◎宗派によらない体験とは言えない体験
禅の達磨から三人目の第三祖僧さんが、体験とは言えない体験を説く。
『眼(まなこ)もし睡らずんば
諸夢 自ずから除く
心もし異ならずんば
万法一如なり』
(信心銘)
大意:眼が眠らなければ、様々な夢は自ずと見ない。
心がもし変わらず同じならば、すべての存在は一つである。
熟眠中でも夢を見ないというのは、インドでも冥想の重要テーマだった。
荘子にも『古の真人は、眠っても夢を見ず、起きていても憂いがなかった。』(大宗師篇)というのがある。
宗派は異なっていても求める境地に変わりはない。個が宇宙全体・世界全体に転換するポイントがあって、それは冥想修行のステージの一つとして存在することは知られていたのだ。
そしてそれは、最初は特異な体験だが、日常に変わる。
禅の達磨から三人目の第三祖僧さんが、体験とは言えない体験を説く。
『眼(まなこ)もし睡らずんば
諸夢 自ずから除く
心もし異ならずんば
万法一如なり』
(信心銘)
大意:眼が眠らなければ、様々な夢は自ずと見ない。
心がもし変わらず同じならば、すべての存在は一つである。
熟眠中でも夢を見ないというのは、インドでも冥想の重要テーマだった。
荘子にも『古の真人は、眠っても夢を見ず、起きていても憂いがなかった。』(大宗師篇)というのがある。
宗派は異なっていても求める境地に変わりはない。個が宇宙全体・世界全体に転換するポイントがあって、それは冥想修行のステージの一つとして存在することは知られていたのだ。
そしてそれは、最初は特異な体験だが、日常に変わる。