アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

心のキャパシティ

2024-08-09 03:29:02 | 覚醒のアーキテクチャー

◎大悟覚醒と前世記憶

 

OSHOバグワンは、前世記憶はいたずらに覗きにいくものではないと言っている。今生の思いだけでもアップアップなのに、その上に前世記憶を受け容れるなど、泣き面に蜂もいいところだからである。

その説明の中に心のキャパシティに関する説明がある。これは、大悟覚醒のための準備の一つであるとも見れる。

OSHOバグワンは、さる女性教授に前世記憶をオープンにしてくれるようしつこく迫られていた。それも4つの過去世だ。OSHOバグワンは、それが愉快な結果を生まないことを承知していて、そういう説明もしたが、根負けして彼女に過去世記憶をオープンさせた。

まずいことにその女性教授は、日頃から自分が敬虔で一点も曇りもない女性だと信じこんでいた。

 

『それでなくても、ひとつの人生の記憶だけでも耐え難いのに、三つも四つもの過去世の記憶が垣根を破って押し寄せてきたら、人は気が狂いかねない。だからこそ自然はわれわれが過去を忘れてゆくように仕組んだのだ。自然は、思い出せる以上のことを忘れ去ることができるという偉大な能力を授けてくれた。そのおかげで、心(マインド)が持ち運べる以上の重荷を背負いとむことはない。心(マインド)の受容力が増大してのちはじめて、重荷に耐えることができるのだ。この受容力ができあがっていないうちに記憶の重みがのしかかってきたとき、問題が起こる。だがその女性教授は頑固だった。わたしの忠告には耳もかさず、実 験へと入っていった。

ついに過去世の記憶の洪水が襲いかかってきたとき、夜中の二時ごろだったが、女性教授はわたしのところへ飛びこんできた。混乱のきわみ。すさまじい苦境におちいっていた。彼女はいった。「なんとかしてこれをくい止めなければ。物事のこんな面は見たくもないわ」

しかし、ひとたび破れ放たれた記憶の潮を押しとどめるのは容易ではない。打ち砕かれてしまった扉を閉めるのはひどく困難だ。扉はただ開くのではない。破れて開くのだ。――――およそ十五日かかった。 そしてようやく記憶の波はおさまった。何が問題だったのか?

この女性は、日頃から自分がとても敬虔で、一点の罪のくもりもない女性だと自称していた。前世の記憶に出くわしてみると、そこでは彼女は娼婦だったのだ。身を売っている場面が浮かびあがってきたとき、彼女の全存在が震えあがった。 現世における品性のすべてがかき乱された。

 

この種の啓示の場合、その光景は他人事のように見えたりはしない。貞節をふれまわっていたその同じ女性が、いまや娼婦としての自分を見るのだ。前世では娼婦だった人間が、つぎの生では徳の高い人 間になるというのはよくあることだ。前世での苦悩に対する反動だ。その女性を貞節な女性にするのは、 前世での苦痛と傷の記憶なのだ。』

(死・終わりなき生 /オショー・ラジニーシ/ 講談社P74-75から引用)

 

大悟覚醒とは、個人から全体への逆転のことだが、全体とはあらゆる生物無生物の現世記憶も過去世記憶も生も死も背負い込むということ。そのためにそれを受け容れるだけの心のキャパシティが必要となる。

ところが、未悟の者は、そんなことが起これば発狂しかねないから、自分の今生のことで、なおかつ自分が耐えられる出来事の記憶だけを持って生きることが多い。自分が耐えられない出来事は忘れるという素晴らしい機能があるから、平安な心を維持もできる。

この説明だけだと、悟りに向けて心(マインド)の受容力を増大させる冥想修行の方向性は、わたしの過去世記憶もあなたの過去世記憶も受け入れることができるようになることだと思いがちだが、そうではない。OSHOバグワンは、わたしもあなたもない先に大悟覚醒があるのだと説明している。

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意志力と餓鬼

2024-08-08 06:50:17 | 時代にFace it

 ◎女子レスリングのビネシュ計量失敗

 

