能売神。

キリスト教では聖霊を非常に広い意味で使っているが、伊都能売神は、あらゆる二元対立を超えた至誠であり、聖霊でもある。

 

古事記に一か所だけ出て来て、しかも神名しか出てこない。この伊都能売神こそは、空であり、本来の自己である。出口王仁三郎は、伊都能売神を殊更に強調したのだが、その意図は汲まれるべきである。

 

古神道は一般に多神教と言われるが、一神教であると出口王仁三郎が断言するアーキテクチャーが、伊都能売である。自らが鎮魂して伊都能売に至るのだ。

 

出口王仁三郎が自らを変性女子と唱えたのもそういう意図。平たく言えば、天照大御神は、高天原の天の真名井での誓約で男神を生み、須佐之男命は女神を生み、これにより、天照大御神は変性男子、須佐之男命は変性女子。この二者の誓約により両性具有の伊都能売が成立した。

 

古神道はともすれば自分自身の悟りとあまり関係のない帰神、チャネリングが主流と思われているが、むしろクンダリーニ・ヨーガ系の鎮魂の方がメインの時代となっている。鎮魂の一つの里程標が伊都能売である。

 

『世の中の百の出来事おしなべて伊都能売の神の守らぬは無し

上下の差別も付けず平等に世を救ひます伊都能売の神

地の上に建てる宗教悉く伊都能売の神守りますかも

 

山川も百も樹草も禽獣も恵みに浴せる伊都能売の神

肉体のなやみは更なりたましいのいたづき癒し玉ふ伊都能売

宗教や政治文学芸術に産業幸ふ伊都能売の神

 

天震ひ地は鳴り響く災厄も只一声に止むる伊都能売

渇きたる教に真清水あたへつつ死神死仏を生かす伊都能売

国は富み世人栄ゆる神の代を開かせ玉ふは伊都能売の神

 

伊都能売の神の出でまし寿ぎてあなたこなたに万年青はやれる

天も地も皆伊都能売のいさほしに安く治まる御代近づきぬ

もろもろの聖の教は多けれど伊都能売教に優れるは無し』

 

(昭和二年 四号 神の国/出口王仁三郎から引用)

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