アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

エクソシスト稲生平太郎

2023-05-17 14:09:43 | 超能力・霊能力neo

◎稲生物怪録

(2021-06-03)

 

稲生物怪録は、江戸時代、広島県三次市を舞台に、様々な妖怪が次々と登場し、16歳の稲生平太郎が、妖怪軍団をついに打ち破るというもの。これは内容が奇抜でバリエーションに富んでいることから、最近では、モバゲーのモンスターとして頻繁に登場している他、平田篤胤、泉鏡花、稲垣足穂、折口信夫、荒俣宏、京極夏彦らに採り上げられている。

 

だが、実際に稲生物怪録を読んで見ると、稲生平太郎と家族、親戚、近所の人が盛んに怪異に悩まされるが、稲生平太郎は、騙されずに正体を見破り続けたところ、特に物の怪側に攻撃をしたわけでもないのに、物の怪側が敗北のしるしとして木槌を平太郎に渡し、いづこともなく去っていったという、カタルシスという点では物足りない物語に仕上がっている。

 

クンダリーニ・ヨーギは大体エクソシズムの心得はあるものだが、日本の有名エクソシストと言えば、出口王仁三郎と本山博。本山博の著作を読むと各地で浮かばれない霊をどこかに逐うのでなく言い聞かせ、解脱させている。出口王仁三郎も無数の不成仏霊を言向け和し、改心させているが、中には苦労させられる手合いもあった。

 

出口王仁三郎の、稲生平太郎への言及は筑波山の一箇所のみであって、多くを語ってはいない。マントラにしても作法にしても、悟っていない人物が使えば良い結果にならないことを知っていたせいだろう。

 

カルロス・カスタネダのシリーズでも、霊界のどこかに何百年も取り込められている人を見かけるシーンがあったりするのだが、普通の人は、そういうものに関心を持つことは百害あって一利なし。

 

釈迦でもイエスでも大悟の直前に悪魔が登場する。稲生平太郎のケースでは、沢山の悪霊が登場して最後の魔王との対面の際、冠装束をした人の半身(昔の一万円札の聖徳太子みたいな)が稲生平太郎の背後に見え、平太郎自身は彼を守る氏神だろうと認識した。

 

だがこの際に稲生平太郎は、大悟したのではないか。ダンテス・ダイジのニルヴァーナのプロセスとテクニックでは、クンダリーニ覚醒時に1~3人の神霊がやってきて一人が本人の頭の封印を切る、とある。氏神と見えたそれが、そうだったのではないだろうか。

 

大悟して初めてイエスも釈迦も平太郎も悪魔を超えられたのだ。

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田中陽希GreatTraverse-3

2023-05-17 10:55:32 | 修験道neo

◎登ってはいけない山-1 

(2021-05-27)

 

山には聖山もあるが、人間が登るのを戒められている山もある。それが、丹波大江山と筑波山。

 

田中陽希は、大江山は、登っていないようだが、筑波山は登ってしまっていた。

 

筑波山神社由緒によれば、山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する由。

 

出口王仁三郎は、

『筑波山は兇党界の大将山本五郎右衛門が本拠である事は度々話した通りである。平太郎によつて封じ込まれて柔順しくなつては居るのであるが、それでもあの山に登ると憑依されて狂態を演ずるやうになる。丹波の大江山も悪霊の本拠であるから登つてはいけない。押して登れば憑依される。』

(玉鏡/筑波山の悪霊/出口王仁三郎から引用)

※平太郎:稲生物怪録の稲生平太郎か。

 

ところが筑波山には、今ではロープウェーもケーブルカーもあり、登ってはいけない山どころではないのだろう。筑波山山頂近くには、弁慶の七戻り(ギロチン型の巨石であって、今にも頭上に落ちてきそうなもの)や、他にもガマ石など奇岩巨石が多い。

 

GreatTraverseの番組では、田中陽希が筑波山頂で、筑波山に5千回登ったと称する人物に出会い、ぎょっとさせられた。

 