レスリング女子50キロ級絶対女王須崎優衣を破り、決勝に進んでいたビネシュ(29歳=インド)が計量失敗で失格した。何でも前日に2,3キロの食事をとって、その後すぐに減量を開始、血を抜き、サウナで水を抜き、髪を切るという窮極の技を繰り出したが、150グラムオーバーしたらしい。

 

レスリングでもボクシングでも柔道でも試合前の減量のつらさのことはさらりと触れられるが、あまり詳述されることはないが、飢えというものがいかに恐ろしいものか痛感させられるシーンなのだろう。

 

昔、知り合いの二人が名古屋の方にあるという断食道場に行ったが、断食道場終了後に外に出た途端、甘いものやら、炭水化物ものやら食べまくり、餓鬼道に堕ちたと口をそろえて語っていたことがあった。ビネシュ選手も餓鬼道に一瞬落ちたのだろう。

 

身近な餓鬼と言えば、地域猫、野良猫。これは、本当に食べないと死ぬので餌をあさって、最近ではなくなったが、生ゴミの日は猫が餌をあさる姿が定番だった時期もあった。しろちゃん亡きあとも何匹か野良猫がえさにやってくる。ホンチャンの餓鬼はこちらの方である。

子供食堂の拡大は、親の貧困が原因。この25年株価だけが上がったが、親の所得は伸びないという政策をとってきた結果である。最近は夏冬のボーナス支給額が大きなニュースにならないが、非正規などそもそもボーナスが出ない人の割合が多いことにマスコミも気づいたか。

 

禅では、食事の際、食前に3粒程度のご飯粒を餓鬼道に落ちた餓鬼に施す。人は自分の髪の毛一本白くも黒くもできないように自分で自分の食欲をどうすることもできないこともある。いわんや餓鬼をや。モーセが泉を打ち出した奇跡もその伝。

 

実は、自分の食べ物写真をネットに上げるのも似たようなものである。ネット経由で時空を超えて存在する餓鬼が食するのだろう。

出口王仁三郎は、こうして上げた食べ物は、不味いと指摘している。

 

ともあれ須崎優衣さん銅メダル獲得おめでとう。パリ五輪は、選手村の食事、コロナ?の蔓延、審判の問題など課題満載である。

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天には平和、いと高きところには栄光あれ

2024-08-07 05:28:28 | イエスと救世主たち

◎石ころも叫ぶ

 

イエスがオリブ山の下りの道をろばに乗って進んで行くと、イエスの弟子たちと群衆が言った。

『「天には平和、

いと高きところには栄光あれ。」

ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「師よ、あなたの弟子たちを黙らせなさい。」

答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。』

(ルカによる福音書19/38-40)

 

天には平和、これは天国のポジティブ面をことほぐ。

いと高きところには栄光あれ、これは神そのものを賛美しているのであって、天国と地獄を超えている。

パリサイ人は、神の子あるいは王を自称するイエスのことを不遜であると思って、黙らせよと要求したが、天意、神威は、そのような抑圧で抑えられるものでなく、人間の最奥から噴出する強烈な情動として叫ばれたものだった。

 

最近は、ややもすれば朝から寝るまでスマホで頭をやられ、常に地獄的な世界観に向きあい、時には天国的なもので癒しを受けるが、最深部には、天国も地獄も凌駕する神の栄光がある。

 

このように人間の生きる環境が厳しければ厳しいほど、人間はかえって神の正義、神の栄光を希求するものである。イエスとの道行きにそれが噴出したのだ。石ころも叫ぶとして。

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人間とは、連続的に気づいている意識だ

2024-08-06 03:22:47 | 覚醒のアーキテクチャー

◎飢えや渇きを感じている肉体を観照している自分

 

一般に人は、自分の肉体と同一化して生きている。そこでOSHOバグワンは、人間は、飢えや渇きなど、自分の肉体に起きていることについて、連続的に気づいていることから、『人間とは意識、連続的に気づいている意識だ。彼は体験者ではない。単なる知る者だ。』(死ぬこと生きること/OSHO/市民出版社P204から引用)と述べる。

