アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

沈黙の行を動物たちと行う

2023-05-03 06:45:57 | 冥想いろいろ

◎少年スヴェタケトゥの動物との共生

古代インドのウパニシャッドの時代。少年スヴェタケトゥが、悟った師グルクルの許に父親から送り込まれた。
スヴェタケトゥは、ヴェーダの全編など当時あったすべての科学を暗記し、偉大な学者としてその令名はインド全土に聞こえた。彼は師からすべてを学んだと考え、故郷に戻った。

故郷では、威張りくさった歩き方で傲然とあたりを見回すしぐさのスヴェタケトゥを見て、父親が非常にがっかりした。
父親はスヴェタケトゥに「すべての苦しみが消えるのを学ぶ事で学んだかね。すべての苦しみが消えるのを知る事で知ったかね。教われないものは教わったかね。」
(私の愛するインド   和尚/講話  市民出版 P19から引用)

スヴェタケトゥは師の許に立ち戻ると、師は、「師の400の雌牛、雄牛、他の動物を誰もいない深い森に連れて行き、話をせずに1000に増やしなさい」と命じた。これでスヴェタケトゥは、すべての学識を落とすことになった。

スヴェタケトゥは、長年の沈黙の生活で学識を落とし、牛になって、動物を1000に増やして、動物とともに師の許に帰って行った。

OSHOバグワンは、これをスヴェタケトゥは動物たちと共感し、お互いをわかちあったと評価する。

自分の症状を自分で訴えられない乳児、幼児を相手にする小児科の医者や母親、共通言語のない獣医やペットの飼い主も同じようにのっぴきならない沈黙行を強いられる。

スヴェタケトゥは1000頭の動物レベルまで落ちたが、それはしばしば破戒物語に出てくるような人間として恥ずべき行為を行って動物レベルまで落ちるという意味ではない。

万物との共感、一体であると言う直観、実感を得るために、逆行ではあるが、動物たちだけとの共生が修行として行われた。そこで、不可視で言葉で表現できないものが実感された。これが師からの法の伝授。

このエピソードは美しいが、現代では、土地の余裕も動物供給の手当もなかなか容易ではない。
スマホを常時手にする現代人は、すでにスヴェタケトゥ並みの学識は得ている。ただ自室などで冥想に向かうだけだ。

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