◎どう手段しても全部を救うことが難しい
朝鮮の神人姜甑山が、東洋と西洋は甚大なパンデミック被害の結果、ようやくバランスが取れるようになるとする。だが、そのパンデミックは、先般の新型コロナの比ではない致死性の高いものであるという。
やがて病劫は避ける間もない洪水の様にやって来るので、彼は弟子たちに武道・戦闘ではなく、医学を学ぶことを勧めている。
姜甑山は、全人類(天下蒼生)が滅亡之境に到りつつあると言われていても、誰も少しも悟ることができず、この末世に目先のことに没頭するばかりなので、どうして哀惜しないで居られようかと、慨嘆している。
今後のパンデミックでは、寝ていても死に、食事中でも死に、往来する途中で死んでも弔うものが無く、死体を三ツ刃の鋤で引っぱり出す暇もなく、履物をまともに履くことさえ出来なくなって、茫然自失となるという。
このパンデミック描写は、天理教のそれに似たところがある。パンデミックは、小三災の飢病戦の一つであって、別にさらに大規模な大三災の風水火がある。姜甑山は朝鮮人にとっては、病すなわちパンデミックが問題だと見ていたのだろう。
このあたりは、出口王仁三郎とは視点が異なる部分がある。
『三二、
東洋と西洋を競争させて、傾いた局面を調整しようと思うが、余りにも両者に違ひがあり、張り合わせが困難なので、兵(病)で両者を平等にしようと思う。
* 朝鮮語では兵も病も同じ(ビヨン)と表現する
三三、
囲碁も上手な方が勝つものである。人の知らない事を学んでおくが良い。今、たとえ張良諸葛のような人が沢山出ても、予測の出来ない時代が来た。先天開闢以来、水旱刀の劫災が絶え間なく世上を襲ったが、まだ病劫はそれ程でもなかった。今後、病劫が全世界を掩い、人類を全滅せんばかりに蔓延すれば、生き残る方法がなくなるから、すべての奇事妙法を捨てて、医統を知っておけ。私が天地公事を掌管して以来、この地の様々な災害を退けたが、ただ病劫だけは手つけずにおいた。今、汝等に医統を伝えるので、手の届かない珍貴な薬品よりも、むしろ純粋な心で医統を知っておけ。 やがて病劫は避ける間もない洪水の様にやって来るだろう。
三四、
この後、怪病が蔓延する時、寝ていても死に、食中でも死に、往来する途中でも死んで弔うものが無く、三ツ刃の鋤で引っぱり出す暇もなく、履物をまともに履くことさえ出来なく茫然自失となるであろう。
三五、
時俗に婦女子達が本気で逆らえば急殺を受けて死ぬと言うが、これを急殺病と言うのである。昼夜不眠不休で、わらじ三足ずつ減らして歩き死体を踏み越えて尚病者を助けようとせかれる時は、私を信ぜよと云えば拒むものはないであろう。市場や集会であろうと何処でも、私を信じてよくなると思えば、その人達は知らなくても徳はその人達の上にあるものである。
三六、
大抵、人は何も知らないのがむしろ好都合である。未来の出来事が判る者は、蒼生のことを考える時に悲痛にならざるを得ない。今、天下蒼生が滅亡之境に到りつつあると言っても誰も少しも悟り得ず、この末世に尚没頭するばかりなので、どうして哀惜しないで居られようか。
三七、
ある日壁に向って横になられ、ふと大きく悲しまれ、言われるに、全人類が滅亡之境に至ったが、どう手段しても全部を救うことが難しいので、なんで悲しまないで居られようかと言われて感泣なされた。 』
(回天の聖者/姜甑山先生顕彰会 P284-285から引用)