アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

意識の光る上着

2023-05-08 18:31:47 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎利己的な世界観

(2008-10-23)

 

ドン・ファン・マトゥスによれば、内的沈黙こそが、呪術のすべてが生じる立脚点である。そして内的沈黙は段々集められて蓄積されていく。

 

つまり内的沈黙、想念停止の先にあらゆる超能力、神通力があるとする。こうした超能力は現代人には失われてしまったが、それを失わしめたのはある外部の力であったとする。

 

その外部の力の正体については、その文脈の中でははぐらかして、明確には語っていないが、「捕食者」というあの世の生き物であるように思われる。

 

捕食者は、誰もが子供の頃に目撃している。大きな黒い泥のような影が、素早く空中を飛び回り、そして、地面へばたりと落ちる。

 

ドン・ファン・マトゥスによれば、幼児期の人間は、エネルギーの繭にきつくかぶせたプラスチックのおおいみたいな、意識の光る上着で覆われている。この上着は成長するにつれて、捕食者によって徐々に食べられて減って行き、成人する頃には、地面から足指の上までのわずかな部分しか残っていない。

 

このわずかな部分こそが、内省の中心であり、人間にわずかに残された意識の部分である。捕食者は、成功や失敗への希望や期待や夢を仕組んでその意識の炎を燃え上がらせることによって、その人間の意識のエネルギーを食べ続けるのである。

 

呪術者は修練によって、捕食者を遠ざける。その間に意識の光る上着は樹木のように成長を続け、童子の時と同様の完全な状態にもどる。

 

想念停止が捕食者を遠ざけるのであり、捕食者こそが自分勝手な世界観の根源なのだ。

(参考:無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房)

 

ここの部分は超能力のところに力点があるのではなく、

人間にとって唯一の真実は、いつか自分は必ず死ぬということ。そしてその世界観とそこから来る謙虚な姿勢に立った、自我のくびきを克服した生き方の方に力点がある。これを無視するとブラック・マジックの方に進んでしまうことになるのだと思う。

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不連続な意識のスペクトル

2023-05-08 17:10:51 | 【アートマン】【ザ・ジャンプ・アウト-10】neo

◎ケン・ウィルバーの意識のスペクトル

(2014-12-15)

 

ケン・ウィルバーは、見たところ只管打坐系冥想による見性体験のある覚者。アートマン・プロジェクトという著書のP218にあるように、未だアートマンの残る十牛図第七図レベルでの世界の統合をテーマに活躍しているように見える。

 

そしてスタニスラフ・グロフなどのトランス・パーソナル心理学などの古今東西の多くの学者、聖者の見解を取り入れて、意識だけではなく、現象全体の統合、マッピングを図ろうとしている。ケン・ウィルバーにおいても、悟りは意識の深化の延長線上にあるという考え方である。(ただし彼は、宗教によっては、狙いどころが必ずしもアートマンであるとは限らないということも云っている。現世利益を求める宗教は、表向きはアートマンを標榜していることになっているかも知れないが、その実はそうではあるまい。)

 

そうしたケン・ウィルバーには、定番の意識のスペクトル説がある。これは意識レベルをいくつかに大分割するものであるが、内訳のカテゴリーには更に詳細なものもある。また分割数にもいくつかのバリエーションがあるが、ここでは、近著「インテグラル・スピリチュアリティ」(春秋社)のヴェーダンタなどを参考にした意識の5段階説を挙げてみる。

 

1.粗大な覚醒の状態

自転車に乗ったり、このページを読んだり、身体運動を行ったりしているときの状態。

 

2.微細な夢見の状態

鮮明な夢、鮮明な白昼夢、視覚化の訓練、あるタイプの形のある瞑想

 

3.元因-無形の状態

深い夢のない眠り、広大な「開け」ないしは「空」の体験

 

4.目撃者の状態

これは他のすべての状態を目撃する能力である。たとえば覚醒状態にあっても、明晰夢の状態でも、目撃者はそれを目撃する。

 

