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三島由紀夫の「悪趣味」

2011-11-24 | 映画


三島由紀夫にまつわる映画について何度か語ってきました。
「いわゆる三島由紀夫的なもの」のヴェールを剥いでいくような書きぶりだったので、
もしかしたらお読みになった方は、わたしが太宰治に対して持っているような否定的な見方を、
三島に対しても持っていると思われたかもしれません。

しかし、三島の本質を知ろうとすることと嫌悪を感じることは決してイコールではありませんでした。
むしろ、世間一般の三島に対するイメージだけでは語れない部分が、磁石のように意識を吸い寄せ、
かれに関する映像を探し出して食い入るように眺める日々が一時続きました。
愛憎といっては大仰すぎますが、決して敬愛したり心酔したくなるような高潔な人物ではなく、
むしろ「悪趣味」と言っていいほどの臭みが漂うその存在に、
注目せずにはいられない「何か」を感じてしまったのです。

同じ理由で太宰は否定するのに、何故三島には魅かれるのか。
太宰の自己演出が巧妙なのに対し、三島はあまりにも杜撰で馬鹿馬鹿しくすらあり、言わば
「馬鹿な子ほど可愛い」の心理かしら。
答えが出るような問題ではありませんが、またこうやって三島について語ろうとしているわたし(笑)。

本日画像は、江戸川乱歩作、三島自身の手によって戯曲化され、映画になった
美輪(丸山)明宏主演「黒蜥蜴」より。
人間を剥製にしてひそかに自分の屋敷に陳列している怪盗黒蜥蜴が、そのコレクションの一つである
「喧嘩で刺殺されたヤクザ者の剥製」に扮した三島を紹介するシーンです。
バックにはビアズレーの「サロメ」の絵が見えます。
この絵、実はわたくし恥ずかしながら、高校時代ペンで模写したことあるんですよねー。
一種の「中二病」ってやつだったんでしょうか。
美輪様、このカットではかなり写りが悪かったので僭越ながらかなり修正させていただきました。

そして。画面右側!
美輪様や黒蜥蜴ファンには身も蓋もない言い方になりますが、
ある意味エログロナンセンスの極みとも言えるこの映画で「死体役」を演じる、
文字通り悪趣味の権化である文豪三島由紀夫のお姿が拝めます。
カッと眼を見開き、死んだ時のままの形相で剥製にされている、美しい筋肉を持つ愚かなチンピラ。
三島に最初に映画のオファーがあったとき「こんな役をしたい」と注文を付けたという、
そのままの男です。

この後黒蜥蜴は剥製の男に接吻するのですが、リハーサルで寸止めにした美輪に
「どうして本当にしてくれなかったの?」
としつこく聞いて嫌がられたという素敵エピソード付き。

このとき三島は一生懸命死体を演じているのですが、立っているので、ぐらぐらと身体が揺れてしまっています。
このちゃちな演出が、演劇ならともかく加工のしようのない当時の映像では、
より一層映画の胡散臭さに追い打ちをかける結果になってしまっているという・・・・。
はっきり言ってここでの三島は滑稽です。
何を思ってこのような、文学者としての名声をゴミ箱に捨てるに等しい愚行に走ったのでしょう。


夏にアメリカで購入した
「MISHIMA-A Life In Four Chapters」という、
コッポラ&ルーカス製作総指揮、緒方拳主演の映画について一度お話ししました。
日本では発売されていないというそのDVDのパッケージがこれ。

 

何だこの仏壇の内装のような金襴緞子な装丁は!
と思われたでしょうか。
4つの三島の顔(軍帽、戦闘機のヘルメット、剣道の面、能面)をあしらったりしているのですが、
このキッチュな装丁は、おそらく日本的なもの=侘び寂びとは対極なものを、
パッケージを手がけたアーティストがこの映画の中に見たということなのでしょうか。

それもそのはず、この映画の中にはいたるところこの悪趣味でちゃちなテイストを強調した
演出がなされているのです。
 

劇中劇で挿入される3つの三島作品の部分では、登場人物は「書き割りのようなセット」
の中で演技します。
そのセットを歩くとき、ベニヤを踏む音まで聞こえるのです。
左は政府高官を暗殺するべく密議する学生たちのいる部屋。
この後、ふすまが四方八方に飛び散り、彼らは捕えられます。
右は金閣寺。
高さはせいぜい3メートルほどの、いかにも舞台の上のような作り物で、図のようにパカッと割れます。
 

