後楽園のネコ棚に展示収納されていたネコ。
なんだかネコの生活って気楽そうで羨ましいですね。
さて、怒涛の西日本旅行、遂に最終日を迎えました。
この岡山編は、旅行と言いながら「所用」だったりするわけで、ネコのようにきままに
「今日はもう疲れたからホテルの部屋で昼まで寝てよーっと」
というわけにはいきません。
だいたい我が家の旅行というのは基本このきまま旅なのですが、
相手方が組んでくれた「モスト・ポピュラー・サイトシーイング・プレイス」(なぜ英語)を
ただただ引き回されてなすがまま。キュウリがパパ。
向こうも「任務」ですから、自分が楽しいかどうかは問題ではなく、ただひたすら
「接待」という立場で気を遣ってくださいます。
その結果、この二日で岡山のおのぼりさんコースを全て制圧することができました。
巨大マツタケの一夜が明け、食後一時間で宿を出てまず向かったのが
ここ。
瀬戸大橋が開通してどのくらいになるのかは知りませんが、いまだに観光名所として機能しているようです。
この付近の島には、バブルの頃観光客を当て込んで建てたホテルの
「兵どもが夢の址」状態の廃墟が見られ、こういう「負の遺産」を観るのもまたおつな観光でした。
そして、ここで遭遇したのは・・・。 頭に車載せてるし。
というところからうっすらお分かりかと思いますが、これは「瀬戸大橋」なのです。
ゆるキャラの「わたるくん」。
フルネームは「瀬戸内わたる」。
今回の旅行でゆるキャラというものの地域における意義と言うか、意味と言うか、
そういった役目について考えさせられる事象にいくつか遭遇しましたが、
この「わたるくん」は、なんというか、生き馬の目を抜くゆるキャラ界のなかでも、特に脱力系?
いまこんなことになっているんですね、ゆるキャラって。
漫画、アニメ世代が社会の大半を占めるようになってしまった、ってことなのかも。
この後は児島の塩田王野崎武左衛門旧邸へ。
塩田事業で名をなした、超リッチな当時の豪邸。
よくテレビの時代物ロケが行われたりするそうですが、
お座敷や玄関などより、バックステージに興味がわくのは人の世のならい。
左から薪置き場、厠、防空壕。
風呂と火焚き口。
ここで「もうちょっとくべてくれ」「へい旦那」などという会話があったわけですが、
それにしても、トイレもお風呂も当然のように外にあり、灯りなし。水道なし。排水口無し。暖房なし。
極寒の季節、風呂に入るのは、そして夜厠に行くのは非常に億劫なことだっただろうと・・。
TOいわく
「もの凄い大金持ちでも、こんなお風呂しか入れなかったなんて・・・。
現代に生まれて本当に良かった」
100年後、現代の暮らしを資料によって知る人もおそらく同じことを言うのでしょうね。
ここの資料館で海軍的にちょっとした発見がありました。
この児島には海員養成所というものがありました。
1908年、この野崎家の子孫が還暦祝いに児島郡に5万円を寄付して
「児島商船学校」が作られたのだそうです。
その後、1939年、山本五十六海軍次官(当時)の力添えで児島海員養成所として再出発。
水産、船舶などの技術を学ぶ「海の男の養成」を手掛けてきたそうです。
1992年までは独法の海事教育機関として機能していました。
ここで皆さん、岡山と言えば何を思い浮かべますか?
桃?岡山城?桃太郎?
実はこの岡山、今や世界的に有名なあることがあるのです。
そう、ジーンズ。
いまや岡山のジーンズと言えば世界的に有名。
ブラッド・ピット御用達、などという話もあります。
「たかがジーンズなのに、何が違うんでしょうねえ」
「誰か仕掛け人でもいるんでしょうかね」
こんな会話を車中でしながら、観光目的で児島ジーンズ通りを訪ねてみました。
ジーンズ通りにある「桃太郎ジーンズ」以外にもKAPITALというブランドも有名です。
上画像はどちらもこのキャピタルジーンズのショップ。
ショップ。
ショップです。
えー、民家じゃないか、右は単なる立派なお屋敷の玄関じゃないか、と思われるでしょ?