こうして見ると、山岳などの結界あるいは、女人禁制というのは、ジェンダー差別に由来するものではないのだろうが、重要な因縁を有するものであろうことが想像される。山であれば、何でもよいというものでもあるまい。

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田中陽希GreatTraverse-2

2023-05-17 10:51:26 | 修験道neo

◎修験道との関わり、大峯山など

(2021-05-24)

 

日本三百名山で選定しているのは、必ずしも修験道の山ではない。だが、山頂には、亡くなった人を供養する積み石や、祠などが置かれており、時に蠅の飛ぶ音が聞こえて、山頂巡錫のリアリズムを感じることができる。

 

大峯山では、田中陽希は、快適に森林地帯を進んでいたかに見えたが、山上ヶ岳の「西の覗き」という行場で、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出す行をやった。彼も終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していたそうだ。

 

バンジージャンプとは異なり、スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないが、いわゆる「本気でやる」ということの重要さを知る行である。禅語録で、よく弟子が生半可な解釈を師家に咎められ、棒で殴られたりして、本気を求められるが、本気には実は何層もあり、最深の本気を求めるというのも、宗教修行ではメイン・テーマの一つである。

 

大峯山では、例の大峯千日回峰行のルートとは別のルートを進んだ。持っている杖の長さも全く異なる。

 

伊吹山は、これが白隠が大岩に乗って坐っていたところ、山の主か何かに脅かされた山かと、目を見張って見ていた。織田信長が中腹に広大な薬草園を作っていたとは知らなかったし、山頂付近は荒涼としていて、修験道とは、苛酷な自然環境でやるものだと感じさせられた。出口王仁三郎も伊吹山は、伊吹は【息を吹く所】の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸ともいうべきは近江の伊吹山であるとする。(霊界物語第39巻大祓祝詞解)

 

両神山は、鉄道で近くまで行けるので大したことはないのかと思っていたが、あれほど峻険な山とは知らなかった。

 

富士山は、山頂に近づくにつれて、登山路にうずくまったり横になったりして高山病になる人が続出していたのには驚いた。富士登山ブームとは言うが、4千メートルに近いところは甘くは見れない。

 

水も食料も携行しなくてはならず、なおかつ全身運動となる修験道。大峯千日回峰行では、ポイント、ポイントで礼拝の連続だが、足でこれだけ山頂を巡るのでは、感得するところもあるのではないか。だが、山には聖山ばかりでなく、そうでない山もある。

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田中陽希GreatTraverse-1

2023-05-17 10:46:44 | 修験道neo

◎日本のピラミッド説など

(2021-05-23)

 

これは、田中陽希が、日本3百名山をひと筆書きで、下界の道路も徒歩で行き、三百名山も登ろうというプロジェクト。

こうしたツーリズムものは、せいぜい火野正平の自転車ツーリング番組をたまに見る程度だった。私は登山はしないが、2か月ほど前からこの最初のシリーズの百名山のダイジェスト番組(NHK)を見始めた。田中陽希は、常人の2倍以上のスピードで山に登り山を降りるのだが、これで感じ入ることがいくつかあった。

 

まず日本のピラミッド説に関して。これは昭和の初めに酒井勝軍が広島県の葦嶽山はピラミッドである説を唱え、出口王仁三郎もこれを否定はしていない。だが酒井勝軍の著書「太古日本のピラミッド」という著書はおよそ科学的とは言えない本であって、日本のピラミッドのある山頂の多くを巡るには、アストラル・トリップで見に行くしかないと思って、半ば真相に迫るのをあきらめていた。

 

ところが、田中陽希がグレイト・トラバースで実際に登っているところを見ると、音に聞く山頂のピラミッドと呼んでもよいような巨石は、意外にあるものだということを知った。

 

だが、巨石であれば何でもよいかということではなくて、修験で古くから霊場とされているところがそうなのだろう。

 

