一昨日、母とまだ意志疎通できることに励まされた。
昨日、行ってみると点滴のパックが増えている。
栄養補給かしら、ほんの少ししか食べられないから栄養が足りないのだろう。
母さんと呼びかけると、すぐに目を開けた。
何だか元気そうに見える。
手を伸ばしてベッドの柵をつかもうとするので、起き上がりたいのかと思い、
頭のほう起こそうか?
ときくと、首を振る。
おしっこと言うので、したいの?ときくと頷いた。
すぐに看護婦さんに伝えると、病室のドアを閉めて処置してくださった。
本当は、歩いてトイレへと行きたいだろうけれど、そうはいかない。
この日の母は、よくおしゃべりをした。
でも、悲しいことに、入れ歯を外しているので聞き取れない。
入院して初めての食事の後、洗浄のため外したきり二度と入れたくないという感じで
拒否したのだそうだ。
「ごめん、入れ歯してないからよくわからないの。入れ歯する?」
ときくと、即座に首を振る。
やっぱりね。
「〇×△~」「え、何?」
何度かそれを繰り返して、最後は母が諦めてしまう。
入れ歯がないだけでなく、舌や唇の力も弱っているのだろう。
わかってあげられない私自身ももどかしい。
でも、こんなに元気なら先日見かけた患者さんのように、少しの間でも車いすで
お散歩できるような気がする。
あの患者さんも、車いすに点滴のパックをつけていた。
看護師さんに訊いてみると、
「うう~ん・・・実は昨晩から食事が摂れなくなっていて、点滴に切り替えているんですよ。
体調がよくないので・・・もう少し回復してからにしましょう」
と、申し訳なさそうに言われた。
そうか、元気そうに見えるのは点滴のせいなのだ。
ほんとうは、体調は良くないのだ。
「食べられなくなると鎮痛薬が飲めなくなるので痛みが出ます。
そうすると、点滴で入れることになります」
入院時にそう言われたことを思いだした。
明日は点滴のパックが更に増えているかもしれない。
それでも、本人が多少とも元気に見えるのは嬉しい。
聞き取れなくても、会話らしきことができるのも嬉しい。
今夜、息子が帰ってくる。
おばあちゃんがまだ意識があるうちに、会わせておきたい。
しばらく会っていなかったから、わからないかも知れないけれど・・・
言いたいことが伝わらないのはお互い辛いですね
私も父が亡くなる前日父が何度も伝えようとして結局伝わらず諦めて目をつぶったときの顔が今だに忘れられません
未だ手を動かせたときは定型の「水が欲しい」「トイレに行きたい」「痛い : 腰・足・胸」や「アイウエオ…」を紙に書き指さしで会話しました
病院に通っていると次第に親の死に「諦め」でなく「納得」が行くようになるのが不思議でした
いやいや良い娘さんですよ
私の近所に奥様は寝たきり旦那様は抗がん剤治療でやっと歩けるかと言うご夫婦が居らっしゃいますがお子様方はほとんど来ることはなくはたから見ていても悲しくなります
貴女は「今のこんな気持ちをお母様が元気なときに」とお思いでしょうがお母様が貴女を必要としているときは今
だから十分に間に合っていますよ
貴女のただ一人の弟さんも良いお姉さんを持ったととても感謝していると思います
「何故分かるか 」 それは私がちょうど貴女の弟さんと同じ立場だからですよ
これは良い方法ですね。
ただ母は目のほうもはっきりとは見えていないのではないかと思います。
>病院に通っていると次第に親の死に「諦め」でなく「納得」が行くようになるのが不思議でした
ほんとうにそうですね。
その時に向かって弱って行く姿を見ていることで、親の死を受け入れられるのですね。
ほんとうに私は薄情な娘なのですが、そう言っていただけて嬉しいです。
今思えば、仕方がなく付き合った旅行も行って良かったと心から思います。
弟がどう思っているかわかりませんが、彼なりに苦労をしているところなので、面倒なことはできるだけ引き受けてやりたいと思っています。
でも、仏壇を引き受ける覚悟だけはしてもらっています。
点滴のおかげかもしれないけれど
少しでも元気になっている様子なのは
読ませていただいていているだけの私でも
とてもうれしいです。
静かで穏やかな空間だけでいいと信じます。
そういう時間の中でお母さんも喜んでいらっしゃると思います。
息子さんもやさしい~
母のことを少しでも記憶に残しておきたくて書いています。
楽しい話題なら良いのですが・・・。
母の体調はその日によって、ずいぶん違います。
良かったり悪かったりしながら、だんだん弱って行くのかなと思います。
明日は息子を連れて行きます。
母の変わり方にショックを受けるかもしれませんが。