5.常に現前する非二元的意識

これは状態というよりは、他のすべての状態に対して常に現前する基底(グラウンド)である。そしてそのようなものとして経験される。

 

ヴェーダーンタもヴァジラヤーナ(金剛乗)も、これらすべての状態(そして、それに対応する身体ないし存在領域)は、「貴重な人体」のおかげで、あらゆる人間に獲得可能であるとしている。この意味するところは、これらの主要な存在と意識の状態は、発達のいかなる段階であっても、程度の差こそあれ、すべての人に獲得可能なのである。それには、幼児も含まれる。幼児もまた覚醒し、夢を見、眠るからである。』

〈「インテグラル・スピリチュアリティ/ケン・ウィルバー」(春秋社)P112から引用〉

 

ケン・ウィルバーは、「3.元因-無形の状態」から先がアートマン以上だと見ている。

 

ケン・ウィルバーはこの全レベルを1人称の体験として確認したと述べているので、見性したことで相違あるまい。

 

ケン・ウィルバーは、アートマン・プロジェクトにおいて、ニルビカルパ・サマディー、十牛図第八図人牛倶忘を、「3.元因-無形の状態」と「4.目撃者の状態」にカテゴライズしている(P162)。つまりケン・ウィルバーは、人牛倶忘は、一つの通過点として見ているのである。

 

ニルビカルパ・サマディー=十牛図第八図人牛倶忘を過ぎると、次は目撃者と目撃されるものが同一となり、全世界は、発現するものより完全に上位にあって先行しているが、全世界のどの部分も、そこから現れ出る個々の事物以外の何ものでもないとする。要するに個々が全世界と同一になって現れ出でる。これを以って彼は十牛図第十図だとする

 

 

またこの5段階は、悟っていない人間から見れば、2と3の間が不連続に見えるが、覚者からみれば、5段階連続している。ケン・ウィルバーは、これを承知しているが、そのことをあまり問題にしないという態度である。

 

ケン・ウィルバーは「社会全体の自己感覚の平均的あり方」をテーマにしてはいるが、覚者側に立っているがゆえに、その不連続を殊更に強調する必要を認めないというところだろうか。あるいは「社会全体の自己感覚の平均的あり方」からすれば、微細な夢見の状態以下は一顧だにする価値のないものとされるか、存在していないものとされているという現実を踏まえた方針なのだろうとは思う。

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あなたの星

2023-05-08 16:50:30 | 占星術  (冥想法6)neo

◎ゾディアックの秘密

(2010-03-26)

 

占星術師は、十二宮(ゾディアック)を人体の各部に当てるが、その人体とは肉体のことではないだろう。輪廻転生で子宮を選ぶ立ち位置は、おそらくはゾディアック以前の遥かに微細なボディのことである。

 

以下のギリシア哲学者の説明では、七つの惑星がゾディアックの各宮の15度に配当されているので、「神の七つの属性」がボディに配当されていることを見る。よってゾディアックのある位置はメンタル体のことなのだろうと推理される。

 

注目すべきは、上昇宮であって、それがかに座に配当されているので、上昇宮とは肉体または肉体に近い部分であって、それは他の数ある要素の一つにすぎない。つまりもともとの占星術の世界観ではこの世的な幸福、この世的な願望の実現は、人間の人生の数多くあるファクターの極く一部でしかないということを意味しているように思う。

 

『ピュタゴラス派はいわゆる魂の輪廻転生説を広めたという点で不当に批判されている。この観念は秘伝を受けていない者に伝わった場合には、神聖な真実を覆い隠す目的でしかない。ギリシアの神秘家は、人間の霊性は「銀河」--魂の苗床--から巨大な黄道帯の十二の門を通って物質的世界に下降してくると信じていた。

 

