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或る陸軍軍人の戦後(建築家編)

2011-11-20 | 陸軍

           

元陸軍士官N氏の戦後のお仕事、建築についてです。

N氏は、建築業界の重鎮。
M社で(仮名になってないかな)建築設計を手掛けてきて「僕が作った」と軽くおっしゃる建物の中には、
横浜ランドマークタワーの名前があります。

皆さん、横浜ランドマークタワーが、先の地震の際どうだったかご存知ですか?
あの地上70階の超高層ビルが、「気持ちよく揺れた程度」だったということを。
みないみらい21の、同じ地区にある美術館やその他のビルが揺れで大騒ぎになり、
そこの人たちはランドマークタワーの11階にM社が設けた階避難所に避難していたそうです。

そして、その驚異の耐震構造について、関係各方面から驚きの声があがっており、
かつ具体的な質問なども寄せられているのだそうですが、N氏の答えは

「俺が作ったんだもの」

このランドマークタワーは、N氏が50歳のときから実地設計を手掛けたもので、
勿論ご存じと思いますが、日本にある最も高い超高層ビルです。
ランドマークタワーの基礎は神奈川県中のコンクリートミキサーを動員し、
のべ11万台分のコンクリートを三日三晩打ち込んで固めてあります。
コンクリート打設の際に出る熱のケアもしながらの大工事だったのですが、
「でも、そんなのは図面にでない」のだそうです。

「最近の建築は、ほら、丸の内の、あのビルはもう揺れて揺れて大変だったらしいけど」

今年の2月。
N氏がご自身で設計された「あすかII」の船旅でシドニーからニュージーランドにいざ向かわんとしたとき、

先のニュージーランド地震が起こりました。
危うく難を逃れたあすかIIはニュージーランドへの寄港を中止し、日本へ向かったのですが、

その航路途中でN氏は東北・宮城沖大震災の報を受けます。

そしてとりあえず連絡を取ったランドマークタワー関係者の
「気持のいい揺れでしたよ」
と言う言葉を聴き、ご自分の「作品」の堅牢さにほっと一安心したそうです。

「ランドマークを掴めたら、それを持って地球を振りまわすことができるくらい丈夫」
という噂を聞いたことがありますが、この噂の根拠はこの基礎工事だったのですね。
因みに、みなとみらいは地盤もしっかりしているので、液状化は心配ないそうです。
ですから、横浜の皆さんは地震になったらランドマークタワーに逃げるといいかもしれません。



さて、陸軍とタイトルが付いているのでつい見てしまった、と言う方のために少しそういう話題を。

ランドマークタワーの高さは、横にするとドックヤードに入る貨客船の長さくらいです。
この計画があったとき、空地制限上70階のビルは許可できない、というお上との攻防がありました。
日本一の高さのビルを作ろうという計画に対し、あくまでも規則を盾に首を縦に振らない役所。
しかし、ご安心ください。
その「お上側」に、N氏の陸軍士官学校の同期がいることが判明。

もうお分かりですね。
話はとんとん拍子に進み、現在みなとみらいにそびえるランドマークタワー建築計画が、
このとき決定の運びとなったのでした。

海軍兵学校や、勿論陸軍士官学校卒業生も、戦後の高度成長期の日本の中枢で、
その発展の中心を担ってきました。
この日N氏が少し語った「陸士出身の知人」はいずれも錚々たる財界人ばかりです。



このN氏との会合について、息子は興味津々でした。
「ねえ、今日あの人と会ったの?」
「え?誰」
「ランドマークの人」

N氏のチームは「政府極秘の建築」も引き受けているのです。
政府極秘ゆえ、詳しくは書きませんが、そのプロジェクトは例えば

防衛庁、国会議事堂

ここが実はどんな仕掛けがあるのか、・・・・ああ、書きたい・・・・が書けない。

と言うようなことも聴いてしまいました。
スパイ大好きの息子は、こんな話に目を輝かせて聴き入り、
しかし、こう言うのも忘れませんでしたよ。

「それ、ブログに書いちゃだめだよ」

息子はわたしがブログをしているということだけ知っています。
・・・・わかってますって。
この分だと、息子にはわざわざ口止めしなくても大丈夫そうですね。


この建築家としてのN氏の話の中で、最も響いたのは、原発の話でした。
「津波じゃなくて地震で壊れてたって、いったい何たることか、っていうんですよ」
何かを建造するとき、建築の専門家なら当然地盤の歴史から調べ、そこがどうなっているかを判断したうえで、
例えばランドマークタワーにみられるような、その建物に応じた補強耐震対策から入るものなのです。
しかし
「最初から専門家なんて、一人も入っちゃいなかったんだよ。今回の(福島の)対策チームにも」
肝心の地盤について、そしてそこにどのような建築の基礎を穿つかについての専門家が一人もいないとは。

確かにこれは恐ろしい話です。
原発が実は砂上の楼閣であったなんて、シャレになっていません。
原発関係者のうち一人でも、自分の身の回りだけの責任を継ぎ合わせてものを考えず、
タテ割りの分業でなく、全体を見通す視点を持っている責任者がいたら、
候補地設定の段階、そして建築基礎の段階でもう少しましな選択ができたということではないのでしょうか。



地震と言えば、先日、日本建築学会が東北の歴史的建造物の復旧や資料を保存するために、
活動を始めた、と言うニュースを11月9日(水)7時のNHKニュースで観た方はおられませんか?

その日の昼、エリス中尉は、まさにその「会長」であるところのN氏からその話を聴いており、
当日夜のニュースを見てそのタイミングに驚いたものです。
なんでも、文化庁を巻き込んで、古文書の復元やら、現地の古老に話を聞くところから始めるそうで、
それに必要な費用概算、400億。10年にわたるプロジェクトです。

その会長にされたN氏、
「後2年で勘弁してくれって言ってんだよ。オレ」
しかし、
「仕事させといたほうが長生きするから」やめさせてもらえないのだとか。

N氏のかかりつけの医者は「88まで大丈夫」と太鼓判を押しているそうですが、
わたしの見たところ、後10年はたっぷりお元気でおられると思われます。

「こう言う話が聞きたいって言ってくれたら、資料持ってくるよ」
と言ってくださっているので、陸軍についてもう少し(急いで)勉強してから、
もう一度お会いしたいと思っています。


しかし、間近でお会いするN氏のの、老人と思えぬ生命力の強さ、眼の輝き、闊達な口調。
「かっこいい老人っているよなあ」
イーストウッドの「スペース・カウボーイ」について書いたこの文句が、そのまま浮かびました。

次回は、そのN氏が見た終戦についてです。