◎意につくす能はざるところに神の権威があり、また真理がある
出口王仁三郎の随筆から
『神様と味はひ
書は言を竭(つく)す能はず、言は意を竭す能はず、意は真を竭す能はずと云ふことがある。
意に竭す能はざるところに神の権威があり、又真理がある。神は説明することは出来ぬ。恰(あたか)もボタ餅がうまいと云つても、どんなに甘いといふことは、味はぬ人に説明することが出来ないやうなものである。』
(玉鏡/出口王仁三郎から引用)
神様は味わってみなくては、わからない。
見るだけでは、足らないのだ。
さらに
『魂の入れ替え
人間は誰でも毎日魂を入れ替へてもらつてゐる。そのために善悪の言心行となつて現はれる。改心慢心は魂の入れ替つてゐる證拠である。』
(玉鏡/出口王仁三郎から引用)
これは、隙間理論によれば、刹那毎に人間の魂は入れ替わっている。
あるいは、夢を見ない熟眠時に毎晩人間の魂は入れ替わっている。
出口王仁三郎は、一体どういうつもりでこれを書いたのだろう。