◎祖先が一番初めに通った道
出口王仁三郎の随筆から
『万有と道
鳥獣類にも皆彼等が通行する道というものが定まっているのである。そして、その道以外、決して他の道を通らぬものである。だから猪でも鴨でもその通る道に待伏せしていると、きっとそこを通るから捕獲することが容易に出来るのである。その道というのは彼等の祖先が一番初めに通った道であって、子々、孫々その道を通るのである。決して勝手次第に歩くもので無い、総てのものは道によって立っている。神も道によって立ち、人も道によって立ち、万有も道によって立つ。』
(水鏡/出口王仁三郎から引用)
人間にも道があって、それは祖先が一番初めに通った道。その道は、完全人、あるいは真の人を念頭に置いている。イブを分離する以前のアダムが完全人アダムカドモン。
アダムカドモンとは、原人、原始の人などと訳されるが、人間の祖型にして完成した人間の謂いである。完成したというニュアンスには、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗などの二元の両方すなわち両性具有が含まれる。荘子の真人もアダムカドモンと同義。禅の信心銘のえり好みをしないというのも同じ流れ。
タロットなら魔術師。
古事記ならウガヤフキアエズが完全人。
古事記のウガヤフキアエズのところでは、卑しい竜女がウガヤフキアエズという人間を産むのだが、これが人間の進化すなわちジャンプアウト(垂直上昇)を象徴している。これは逆転の示唆でもある。
古事記上つ巻は、ウガヤフキアエズの段で終わっている。出口王仁三郎は、終わりの時代に、上つ巻の内容はすべて現実化すると予言している。
さて道と言えば、出口王仁三郎著作集に真人の道という文章がある。真人の心が真心。
『真心とは、天地の先祖の大神の大精神に合致したる清浄心である。』
大神の大精神に合致したる清浄心とは、真似ぶことでは、なかなか到達することはできず、大神と神人合一することを言っているように思う。