この悪趣味ふんぷんたる美術を手掛けたのは石岡瑛子
マイルスデイビスのレコードジャケットなどでグラミー賞、映画ではアカデミー賞の受賞歴があり、
日本では昔のパルコの美術を手掛けたこともある世界的に有名なアートディレクターです。

石岡はこの映画の演出を依頼されたとき、一度は
「三島という人物そのものがあまりにも悪趣味で共感できない。とても引き受けられない」
と言う理由で断っています。
しかし、監督のシュナイダーは
「貴女がミシマに対して感じるその悪趣味を映像の上でかたちにしてほしい」
と言って彼女に演出を引き受けさせたとのことです。

その逸話を知ってから見ると、もはや確信犯とでも言うべき趣味の悪さがこの映画には横溢しています。
 鏡子の家の主人公、

親の借金のために醜い女金貸し(李麗仙)に身体を売り、
サディスティックに身体を切り苛まれる美貌だけの男を沢田研二が演じています。
この売れない演劇青年の与太者風アロハ。下は白のズボンという念の入りようです。



冒頭シーンできんきらカップのコーヒーを飲みつつ決行の朝を迎える三島。
このガウンがぴかぴかのナイロン製。いかにも着心地悪そうです。

ちなみに、一連の写真の上部にアパートのランプが写りこんでいて、この写真も
三島の頭から何か生えているように見えますが、撮っているときは気付きませんでした。
どうせこんな悪趣味なガウン姿だから()駄目押しでいいか~、ってことでそのまま掲載。

 

盾の会を「閲兵」する三島と、事件に加わった側近の会員。
映画ではこの軍服のことを人に聞かれた三島が
「ドゴールの仕立て屋に作らせましてね」
と答えており、これはピエール・カルダンであるかのように思わせ、
世間は今でも「カルダンデザイン」と認識しているようですが、
実際はカルダンに師事していた日本人デザイナーのことなのだそうです。

当時ピエールカルダンと言えば飛ぶ鳥落とす勢いのトップデザイナーでしたから、三島が
あえてカルダンと勘違いさせる言い方をしたのも意図的だったのかと勘繰ってしまいます。

こうしてみるといかに高邁で深遠な思想のもとになされたことだったとしても、
「盾の会」という三島の私設軍隊そのものが一言で言って「悪趣味」であったとしか思えません。

ところで右画像の隊員を演じた俳優、誰だと思います?
(ヒント:引越しのサカイ)

ここでもしもを言っても意味のないことではありますが、三島が生まれたのがあと50年、
せめて25年後だったら?
徴兵を逃れた疾しさに耐えることも、空襲警報に怯えたこともなく、
戦後の日本の変節も、敗戦のトラウマをねじ伏せるかのようなすさまじい経済発展も、
国民が総出で踊り狂っているような「昭和元禄」も知らなかったら。


三島は、自ら「醜い時代」と評した世の中の一本の奔流にあそこまで身を任せることもなく、
多くの選択肢の中からその鋭い美的感覚を頼りに注意深く選び出した行動によって
「趣味のいい文化人」としての一生を・・・・勿論自殺などすることなく、送っていたのかもしれません。
あるいは東大を出て官僚として堅実な人生を送り、社会的な実力者として充実の人生を送ったか。

それこそ、年老いてもその容貌と名声で「あのようになれるなら歳をとるのも悪くない」
と憧れられるような美しい老後を。

三島の悪趣味を、石岡瑛子はある場面でこのように表現しています。


学生たちの決起の場。
歪んで地面に傾いたままめり込んでいる鳥居。

これは、石岡瑛子の目に映った「三島の愛国心の形」なのだそうです。


あるいは思想に傾倒することなく、長生きして、歳をとって白髪のイケてるジジイ文化人になって、

「あの時の僕は、一種の中二病だったんでしょうなあ・・・ははは」
なんて若気の至り発言をしてほしかった。
まあ、晩年に若気の至りで人生の帳尻を合わせるような常識人の三島由紀夫であれば、
わたしもファンになったかどうかは甚だ疑問ですが。


・・・・・・え?いつファンになったんだ、って?

( ̄∇ ̄*)ゞ言ってみただけー