飢えや渇きを感じている行為者は、自分ではなく、「飢えや渇きを感じている肉体を観照している自分」こそが、本当の自分であり、連続的に気づいている意識だとOSHOバグワンは、言う。

 

肉体を観照している自分とは、エーテル体もアストラル体も、メンタル体もコーザル体も観照できるに違いない。なぜなら肉体からコーザル体は自分の個なるボディだからだ。よって、肉体を観照している自分とは、世界全体、宇宙全体である自分ということになるのだろう。『肉体を観照している自分』とは、個なる自分がドッペルゲンガーみたいに別にどこかにあるかのように誤解させる言い方だと思う。

 

イエスは、十字架にはりつけになった時、痛いとか喚いたりしなかった。スーフィの聖者ホセイン・マンスール・ハッラージも手足を切断されても痛いとか苦しいとか叫ばなかった。神奈川の慧春尼は、火のついた薪の上に坐っても熱いなどと言わなかった。痛みに苦しんでいるのは、自分の本体でなく、自分の一部である肉体に過ぎないと承知していた。三者とも『観照している自分』がいたからである。

 

OSHOバグワンは、自分自身を笑うという言い回しをすることがあるが、それは、他人ではなく自分自身の目撃者あるいは観照者になるということである。

それは、見神、見仏、見性なのだろう。見ている自分を残しているから。

なお、連続的に気づいている意識には、気づいていない隙間が断続的に存在している。

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蜀からきた錬金術士輔神通

2024-08-05 03:13:45 | 人と神の「実際のところ」

◎黄金変成の素材は入手したが、本人には何も起こらなかった

 

輔神通という者が蜀に住んでいた。幼くして孤児となり、人の牛を追って生活していた。牛追いのたびに、一人の道士とすれちがうので会釈をするようにしていた。そんなことが数年も続いたが、ある日、その道士が「わしの弟子にならないかね」と声をかけてくれたので、輔神通はすぐに応諾した。

 

道士は輔神通を連れて、「これから滝の中に入るから、わしの後についてなさい。こわがることはない。」といって、滝の中に入った。中には凛として清潔な部屋があり、薬袋と錬金術の竈があった。ベッドの下には「大還丹」(最高の金丹)が多数置かれていた。ここで輔神通は竈の火の番をさせられ、錬金術士の見習いとなった。

三年が過ぎ、彼も二十歳をすぎ、人の世が恋しくなってきた。そこでちょうど道士がいない 間に還丹を一つくすねて、別の場所に隠しておいた。道士が帰ってきてすぐにばれ、還丹をどこにやったか問い詰められたが、輔神通は白を切りとおした。

道士は歎息まじりに「わしはおまえに道の枢要を伝授してやろうと思っていたのに、こんなことでは、とても授けることができない。」といって、彼を他の信者達の手で追い出させた。 放り出された輔神通は大喜びで、洞穴にそってくねくねと進み、腹が減ったら還丹をかじりながら、七十日もかかってやっと人里に出た。

 

その後、何年かして世間が嫌になって例の道士を思い出すようになった。風の噂では、あの道士は 蜀の開元観に出入りするらしい。そこで願い出て開元観に道士として配置してもらった。あの道士が来たと聞くや、すぐに出て行ってみたが、つかまらない。また奥の院の小僧に大枚百金のチップを払って、あの道士が来たら走って連絡に来いと言いつけたが、それでもダメだった。 結局彼は例の道士にお詫びすることも、道の枢要を授かることもできなかった。

こんな道士だったが、蜀の知事の推薦で宮中に招かれ、玄宗の御前で「錬金術」の実演をした。土鍋で水銀を煮て、少量の還丹をそれに投じると、あっという間に黄金に変異した。玄宗はその錬金術を教わりたいと思っていたが、安禄山の乱でできなくなった。 (「太平広記』巻七二所引『広異記』)

 

これは、西洋錬金術のエピソードにも時々あるパターンで、本人には錬金の技量はないが、何かの拍子に手に入れた賢者の石(還丹)でもって黄金変成を何回か実現してみせるが、遂には還丹はなくなって元の黙阿弥に戻る話。

