◎あわてふためき父を溺死させる
玄沙師備(835-908)は、福建省の漁師の家に三男として生まれた。長じて、海で父の漁業を手伝っていた。玄沙は、漁業は殺生でもあり、気に染まない生業だった。ある日、漁の最中に父が足をすべらせて水に落ちた。玄沙はあわてふためき、父を助けてあげることができず、結局溺死させてしまった。
この事件をきっかけに玄沙は出家し、雪峰を師として禅の修行に打ち込むこととなった。だがなかなか悟りを開くことができなかった。
※備頭陀:玄沙のこと。
『雪峰は、ある日おどしをかけた。
「備頭陀よ、そなたはこれまで、いちども諸方の老師を遍歴していない。ひとわたり見てまわっても、差しつかえあるまいに」
こんなふうに、四度も先生(玄沙)は、和尚に熱心に説かれると、和尚の言いつけ通り、旅仕度するほかはない。
すべてが終って、ちょうど嶺上にゆくが、石ころにつまずいて、突如として大悟する。おもわず、さけぶのである。
「ダルマも来ず、二祖も受けとらぬ(達摩不過来二祖不伝持)」
さらに、大樹にのぼって、江西を眺めていう。
「さあ、おまえをどうしてくれよう(奈是許你婆)」
すぐに、雪峰にひきかえす。雪峰は、かれがかえってくるのを見て、たずねた。
「きみを江西にゆかせたのに、何でそんなに早くかえってきたのか」
「いって来たのです(到了也)」
「どこにいったのだ」
先生はくわしく、前の事件をはなす。雪峰はその力をみとめて、かさねて入室の話をしてきかせる。
先生は、瓶の水をうつしかえるごとく、あまさず機微をつかんだ。 』
(純禅の時代 続 祖堂集ものがたり 柳田聖山/著 禅文化研究所P221から引用)
自分にしっくりこない職業に就いて世過ぎをするということはある。だが、もっと大きな力が働いて、人を本当に生きるべき人生行路に導いていくということはある。
それは、最初は父の溺死に無力だった自分であり、後には1個の路傍の石ころだった。
準備ができていたから出家し、準備ができていたから悟った。