◎恋、秘すれば花
日本の芸道は、その一片の恋心なくしては始まらなかった。その恋心を秘すれば花に変ずる。
室町時代のポップ・カルチャーである能・連歌・茶の湯のでは、定家の言う「情」(恋心)を秘する道具立てとして、「冷え」「凍(し)み」「寂(さ)び」「侘び」を盛んに用いた。
情(恋心)を引き立たせる背景として、あるいは補色として「冷え」「凍み」「寂(さ)び」「侘び」を盛んに用いたのである。
冷え、凍み、寂び、侘びと言えば、この情緒を端的に示しているようなのは、中国の禅僧趙州十二時の歌である。
趙州十二時の歌の生活は、世間的にはワーキング・プアやノン・ワーキングプアとしか言いようがないが、そこに花たる正念・リアリティを見なければならないのである。枯木寒巌に倚る三冬暖気なしの風情にあって、陽光を感じとらねばならないのである。
またこの辺の消息は、ダンテス・ダイジの石ころの心から暖かいものが流れだす風情からも感得することができる。冷え、凍み、寂び、侘びが石ころの心の風景なのである。
これを世阿弥は花鏡の中で「さびさびとしたる中に、何とやらん感心のある所あり」と解説する。世阿弥が、石ころの心に出会ったのか、あるいは一体となったかはわからないが、世阿弥は、それを直観したのである。
こうした室町芸能の源流が夢窓国師から出ていることに、夢窓国師の見かけ以上の偉大さに改めて感じ入る。