アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想十字マップ狂言について-3

2022-12-15 03:17:32 | アヴァターラ神のまにまに
◎ニルヴァーナはいかなる概念内容も持っていない

冥想十字マップ狂言の続き。
『したがって、
あなたが、もともと、
ありもしないことにより、

非ステップ3 ・有相三昧
絶対者が絶対者だ。
絶対者があなただ。
全体が全体に目覚めている。
全体があなただ。
絶対者が絶対の力だ。
この絶対とは絶対に絶対なのである。
絶対の意志は、全体の生命だ。
絶対の情熱は、全体の至福だ。
絶対の愛は、全体の慈悲だ。
絶対の調和は、全体の自由だ。
絶対の智恵は、全体の覚醒だ。
一切万象、多様次元自身が、
目覚めている。

非ステップ4・ 無想三昧
闇の夜に鳴かぬカラスもない。
父母未生以前の本来の面目もない。
仏教なんぞの滅尽定でもない。
禅なんぞの無でもない。
隻手の音声なんぞ夢のまた夢
ヨーガの解脱なんぞでもない。
いわゆる概念的には、ニルヴァーナのことだが、真のニルヴァーナは、いかなる概念内容も持っていない。

これは、
完全に生きている。
これは、
完全に死んでいる。
これは、
生きても死んでもいない。
これは、
初めであり中間であり終わりである。
これは、
初めも中間も終わりもない。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジp192-194から引用)

まず、私たちは、もともとありもしないことにより、

【非ステップ3 ・有相三昧】は、アートマンなる七つの身体における第六身体のことであって、世界全体、宇宙全体が自分であるということ。
そうなった場合の実感が縷々述べられているので、どこにも自分が個人であるという実感などない。
絶対とか絶対者という言葉に永遠不壊、至高、至善、至美などあらゆるポジティブな属性が隠されている。

【非ステップ4・ 無想三昧】は、ニルヴァーナだが、前半の文では明らかに禅を意識したニルヴァーナになっている。だからといって、この空間的進化が生の側から極めるルートの説明とは言えない。
そしてニルヴァーナとは、あらゆる想像を絶した神秘らしい。

【これは】、
生きているのと死んでいるのは、有相三昧。
生きても死んでもいないのは、無想三昧。
初めであり中間であり終わりであるのは、有相三昧。
初めも中間も終わりもないのは、無想三昧。
この違いがわかる人は、ニルヴァーナ体験者である神人合一者だと思う。

空間的進化は、個人の体験である定から、個人の体験ではない宇宙全体であるサマーディ(有相三昧)、なにもかもないサマーディ(無想三昧)へと進むが、これを空間的と称するのだろうか。

なお冥想十字マップでは、無想定と有相三昧の間に愛があるが、その説明はない。
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