アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

この世の終わりと岩屋外務大臣

2025-02-17 21:01:53 | メインストリーム予言と先行モデル

◎別府の時がこの世の終わり

 

岩屋外務大臣と言えば、別府出身で、選挙区が別府。

別府と言えば、出口王仁三郎予言で最も重要な『この世の終り』予言で登場してくる街。

その予言は、以下。外国勢力が西日本をほぼ占領し、最後に別府を攻撃しないでとっておいて(第二次大戦時の広島、長崎、京都みたいな)、別府で祝占領大宴会をやろうとするのだろうか。

 

『○別府

別府は最後になる。○が戦勝の祝賀会を開くために残しているのである。その時にこの世の終りが来るのである。この世の別れである。 

昭和20年6月30日』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光(下巻)/木庭次守編/八幡書店P290から引用)

 

出口王仁三郎は、ウラルについて、何度露国が敗戦しようが、最終戦争ではウラルが噛むことを否定しようとしないので、ウラルは悪の策源地として何か固いところがあるのだろう。そのように別府についても似たようなところがあるのではないかと想像している。

単に大規模な温泉場だから最後の街に選ばれているわけではなく、霊的な因縁があるのではないか?

 

さて、2025年1月23日、岩屋外務大臣の自宅に不審者がいたが、事件化せずうやむやになった。

 

岩屋大臣は、1月20日に行われた米トランプ大統領の就任式に出席するため、1月19日に日本を出発。22日にワシントンD.C.を発ち、23日に帰国した。

同日、衆議院赤坂議員宿舎の自室が施錠されていたことを不審に思った岩屋大臣は、自室であるにもかかわらず、インターホンを押してみたという。「すると、中から鍵を開ける音がして、玄関の扉が開いたそうだ。そして、扉から顔を覗かせたのは、40代くらいの全く見知らぬ女性だった。目が合った二人は一瞬凍りついたものの、我に返った女性が部屋を飛び出し、そのまま赤坂宿舎から逃走した。この女性は、23日には4時間ほど岩屋大臣の部屋に滞在した由。翌日も来たらしい。

衆議院赤坂議員宿舎には、専用のカードキー2種がないと入れない由。

この女性は、精神障害者らしいという情報もあるようだが、古来不法侵入がばれたスパイなどがとっさに気狂いの振りをするのは定番。

この件がうやむやになったことは、改めてスパイ天国日本の名を高からしめることにならなければよいが・・・。

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これが人間世界という狂気のありさまである

2025-02-17 07:20:35 | ダンテス・ダイジの風光

◎黒は白なのだ(老子狂言)

 

黒は白なのだ

 

黒を白と言いくるめる 

そうすると

黒は間違いなく白だ

これが人間世界という

狂気のありさまである

 

それは

暗示とかイメージとかのことではない

潜在想念界のトリックのことでもない

ただ

黒と白が別れる以前からの

断言にすぎない

夢、気の持ちようだだとか

信念の力だなぞと考えるなかれ

 

夢しかない世界では

黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、

進め、進め、進め!

限りない黒と白の混沌の中を・・・

ところで・・・

 

黒でも白でもいいじゃないか』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【ただ

黒と白が別れる以前からの

断言にすぎない】

さらに

【夢しかない世界では

黒は白なのだ】

でも、黒も白も

重苦しい今の夢・・・

過ぎ去る夢の夢よ・・・≫

であって、

≪我れもなく現し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ

なのだ。

 

これはすべてのすべてである神(第六身体アートマン)を経てニルヴァーナに到達して初めて言える。

 

隋代の禅宗第三祖僧さんも信心銘において、えり好みをしないと説いている。

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この静けさを分かってくれるだろうか?

2025-02-17 06:59:03 | ダンテス・ダイジの風光

◎まるで一輪の野の花のように・・・(老子狂言)

 

まるで一輪の野の花のように・・・

 

何が、何だと言うのだ 

これはこれなんだ 

いいや、これはこれだという必要もない

 

何もかも、何もかもいいんだ 

こんなことを言うのも愚かしい 

それ位、これはこれなんだ

 

生命はジグザグに進む 

絶対の到達点などありもしないからだ

この静けさを分かってくれるだろうか?

 

しかも、生命は流れる 

ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない

 

何もかもがすてきだ 

何もかもが

時間でない今を楽しんでいる

極楽の極楽と

極限の地獄とを戯れている

 

私は何と無駄な言葉を書いているのだろう!

とことん無駄だと知りながら・・・

まるで 

一輪の野の花のように・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【これはこれなんだ】のこれは、ニルヴァーナ。

ニルヴァーナに居れば、【何もかも、何もかもいいんだ】。

 

何回もの転生は、今ここ一枚鏡の動画だからこそ、【生命はジグザグに進む 

絶対の到達点などありもしないからだ

この静けさを分かってくれるだろうか?】

と見るのだろうか。

帰るともなく帰ってくるのもよい。

 

【しかも、生命は流れる 

ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない】

では、ニルヴァーナを終着駅と見ない。

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ありがとうすべてのいのち

2025-02-17 06:24:04 | ダンテス・ダイジの風光

◎わが父に感謝をこめて(老子狂言)

 

わが父に感謝をこめて

 

どんなに

えらくなったつもりでも 

どんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも

父よあなたのいのちなしには 

今の私はありえないのです

 

ありがとうおとうさん 

ありがとうすべてのいのち

 

どんな人でも 

心の底では 

自分も宇宙も 

どうなるものでもないことを

深く深く深く知っています

 

おとといは 

どんよりしたくもり空

きのうは 

あたたかく輝く初夏の甘やかさ 

きょうは

カラスが鳴いています

 

おれは

カケヒキとハッタリと鉄面皮の 

油ぎった支配者だ!