輔神通は、学識もなかったが、道士の方から人を見て、弟子に採用することはある。彼は還丹という錬金術の粋を入手できる立場にあったが、みすみす我欲の実現に消費してしまった。

道士からすれば、読み筋どおりだったのだろうが、いつか輔神通が黄金変成のテクニックを得る来世もあるのだろうと思っていたのだろう。輔神通と道士の縁はこれで切れ、今生で二度と会うことはなかった。

 

輔神通は世間がいやになったが、それはすべてを捨てる第一歩目の動機として貴重なことである。だが、正しい師に出会う縁は今生では終わっていたのだ。

輔神通は黄金変成が実在する技術であることを確認し、それを操る師にも出会うことができた。だが、その秘伝については、後一歩に迫りながら、授かることはできなかった。

 

正師の居所に侍者としており、還丹というエビデンスまで得ながら、輔神通はそのチャンスを浪費した。起こることは起きたが、何が起きているのかわからなかったということはある。

輔神通は、蜀に恵まれない境遇に生まれたものの、得難いチャンスにも遭遇したが、十分にそれを生かしきれぬ一生だったけれども、あまり他人の事とも思えない部分はある。

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神はどこまでIT、科学をお残しになるか

2024-08-04 06:35:17 | 覚醒のアーキテクチャー

◎愛の代用品としての白狐あるいはホワイト・フォックス

 

私が小学生の頃は、科学の発達により、食料がある程度増産されれば、人間も国家も食料を求めて相争うことはなくなり、自ずと世界平和に向かうのだろうと漠然と考えていた。

昭和39年の東京オリンピックを一つのエポックとして私の育った東北の農村は、細かく不整形だった田んぼが一区画が大きいものに、町村全体で耕地整理され、それ以後泥鰌もほとんどいなくなり、夏の闇夜の夢幻であった蛍は、ごくわずかにしか見られなくなった。

日本経済の高度成長は既に始まっていたが、東北への恩沢は、この頃から狂乱物価の昭和48年頃までの短い期間だったのではないかと思う。

 

それから50年経過して、世界は相変わらず食料の分捕り合いを繰り返し、金の奪い合いはIT、科学の発展によりなくなるどころか、ますます瞬時に狡猾巧妙に大規模に行われるようになった。そのあげく少ない神の賜物を平等に分けて神をことほぐとういう敬虔、謙虚な風は広く失われ、巨富であることを持ち上げ誉めそやすという奇怪な風が世に蔓延するようになっている。

 

日々刻々、神を感じ、神に帰り、神を知りつつ日常の営みを行うという人間として当たり前のライフ・スタイルは絶滅に瀕しており、片手にスマホをもったばかりに、神に立ち帰るタイミングも失い、まともな思考すらできない人間が大多数になりつつある。

 

出口王仁三郎は、科学の発展の結果は、大峠以後は、通信の一部だけが残ると言った。他のいわゆる火力文明の科学の精華はほとんど残らないのだ。

 

なぜなら火力文明下の科学は、それ自体白でも黒でもないが、黒の側への悪用が過ぎた結果、あまりにも神から離れる方向に使われ過ぎてしまったからである。

それについて、ダンテス・ダイジは、白狐あるいはホワイト・フォックスについて、それが人類の一半に不幸な結末を招いたことについての慨嘆の詩を残している。白狐あるいはホワイト・フォックスとは、お稲荷さんにして、科学であり、ITであり、生成AIであり、最先端の科学技術の粋である仮想通貨や軍事技術のシンボルのことである。

白狐あるいはホワイト・フォックスは、元々はそれを利用して人類全体が、天国も地獄も超えた真の幸福に至るための道具になるはずだったが、いつのまにか人類全体を不幸にする道具と成り果てた。テクノロジーはそれを用いる者の善悪は問わないからである。GAFA(Google,Apple,facebook,Amazon)の問題は、こうしたあらゆる問題の集大成でもあるとも感じられる。