従って霊性はゾディアックの十二星座を表すためにペルシアの星の観察者が創造した象徴的動物の形で表れると言われている。

もし霊が白羊宮で受肉した場合羊の形で生まれるとされた。金牛宮の場合には天上の牡牛の形である。

こうしてあらゆる人類は天上の十二の神秘的な生物によって象徴され、その性質を通してこの物質的世界に生まれ変わることができるのである。

 

転生説は、人類の可視的な物質的肉体に適応するものではない。むしろ不可視の非物質的な霊にこそあてはまるのである。この霊は星の軌道に沿って遍歴し、それゆえ進化の過程を通して神聖なゾディアックの動物の形をとっているのである。

 

ユリウス・フィルミクス・マテルヌス著『マテーシス』の第三巻には低次世界が創造されたときの天体の位置について次のような要約をのせている。「アレクレピオスやアヌピウスは神メルクリウスが特に占星学の秘密を伝えた人物であるが、彼らによれば天地創造は次の通りであった。

 

太陽は獅子宮の十五度。月は巨蟹宮の十五度。土星は磨羯宮の十五度。木星は人馬宮の十五度。火星は天蠍宮の十五度。金星は天秤度宮の十五度。上昇宮は巨蟹宮の十五度にある。

 

この天地創造にあわせ、従って星辰のこのような状態とこのように天地創造の時期を確定した根拠にあわせて、かれらは人間の運命をも上述の配列に従って展開されるという見解を抱いていた。このことはアレクレピオスのミュリオゲネシス(つまり無数の『出生』)と呼ばれる書物から学べることである。人間の出生は上述の世界の出世と調和したときのみ可能である」

 

人間の七つの年代は次の順で惑星の支配下にある。幼児期は月、子供時代は木星、青春期は金星、成熟期は太陽、中年期は火星で、壮年期は木星、老年期と死期は土星である。』

(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P263-264から引用)

 

秘伝を受けている者とは、悟った人のことである。人間の出生とは、あらたなミクロコスモスの天地創造なのだから、さる調和がなければ、人は出生してこないということはわかる。だから自分が生まれる子宮を選んでいる「意志」は、自分が思っているような「意志」ではないことがままあるのだろう。

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私たちの初めての体験は神の喪失

2023-05-08 15:14:52 | 究極というものの可能性neo

◎三歳の童子

(2019-10-27)

 

フロイトの弟子にして、ニーチェから求婚されたルー・アンドレアス・ザロメ。

 

彼女の回想録冒頭。『私たちの初めての体験は、特筆すべきことに、神の喪失なのである。』

(ルー・ザロメ回想録 自伝文庫/ルー・アンドレーアス・ザロメ/ミネルヴァ書房P1から引用)

 

今でははっきりとは思い出せないが、確かに3歳の頃は、神と一体であるみたいな、全一性のような、全く問題のない状態にあったようだ。

 

ところが5、6歳になって、何か得体の知れぬ喪失感を、常に全人的に感ずることになって、確かにあの充実感、全能感はあったのだが、どこをどう探してみても見つからないという虚脱を毎度おぼえた。

 

それをルー・アンドレーアス・ザロメは、神の喪失だと言ってのける。

 

子供は子供でも、5、6歳になってしまえば、神なき人間という点では大人と全く変わらない。

 

ダンテス・ダイジも『三歳の童子』の全能感、つまりエデンの園における神と一体であることをアプリオリに感じ、生きていることについてほのめかしているような部分がある。

 

霜を履んで堅氷至る。3歳を過ぎて万人一斉に神を喪失するが、それからの神への再アプローチは各人に任されている。神への喪失に直面するということは自分自身に出会うということであり、堅氷を見つめ打ち破って行くことに取り組むということである。

 

3歳以前の子供が、自分の前世はこれこれで私が誰それの生まれ変わりなどと語ることもあるが、それは神の喪失という決定的な事件に比べれば些細なものだと思う。

 

(出口王仁三郎の随筆玉鏡の再生に以下エピソードがある。

『王仁三郎の長男六合大(くにひろ)の葬儀に当り王仁は遺骸に向つて「大本は男の子は育たぬのであるから、今度は女の子に生れてお出で」と言った。

 

