◎花入れに水だけ入れて飾る
永禄10年、利休は、東大寺大仏炎上といった乱を避けて堺にあった蜂屋紹左、大和屋正通、松屋久政の三名を自室に招待し、紫銅無紋の「ノハシ」花入れに水ばかり入れて飾った。
師匠北向道陳の勧めで、利休は武野紹鴎に入門しようとし、庭の掃除を命ぜられた。利休は庭をきれいに掃き清めた後、わざわざ葉を落としてみせた。この様を見て武野紹鴎は入門を許した。
堺に火事があって、利休宅が類焼した。武野紹鴎がこれを見舞ってみると、焼けた地面の灰をかき払い、破れ瓦など取り集め飛び石にしつらえて、早茶の湯の心がけがあったという。
これらパフォーマンスは禅機というようなもので、禅特有の一対一の一瞬の油断も許さない機鋒が見て取れる。要するに師匠武野紹鴎や招待客と弟子千利休の間で真剣な禅問答を交わしているようなものである。
こうしたパフォーマンスは、即興芸術としては一流のものだと思う。しかしながら武野紹鴎も千利休も悟ってなかったみたいので、芸術作品としては一流だが、求道者としては完成を見なかったというコメントになろう。
茶の湯という芸道者トップが、名物への目利きに執着して見せるなどは、真相を知らない者に物欲を掻き立てるだけであって、涅槃を求める者にとっては邪魔であるはず。当時は領地などの恩賞のかわりに名物を出していたという事情もあり、邪道ながら食うためにはやむを得なかったかもしれない。