 

白狐あるいはホワイト・フォックスは、もともと天国の眷属の一部ではあったはず。

 

『白狐。

 

所詮、おまえの神通力も、

愛の代用品に過ぎない。

 

そして、

いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時、

ホワイト・フォックス 

おまえに一体、

何ができよう。

 

快適で豊富なる暮らしの神。

聖なるマンモン。

 

白狐。

もう、

おれは、

おまえについて、

どんな判断もしやしない!』

(ダンテス・ダイジの老子狂言から引用)

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秦の始皇帝天下統一後は神仙を求める

2024-08-03 06:49:04 | 人と神の「実際のところ」

◎始皇帝もみじめで情けないままに死す

 

スポーツ・ヒーローも芸能アイドルも公的部分を除けば、みじめで情けない只の人であることに変わりない。

秦の始皇帝も天下統一後は、人生上でクリアすべき問題は、みじめで情けない只の人である部分であったため、それを神仙の道に求めた。

始皇帝は、廬生の神仙についての説明を聞いて、水に入っても濡れず、火に入っても焼けず、雲気を凌いで、天地とともに長久である神人を、羨んでやまず、以後朕と称さず真人と称することにしたほどであった。

この羨望の方向性は、天国的なものであって、真正な求道の道から言えば初歩的だが、正統な人間精神の発達過程ではある。欲望満足が極大に至って自我は極大化し、英雄の夢は破れるのだ。

始皇帝は、金と権力に飽かせて、封禅などの儀式を各地で行い、仙薬を求める探検隊を海上に出したが、結果は不調に終わった。

 

廬生は、始皇帝に、「隠棲し、お忍びで歩き、他人に動きを知られないようにし、悪鬼を遠ざければ、真人が降臨し、不死の霊薬を入手できる。」と吹き込んだ。すると始皇帝は、咸陽の二百里以内にあらゆる宮観(道教寺院のこと。帷帳、鉦鼓、美人を完備)に通ずる渡り廊下を建設し、他人にも神や鬼(霊のこと)にも動きを知られずに出入りし、いつでも泊まれるようにした。その上、始皇帝の泊っている場所を洩らした者は死罪にした。ある時、丞相に始皇帝の泊っている場所が洩れたのがわかり、始皇帝の随従者全員を拷問にかけたが誰も白状しなかったので、全員を死罪にしたら、以後情報漏洩はなくなった。支那の情報統制は、2千年前も今も変わらない。

 

始皇帝の失敗の原因は、自分で正師を見分けることができなかったことと、すべてを捨てる覚悟にまで進まなかったことが挙げられる。周辺に正師もいたのだろうが、天国的なものにこだわりを残す限り先には進めない。老荘ですら、普通に読めばすべてを捨てるシーンが求められることがわかるのに。ジャンプアウトできなかったのだ。

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一生の使い方

2024-08-02 06:17:55 | 冥想いろいろ

◎資金運用と黄金への修行

 

西洋錬金術ものを読むと、錬金術実験の資金を得るために貴族や王に金の無心をするが、大体実験はうまく行かず、詐欺だとそしられるシーンが多数出てくる。

錬金術師の側から言えば、一生の半分を資金調達に費やし、うまく資金ができても大体成功はせず、遅くとも一生の終わりごろには、経典の読み方を誤っていたのか、師匠の教えが悪いのか、実験の回数が足らなかったのかなどと悩むことになる。

一生を黄金変成という冥想修行に使うか、金集めに使うか。

 

中国の有名錬金術書抱朴子の著者、葛洪は金丹の真経を手に入れたあとで、「わたしは それを手に入れてから、もう二十数年になる。だが少しの財産もなく、実験のしようがなく、長嘆息するだけである。櫃にあふれるほど黄金を積み、山のように銭を貯めた人は、逆にこのような不死の法があることを知らない。たとえ聞かせてやっても、万に一つも信じる可能性はない。どうしようもない」と慨嘆している(「抱朴子」「金丹」)

 

