◎丁稚が池の鯉を欲しがる
天龍寺の峩山和尚が、池のほとりを散歩していたところ、丁稚らしき者が来て、「和尚さん、池の鯉をくれないか」という。
峩山和尚「この池の魚は取ってはならんぞ。」
丁稚「そんなことを言って、お前が取るのではないかな。」
峩山和尚「・・・・・」
峩山和尚もこの返答には困った。和尚、後に弟子に謂うには「何と言っても無我には勝てない。」
(出典:仰臥漫録/正岡子規/明治34年9月26日の条)
無我を湛えて生きているのは、三歳頃から小学校1~2年くらいまで。それまでの間に社会的訓練という名の社会からの抑圧はないではないが、まだ和尚をギャフンと言わせる程度の本来の自己の輝きはある。この年代の子供の発言にわが身が恥ずかしくなったことは誰にでもあるのではないだろうか。
この年代は社会的訓練は足りておらず、頑是ないものだが、本来の自己を生きる師僧には、本来の自己の輝きの方がずしんと来る。