このお屋敷は、靴を脱いで座敷に上がり、たたみの上に並べてあるジーンズを見せてもらいます。
売り方も斬新ですね。懐古趣味と言うか回帰趣味と言うか。
何故岡山でジーンズ?ということを少し説明すると。
1967年、岡山の染色屋が、家業の藍染めを発展させて工業生産用の工程を開発、
1970年、こちらは広島の染色屋が「忍耐1号」というインディゴ染色機を開発しました。
これらの開発を受けて、倉敷紡績のおひざ元、繊維産業の盛んであった児島、
そして広島の井原を中心に、国内のジーンズの一大産地が形成されていったそうです。
例えばこの桃太郎ジーンズは、その後中国産との価格競争まっただ中だったジーンズ製造界で、
レプリカメーカーであるF、D、E、D(みんなお分かりですか?)に製品を提供してきたのですが、
その後独自のブランドとして立つことを決定。
繊維の長さ、オリジナルのブルー、そしてあえて手間をかけてゆっくり織り上げる機械のの開発。
とことんこだわった手作りの「本物」を研究し、今日のプレミアム・ジーンズメーカーの地位を得たそうです。
そこまで職人の魂のこもったものなら、試してみたいではないですか。
そう、物を買うということは、何度か申し述べてきたように「縁」。
そして「日本人の魂のこもったもの」を作る製造者を、購入することで応援できるなら、
そのためだけにも、買う。
とはいえ、ジーンズですから、身体に合わなくては話になりません。
カピタルジーンズでいくつか試すも、気にいらず。
駄目もとでもう一度訪ねた桃太郎ジーンズで、「これぞ」という一本に巡り合えました。
スリムストレートの定番タイプ。
一本一本10年保障が付いており、お直しは無料。
試着のとき「あのー、苦しいんですけど・・足も曲がらないし」と言うと
「最初の1日はうっ血しそうにきついですが、身体に添って伸びます」
帰ってきた日、一日着用していたら、そのとおり、穿いていることを忘れそうなサイズになっていました。
ミネラルを含んだ瀬戸内海の海水と同じ成分を使用した水でワンウォッシュされているそうです。
これ、もしかして本当にすごいかも。
丈夫な袋に収納されていて、これだけ使えます。そして、女物には一つにつき一個、
手作りのシュシュがおまけに付いてくるのが嬉しい。
え?なぜ二つあるのかって?
旅の途中で着替えの無くなった息子のためにもう一本買ったからです!
子供サイズというものがないので、一番小さい女性用(といってもカッティングに違いは無し)
を試着させたら、出てきた息子を見てお店のお姉さん
「・・・・・・かっこいいですね」
「・・・・・息子、きみ脚長かったのね」
というくらい感動的に似合っていて、買ってしまいました。
TOがお支払いを済ませて店の外に出た後で
「記念だし、いいけどさ…子供の服なのに少し高かったかも」
「え、高かったんだ」
「これが安いわけなかろうが」(領収書見せる)
@@「・・・・・・・安くはないね」
「・・・・でも、良く考えて。これからほぼ毎日これ着て、着られなくなっても、下に3人いるんだから」
そう、うちは一人っ子ですが、息子の従弟は上8歳から末は去年生まれた一歳児まで、
これから10年間たっぷり着手がいるのです。
「10年間保証書期間中は誰かが着続けられるのだから、高くない!」
「そんなもんかしら」
「そう考えればそんなもんです」
この職人の魂とも言えるこだわりのジーンズ、どう変化していくのか楽しみです。
この後、倉敷と言えばここ、倉敷風致地区とアイビースクエア、そして大原美術館。
しかし、写真割愛。
割愛と言いながら、風致地区にあった北田証券の表にあった市況解説かわら版。
みんな「ほー」「達筆だねえ」と立ち止まって見とれていました。
本来の目的を知るために見ていた人がどれくらいあったかは、わかりません。
そして、この地区の立派な鯉がうようよしている疏水のほとりで
真剣に魚を取る方法を考えているサギ。
しかし、ざっと見ただけでも鯉の大きさに負けてませんか?
サギの方が引き摺りこまれてしまいそう。
この後、空港まで送っていただき、ヘロヘロになって羽田まで辿りつきました。
駆け足(時々立ち止まり)で旅した10日間。
いろんなものに巡り合えて、国内を旅することの面白さをあらためて知ることになりました。
これを読んでおられる方と、山口、博多、小倉、広島、呉、岡山のどこかですれ違っていたかもしれませんね。
(終)