唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

藩鎭と軍乱 河東節度使その2

2013-06-22 13:41:56 | Weblog
④.元和10年河東將劉輔等が豐州刺史燕重旰を殺した。節度使王鍔はその一派を誅して平定した。
事件の詳細は不明である。

⑤.會昌年間回紇帝国が崩壊し、残存勢力が南下し天徳・河東・幽州を犯した。節度使劉沔はこれを
撃破したが、幽州張仲武と功を争い、3年義成節度へ転任させられ、旧宰相の李石が後任となり、
昭義劉稹の鎮定にあたったが、4年正月都將楊弁が待遇を不満として反し、石を逐った。
しかし監軍呂義忠や都將王逢等がこれを鎮圧し、弁は誅された。

その後、大中・咸通年間を通じて文官や二流の武官が赴任し、牙軍の規律は弛緩し、北部には蕃族
が多く盤踞するようになって行き、乾符年間には軍乱が頻発するようになっていった。
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