おれは 

一ぷくのタバコの煙に 

共感の涙を流す 

か弱き浪費家です

 

なんでもいいんだ 

スチャラカチャン! 

どうでもいいんだ

スチャラカチャンチャン・・・

チャン!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【ありがとうすべてのいのち】

感謝は、人間の立場から神を見る。

 

【どんな人でも 

心の底では 

自分も宇宙も 

どうなるものでもないことを

深く深く深く知っています】

隙間理論でいけば、人間は平常の一瞬に神を見るし、一生の始めに神を見ているから、神を自分を深く深く深く知っている。

 

私は、ダンテス・ダイジの父との面識はないが、一度ダンテス・ダイジの実家でダンテス・ダイジと会ったことがある。その部屋の間口10m以上ありそうな壁面にはびっしりと本が詰まっており、蔵書の多さに圧倒されるとともに、その蔵書の半数以上は、彼の実業家の父のものだろうことが想像された。

 

ダンテス・ダイジは、高校中退だったが、その読書量は半端なものではない。ただ、なんでも手当たり次第読むものでもなく、「的確に学ぶ」ことは、重要であると語っている。

 

ここにことさらに「わが父に感謝をこめて」と上がっているのは、神人アヴァターラを産みだす父親が見つかることが稀有だからだと思う。

イエスの父大工のヨセフは結構冷遇されているが、神人も父なかりせば世に出ないのである。

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クンダリーニの取扱-3

2025-02-17 03:28:34 | 開拓されるべき地平たち

◎クンダリーニは体温計のように、ゆっくりと、連続的に上昇する

 

OSHOバグワンの“I Am the Gate Chapter #5 冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。

 

ポイントは以下。

  1. クンダリーニが準備できていても、使うことが危険な場合は、他のルートを使う。
  2. マハーヴィーラもブッダも、クンダリーニについて一度も語らなかった。キリストはクンダリーニについて知らず、老子はそれについて聞いたこともなかった。
  3. クンダリーニは連続性を持つ、それはまるで体温計のようだ。それは体温計のように、ゆっくりと、ゆっくりと上昇する。その通路は連続したもの。
  4. ブッダは決してそのクンダリーニの通路を使わなかったが、彼はチャクラが突然跳躍しながら機能することについて語った。あるチャクラから別のチャクラへと、人は飛び移る。連続性はない。

 

クンダリーニは、作用の仕方が多用で影響範囲が広いので、危険度が高いのだろう。「直接的」な方法とは、どういうものなのだろうか?

 

『(仮訳)

下降するエネルギーは常に暴力に向かいます。上昇するエネルギーは常に愛、理解、思いやりへと向かいます。

だから、この方法は間接的な方法なのです。それは非常に多くの扉を通って作用します。もしあなたのクンダリーニが使えるなら、この方法はそのクンダリーニを使います。それはその道筋をたどります。柔軟性があるのです。この方法は絶対的に柔軟です。もしあなたのクンダリーニが準備できていて、使うことができない場合、もしそれが危険な場合は、それを使うことはありません。その時は他の道、他のルートがあります。他のルートを使うことができるのです。

 

それらの他のルートは名前が付けられていません。なぜなら、古代の教えではそれらを使ったことがないからです。しかし、他のルートは存在します。マハーヴィーラはクンダリーニについて一度も語りませんでした。ブッダもクンダリーニについて一度も語りませんでした。キリストはそれについて知らず、老子はそれについて聞いたこともありませんでした。彼らは他のルートを通ってきたのです。

 

ブッダが通った道は、クンダリーニを通ったものではありえません。彼のセックスは彼にとって完全に退屈なものとなり、彼はセックスに全く興味がありませんでした。そして、それは当然のことでした。なぜなら、彼の父親は彼のために王国中の非常に多くの美しい娘を手配したからです。美しい娘は皆、彼の宮殿にいました。彼はただ嫌気がさしたのです。それは当然のことでした。誰もがそのようになれば嫌気がさすでしょう。彼はセックスにとても嫌気がさしたので、同じエネルギーが転換できるとは考えられなかったのです。

 

彼はそれを試みたことがなかった。そして、たとえ誰かが彼に性エネルギーは神聖なエネルギーになり得ると言ったとしても、彼は耳を傾けなかっただろう。なぜなら、彼は性についてあまりにも多くを知っており、彼にとってそれには神聖なところなど何もなかったからだ。それはただ肉欲的なものだった。ブッダは別の道を使った。彼はクンダリーニについては全く語らなかったが、中心、チャクラについて語った。彼はチャクラのために働いた。

 

もしあなたがクンダリーニのために働くなら、そこには漸進的なプロセスがある。クンダリーニは連続性を持つ、それはまるで体温計のようだ。それは体温計のように、ゆっくりと、ゆっくりと上昇する。その通路は連続したものである。

 

ブッダは決してその通路を使わなかったが、彼はチャクラが突然跳躍しながら機能することについて語った。あるチャクラから別のチャクラへと、人は飛び移る。連続性はない、人はただ飛び移るだけだ。この跳躍のプロセスゆえに、ブッダは全世界を非常に新しい方法で捉えた。彼は、世界には連続性などなく、ただ跳躍があるだけだと言った。』

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