すると、満一年後尚江が生れ、彼女が三歳の時、背負って六合大を祭つてあるところにつれて行くと、突如背中から

 「ここには私を祭ってあるのだ、私は六合大さんの生れ替りじゃ」と叫び出したので、王仁もゾツとした。』)

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五公五民からグルジェフ

2023-05-08 07:18:00 | 時代にFace it

◎金でしか評価しない者に神のことを言ってもしょうがない

 

国民負担率とは国民の所得に占める税金や社会保険料などの負担割合のことで、財務省によれば、令和5年度の国民負担率は、46.8%となる見通しで、今後の消費税増などで、五公五民が現実のものとして見えてきた。

 

金を人間の価値と見がちな現代人にとって、これは自分の価値をさらに政府によって貶められることになるし、労働の対価が半分以上自分の懐に入らないのでは、さすがにお人よしで気前のよい日本人でも勤労意欲は下がるだろう。日本は、実質社会主義と言われて久しいが、国民の貧困化がここまで進み、戦後アメリカに貢ぎODAなどで中国や発展途上国に税金をばらまいてきたが、かえって中国は恫喝を繰り返し、依然としてアメリカの日本への苛斂誅求はやまない。日本外交は失敗なのだろう。

 

五公五民は、江戸時代の徳川吉宗以来と言われるが、つい最近の戦後まもなくの新円切り替えという名の預金封鎖は、実はそれ以上のものだった。

 

日本は非正規労働者が多数を占め、共稼ぎでないと子供二人を大学にやるのもかつかつなほど貧困化が進んだ。

働けどはたらけど なおわがくらし楽にならざり。石川啄木は、放蕩三昧だったが、真面目に勤倹にやっている国民の半数以上がこの状態では、如何ともしがたい。

こうなると政府への信頼は残念ながらますます低下し、与党にも野党にも期待できないということだと、政府の管理を脱しようと考える人が徐々に増えて行くのではないか。

 

さらに今日明日にも、中国の台湾進攻をきっかけに中国が敵国化(在日米軍が対応するので)する日程が見えているという状況もあり、行き詰った日本には何かが起きる潜在パワーが充満していることを感じている人も多いのではないか。

 

グルジェフは、何か質問がある人にまず百ドル払わせた。そのくせ、回答は一言二言。追加で質問があれば、また百ドル。ところがグルジェフは、もらった金を貯めるのではなく、すぐ使ってしまいがちだった。

 

それを見た他の人がグルジェフに何のためにそうしているのかを問うと、グルジェフは、人生のあらゆるものを金でしか評価しない者に、ただで神のことを言っても、それは何の価値もないとした。そういう人たちは、金を払うことなく受け取ったものは価値がないと思っている(出典:神秘の次元/和尚/日本ヴォーグ社P233)。イエスが、金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいということもこれと同じ消息。

 

価値あるものを受け取るには、人は何かを支払わなければならない。悟りなるニルヴァーナを受け取るには、人はすべてを差し出さねばならない。

 

ただし全財産を差し出しても、悟りや天国への入場などかなわないことは、昨今のカルトやスピリチュアル詐欺でおなじみの手口である。また高額な寄付、お布施、会費を払っても、金の対価として出てくるものに本物の秘儀はない。グルジェフはそこを突いてきている。

 

ネットでは、楽に金が儲かる怖いバイトがあるとか、起業すれば9割は失敗して借金を背負うことになるのに、起業すれば大金持ちになると宣伝。転職すれば、転職斡旋業者だけが確実にもうかるのに、転職すればバラ色の人生だなどと転職を勧める。欲望の堂々巡りで出口なく、占星術やタロットやスピ占いで気をまぎらわせるにも限界がある。

 

金の不足で、毎日の生活が大変な人が多い。

真実は金にはないが、日々冥想するしかない。

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