それと火山。島村英紀氏によれば、火山学会では、さる火山予知の失敗をきっかけに日本では活火山、休火山、死火山という分類をやめたそうだが、田中陽希のグレイト・トラバースでは、山頂周辺で活発に噴煙を上げている山は少なくない。磐梯山、吾妻山などでは、火山性ガスで生命の危険があるのではないかとはらはらして見ていた。

 

要するにその山頂がパワースポットであったとしても、火山の大噴火でパワースポット自体が存続しなくなったり、新たに発生することもあるのだろうと思った。

 

野口英世の伝記で、明治時代の磐梯山の大噴火が出てくる。これは、1888年の大噴火で山頂がまるごと吹き飛んで消失したもの。そういう事象が日本では、1792年の島原半島眉山など時に見られる。

 

日本は火山国家であり、民心の動向がセンシティブに地震と火山活動に出る。民心が悪に振れれば地震と火山活動は活発化し、逆に民心が善に振れれば、地震と火山活動も収まり異常気象も起こらない。古来そういう操作は、修験者や超能力者だけがやっていたが、今や民衆の心的パワーはそういう少数人のコントロールを超えているところがあるのではないか。

 

富士鳴戸の仕組みも富士山大噴火と連動していないとも限らぬ、地球のマニピュラ・チャクラの覚醒、爆発。

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単独行遭難

2023-05-17 06:54:07 | 冥想いろいろ

◎遭難の理由と変性意識の隙

 

登山に良い季節になった。『ドキュメント 単独行遭難/羽根田治/山と渓谷社』を読んだ。

 

登山には、グループで登るのと単身で登るのがある。警察庁の統計では、全遭難者中の3~4割が単独行。登山は冥想修行と同じで、他の誰かが登ってくれるわけではなく、自分で登らなければならない。

 

この本に上がっている遭難例は、ほとんどが50代から60代であって、泊まる可能性がある登山をできるのはほぼ中高年だけに限られることがわかる。

 

また遭難した山岳は、

奥秩父・唐松尾岳、

北海道・羅臼岳、

秩父・両神山、

北アルプス・徳本峠、

加越山地・白山、

北アルプス・奥穂高岳、

尾瀬・尾瀬ヶ原(豪雪時)

である。

 

遭難の理由は、やや無理をしてその日の踏破距離を伸ばそうとしたとか、ちょっと別ルートに入ったとか、道に迷ったとか、予定ルートを進んでいたが、足を踏みはずして転落滑落したというのが多い。一律ではないが、生還例だけが挙がっていることに注意。

 

道迷いについては、迷った後で『迷った』と気がつくもの。

 

足を踏みはずして転落滑落ということについては、Great traverseの田中陽希が700名山を踏破しても足を踏みはずして手指を骨折したのが1回きりであるということを思うと、田中陽希の心肺機能が凄いとか、筋力が凄いということもさることながら、目に見えない浮石の踏み方、目に見えない滑りやすい草の踏み方が精妙であって、ほとんど何年も転落滑落がない一歩一歩を履めるからこそ名人なのだと思う。

だが、それを名人と言えば判断停止しがちだが、変性意識のブレ(隙間)を防ぎつつ歩くことが何年も何秒も継続してできていることこそ見逃せない。

 

また、ちょっと別ルートに入っても必ずしも遭難するわけではない。

 

そして日本の山岳では、標高8千メートル以上の死の地帯という呼吸が苦しくて異常心理になりがちなエリアはない。だが標高数十メートルの低山や平地であっても、夜に単独で歩けば、狐や狸を人と認識して化かされるような変性意識状態はあり得る。

この本には、いるはずのない人物を認識した話はいくつか出ている。

 

大悟覚醒は、トランスとも呼ばれる変性意識状態の近所にあるわけだが、聖者覚者はそれを心理と見ることを戒める。最終的には現実そのものなのだ。

 

単独行遭難は、生還した事例ばかりだが、バス転落事故で亡くなった方たちの死以後のルートを霊視した丹波哲郎の「霊界旅行」という本もある。

 

瞑想修行でも単独行遭難は無数の例があることはご承知のとおりである。

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