金が必要だからといって、資金運用、財産形成をメインに活動していけば、大金ができた頃には、人間にとってもっとも大切なもの、真の幸福が、金ではない方面にあることなど思いも及ばなくなっている。

 

唐代以前の王侯貴族は、資金面にも生活面にも不安はなかったから、最速の修行期間で大悟覚醒できる方法として外丹、金丹の服食の方法を選ぶ人が多かった。ところが、ほとんど失敗におわり、重金属中毒で死んだ人が多かった。

冥想修行の分類としては、外丹あるいは金丹の服食は、近道には見えない。それがソーマだとすれば、ソーマの効能が切れた元の黙阿弥をどう克服するのかという謎もあるし、そもそも服用以前にすべてを捨てる準備ができていなければならない。

すなわち当時の道士たちからは、金丹の服食が一気に登仙することができ、成仙の簡便かつ適当な近道だと推奨されていたが、そんな道士は本物ではなかった。そういうエピソードは、唐代だけでなく、秦の始皇帝にもいくつもあった。

中国歴史ドラマは、戦争と謀略・陰謀と愛欲がメインだが、まず金丹の服食の話題は出ないが、王侯貴族の主たる関心事は、実は金丹だったのだ。

 

ブランドに価値があると思っている現代人ですらその価値の本質は価格ではなく、精神的なものであることを知っている。だからこそ現代人は日々、冥想修行が第一なのだ。

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不死の薬を飲みそこねる

2024-08-01 03:31:29 | 無限の見方・無限の可能性

◎羿(げい)と楚王

 

中国には、長生術というのがある。もののあはれが染みついた日本人は、長生きしても寝たきりになったり介護されるのはたまらないので、長寿もそこそこにと思うのも人情である。だから中国人が長生術と言って専ら寿命の長いのをよしとするのは奇妙なことだと思う日本人は少なくないだろう。

ところが中国でいう長生は、意外にも不死のことなのである。

 

『羿(げい)が、死をつかさどる神である西王母に不死の薬をねだってもらい受けた。ところがある日、妻の嫦娥(こうが)が不死の薬を盗み出して、早速服用して飛昇成仙し、月に逃亡した。これを知った羿は追いかけるでもなく、ただがっかりして茫然自失し、がっかりして死を待つばかりとなった。』(「淮南子」「覧冥訓」)。

月というのは、異世界ということを強調するもので、西洋オカルト本で金星人とか火星人とか木星人が単に異世界であることを強調するのに力点があるのと同じ。霊界、天国止まりではあるまい。

 

似た故事がある。

『春秋戦国の末期、さる客人が楚王に不死の薬を献上した。 取次ぎの役人がそれを持 って奥に入っていくと、宿衛の士が「食べてもいいですか?」ときいたので、「いいです。」と答えると、宿衛の士は、奪い取って食べてしまった。王は非常に立腹し、その宿衛の士を殺させようとしたが、王に弁解するには、

「私は取次ぎ役が食べてもいいというので食べました。

もしこの不死の薬を食べた私が殺されるのであれば、客人の献上したのは、実は死の薬であったことになる。そうなると客人は王をだましたことになる。

楚王が客人に騙されたという外聞の悪いニュースが公表されるよりは、私を許した方がよい。」

楚王はそれを聞くと殺すのをやめた。』

(韓非子/「説林(上)」)

 

不死の薬は、ソーマのこと。

死においては、財産も名誉も家族も愛人も人間関係もすべて喪失する。不死の薬を服用できさえすれば、そのリスクを永遠に回避できると、持てる者は思う。

持てる者とは、天国をベストとする考え方なのだと思うが、天国は天人五衰であり、結局永続するものではない。

財産も名誉も家族も愛人も人間関係も不変の生活は、実は退屈きわまりないものであり、それは真の幸福、永劫不壊の歓喜とは異なるものなのではないだろうか。

既にこの世の世俗面での充実というものが何かを知っている楚王は、そこに気がついていたのだろうし、羿の妻の嫦娥は、ソーマを服用して飛昇成仙という名の大悟覚醒を遂げたのだと思う。

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