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霧島温泉宿泊~与謝野晶子の宿

2013-03-17 | お出かけ

しばらく殺伐とした話題が続きましたが、
実は霧島温泉に行ったのももう2週間前。
せっかく良質の温泉で癒されてきたというのに、
その帰りの飛行機でしっかりインフルエンザのウイルスをもらってしまい、
治りかけに観た売国議員どもの稚拙な国会質疑に頭を熱くして・・・。


全く何やってんだか。


しかし、こうやって改めて写真を観ていると、
この日ホテルの窓から家族でずっと夕焼けの沈むのを眺めた、
あの温泉宿は本当によかったなと思うのです。

もしかしたら今旅を考えておられる方もいるかもしれないので、
霧島温泉をご紹介します。



一本道の山道をくねくね登っていくと、
谷合からもうもうと硫黄の煙が出る一帯。

窓を開けると濃厚な硫黄の香り。

いよいよ霧島温泉郷に到着です。



ホテルはこのような木々の山に抱かれるようにありました。



霧島ホテル。
ホテルのロビーにはこのような展示が。

 

この辺は別名「龍馬ゆかりの地」と言うのが売り。
なんでも「新婚旅行」という概念の無かった当時、
坂本龍馬が新婚間もない新妻のおりょうを伴い、
訪れたことから、これを以て

「日本最古の新婚旅行」

であるということにしたい、じゃなくてなっているのです。

霧島ではご当地イベントとして

「龍馬ハネムーンウォーク in 霧島」

と称し、彼らが歩いたとされるいくつかのコースを
カップルで(一年以内に結婚したニューリーカップル)歩き、
おそらく速さを競うのではないかと思われます。

因みにこのコースは4種類。
10キロから最長で23キロのコースです。
カップルの体力とやる気によってお好きなコースを、ってとこです。

募集人員は400名から1000人くらいがコースによって。
開催は毎年一回。
今年は・・・・・・・

おっと!3月16日、そして17日、

つまり昨日今日ではないか!

と、今頃ステマしても何にもなってませんが。
まあ、そういうことです。偶然ですね!



部屋に荷物を置いて少し休憩しました。
これが部屋からの眺め。
敷地の中に神社と遊歩道があります。






皆でこの日の沈む夕日を眺めました。


この後、夕食をいただく前にご自慢の温泉に。
夕食時だから広大なお風呂にたった一人だけでした。

個々のお湯は真っ白に濁った濃厚な泉質で、
湯の温度も管理されていて非常に長湯しやすい。
いかにも体に「効きそう」です。

老舗の旅館らしく、館内には「資料館」がありました。



昔の写真多数。



鉄道ブームのときにはここにもそういう客が来たようです。



物凄く値打ちのありそうな時刻表。
真ん中の4冊も時刻表なんですね。

AKB的なもの。

因みにわたくし、この幼女集団のことについて

いまだに

何ひとつ

知りません。

本当に、誰の名前も知りません。
どんな歌を歌っているのかも知らないし、
テレビもないから顔も知らないし、
坊主になった子がなぜ坊主になったのかも、
その名前も、知りません。

従ってこの女の子がそうであることも知りませんでした。

「日本人の7割が坊主刈りにしたことについて・・・」

という記事をどこかで見たとき、
「私はその統計に入れないでいただきたい」
と激しく思ったのですが、こんな私は日本の少数派ですか?




古い写真、大好き!
なわたしが目を輝かせた「歴史コーナー」
当時あった湯治館「高千穂館」だそうです。



明治初期のころの当館の姿でございます。
着物を着たおそらく従業員が何人か立っていますね。



「霧島神宮前」という省線の駅前で撮られた写真。
全員がポーズとをってこちらを見ています。
この写真の取られたのは昭和10年代のことだそう。
戦争前ですが、このあたりは戦中も被害は受けなかったようです。

右に駐車しているのが霧島温泉の送迎バス。



これは送迎用に一応車を用意しているので、
戦後の写真ではないかと思わrます。



長年使われてきたこの温泉の看板。




なにしろ、操業して130年を超す老舗でございますから。



昭和26年の霧島館。



これも霧島館の従業員たちではないかと思われます。
番頭の法被を着ているのが二人。



これも高千穂館で撮られた「身内写真」。



昭和11年。

このころ霧島は国立公園に制定されました。
そのころ日本に

「温泉ブーム」

が来て、温泉地に旅行に行くことが流行ったそうです。
そのおかげでこのあたりはすっかり観光地として名をはせ、
一日にバスは客を運んで何往復もしました。
これは地獄谷のバス終点で撮られたもの。



