◎ジェイド・タブレット-12-10
◎ニルヴァーナ-10
◎宗派別のクンダリーニとニルヴァーナ-3
◎故意に文献での精確な定義を避けてきたインド
インドでは、不二一元論に代表されるように表向きの議論では、アートマンとブラフマン(ニルヴァーナ)の実体は故意に明らかにされて来なかった節がある。20世紀になってダンテス・ダイジとOSHOバグワンが、真相を明かしたのは、エポックメイキングだったと言える。その理由は、万人がそれを体験することを前提にしているのではないかと思われる。すなわち、文献を学ぶのでなく、『体験とはいえない体験をする』のが必須の時代になったからである。
またクンダリーニ・ヨーガの核心部分が、何千年も明文化されなかったのは、文字記録よりは記憶を優先するインドの伝統と、神が許し給わねば何事も秘密になる密教の伝統があったせいなのではないかと思う。
それが証拠にと言っては何だが、ヨーガ・スートラの意味のとりにくいことや、ハタ・ヨーガからクリヤ・ヨーガに関連する経典は、恐ろしく理論的ではなく、首尾一貫していないからである。
こうした広義の密教・錬金術関連文献のテクニカル・タームは一語が3種類以上の意味で都度読まなければならないのだが、それにしても・・・というところはある。
恐ろしくわかりにくい文献とすることで、真摯な求道者は必ず正師につくような仕掛けにしていったのだろう。
ここでは、こうした事情から、クンダリーニとニルヴァーナについて、都合のよい部分だけ拾うことになる。
カタ・ウパニシャッドから。
『〔一四〕彼の心に拠るあらゆる欲望が解き放たれるとき、かくて人間は不死となり、彼はみずからの肉体にプラフマンを得るのだ。
〔一五〕この世において、心の結び目がすべてほどかれるとき、かくて人間は不死となる。わが教えは以上の通りである。
〔一六〕心臓の血管は百と一であり、その一つが頭の頂に現われている。その血管を上にたどるとき、不死に達する。他の血管はあらゆる方向に出口がある。
〔一七〕拇指の大きさのプルシャ、すなわち内在するアートマンは、常に人間の心の中に入りこんでいる。ムンジャ草から茎を引き出すように、人は確固たる心で自分の肉体よりそれを引き出すべきである。人はそれが輝いており不死であることを知るべきである。それが輝いていることを知るべきである。」と。
〔一八〕死の神より教えられて、ナチケータスは、この知識とヨーガに関するすべての方法を得て、彼はブラフマンを獲て、情欲を離れ、不死となった。他の人もまたこのようにすれば、最高のアートマンをこそ知る。』
(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/カタ・ウパニシャッドP274から引用)
〔一六〕で血管がクンダリーニのエネルギー・コードとして描かれている。
それ以外はご参考。
さらにブラフマン=ニルヴァーナについては、
『
『彼は不変異といわれる。』(『バガヴァッド・ギーター』 二・二五) ・
『始めがないから、属性がないから。』(『バガヴァッド・ギーター』一三・三一)
』
(インドの「一元論哲学」を読む シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇 シリーズ・インド哲学への招待 宮元 啓一/著 春秋社 P82から引用)
ゲーランダー・サンヒターから
『こころを肉体から分離して、それを至上我へ合一させる。これがサマーディなりと知るべし。これはダシャー等からの解脱と名付けられている。』
(続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社から引用。ダシャーの意味は不明だそうです。)
シヴァ・サンヒターのヨーニ・ムドラーの段。
『4.2 この梵座に鎮座するカーマ神を念想すべし。この神はバンドゥーカ花の如く美しく数千万の太陽に相当する輝きと、幾千万の月に相当する涼しさを持っている』
(前掲書から引用。梵座はブラフマ・ヨーニbrahma-yoniとあり。)
『4.3 この神(または座)の上方に微小な光がある。それはチット(英智)を相とする、至上の微体である。真我がこの光と合体し、一体となることを観想すべし。』
(前掲書から引用。真我はアートマンのこと。)
ジェイド・タブレットでは、クンダリーニについて、以下のように述べて来ている。
- クンダリーニは、肉体からブラフマンまで、すべての七次元に存在している不可思議なものである。
- 普通の人にあっては、クンダリーニのエネルギー・コードは、チャクラと接続しているが、脱身に際しては、チャクラとクンダリーニは分離する。
- チャクラは、コーザル体以上には存在しない。
- クンダリーニとは、中心太陽ブラフマンから発して自分個人に至るエネルギー・コードである。
ダンテス・ダイジが座談で、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが接している人が有するのが一定の現実感覚であって、悟った人、発狂した人は、これがばらばらにはずれて、現実感覚を失っていると発言している。
現実感を失えば、社会的に適応するためにリハビリが必要。覚者にあっては、これが聖胎長養ということになるように思う。
ダンテス/ダイジの著書ニルヴァーナのプロセスとテクニックのクンダリーニ覚醒のくだりでは、ムラダーラ・チャクラから下から順番に白銀色のコード(クンダリーニ)がはずれていくシーンが描かれている。
映画マトリックスでは、背骨のチャクラにつながった何本かのチューブがバチバチと外れていくシーンがあり、クンダリーニとチャクラの分離の秘密を知りえた人間がこの映画を監修しているのではなどと気になったものだ。