昭和10年代。

この頃の花見はよくこのようにトラックに人を乗せて
行ったそうです。

今なら考えただけでアウトな構図です。

あんまり「花見ながら飲み食い」ってしなかったんでしょうかね。
花見と飲み食いは昔からセットなんじゃないかと思ってましたが。

これじゃ本当に桜の下にトラック停めて

「見るだけ」

ってことですね。
まあ、三味線弾き語りのミュージシャンは雇ってるみたいですが。



船遊び。
しかしこの頃の色男というのは何とも風情があります。



ところで、この霧島温泉的にもっとも「盛り上がった」宿泊客。

それが昭和4年に夫鉄幹とともにこの地を訪れた

歌人、与謝野晶子でした。


与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」「みだれ髪」
で一世を風靡したのは明治年間のことで、この頃はすでに
知らぬ者の無い「大歌人」でしたから、旅館はそれはもう、
下へも置かぬ熱烈歓迎をしたものでしょう。

・・・・その割には、撮られた写真の中央が鉄幹で、
この写真など晶子の顔が半分になってるんですが・・・・

しかも、この頃は鉄幹はすでに「オワコン」になっており、
どちらかというと学校経営で家計が成り立っていたころです。
この写真の6年後、鉄幹は病死します。




とにかく、歴史的な歌人夫婦が訪れたのですから、
訪れる方も

「何も詠まずにここを無事で帰してもらえるはずはない」

と思った・・・・かどうかはともかく、おそらく宿の主人がしずしずと進み出、
「拙館にお泊りになった感想を、ぜひ一句・・・」
と歌箋と硯など持ってきたのではないでしょうか。

さて、そんな切羽詰まった状況で詠まれた(かどうかはわかりませんが)一句。

「ミョウバンのお湯がとっても癒されるわ!
どこかの王宮の翡翠の床なんかよりずっとイケてると思うの」

「硫黄谷と板石坂でお湯から出る霧が
青と黄色の二色でとーってもキレイ!」


ずいぶん強引ですがこう解釈してみました。
・・・・間違ってませんよね?



落ち目と言えど(失礼)さすがは亭主の句。


「大浪の池ではホトトギスの声が
まるで追いかけてくるように聞こえる。

実に風流である」

「壮大な霧島山が抱いているような空に、
白く残る明け方の月が見える。
実に風流である」

と、多少いい加減に解釈してみました。
間違ってませんよね?

ともあれ、この来訪は霧島旅館にとって大事件。



こんな感じで、まるでアフリカの秘境を行くイギリス人のごとく、
原住民、じゃなくて現地の人にモッコ担ぎまでさせて、
晶子さんはこの辺を観光したようですね。

昭和4年、
まだまだ洋装が珍しかったこの時代、晶子がまとうのは
どうも東京の、いやその少し前に洋行した時に買い求めた

パリー仕立てのお帽子とお洋服。

さぞ霧島の人々にはこの歌人御一行が、都会の香りと、
華やかさを振りまいて輝くようにまぶしかったに違いありません。

ついでに左にスーツを着て立っているイケメンは、
おそらく出版社かなんかの社員ではないかと思いますが、
このお兄ちゃんも「先生のご接待」に奔走したのではないかと推察。

ともあれこれ以降、この旅館は

「与謝野晶子・鉄幹が訪れた宿」

であることを宣伝文句としてこんにちに至ります。
因みにここの露天風呂は女湯が

「晶子の湯」。

男湯は「鉄幹の湯」です。

そして、どうでもいい情報ですが、この温泉、
今や珍しくなった混浴風呂があります。

体育館のドームのような広い浴槽があって、築山やら噴水やら、
そんなものがあっちこっちにあるうえ、
お湯は前述のように白濁していて首から下は何も見えない上に、
深いところは首まであるわけですから、混浴だろうがなんだろうが、
あまり殿方の期待するような光景は見られないというのが実情ですが、
女性はそれでもタオルを巻きつけて女性用ゾーンにおとなしくしていますし、
男性にしても、湯煙のかすか向こうに女性のシルエットがあれば
「風情があるのう」
とそれを楽しむだけ、というような「混浴の正しい在り方」
みたいなのが昔から連綿と受け継がれてきたと思うのですが、
昨今、昔の「言わずが花」みたいな、

「そんなことわざわざ口で言わなくても常識で分かれよ!」

という、日本人の「行間を読む文化」が通じにくい状況が、
ここ霧島にも残念ながら生じてきているようでした。

回りくどいな。

わたしはこの混浴風呂、出発日の朝、
それこそ猫の子一匹いない状況のときに、
女性専用出口を出るなり首までつかって潜入し、観ただけですが、

なんと、

無粋にも女性用の入り口の前の築山に大きな看板があり、

「ここで休憩しないでください」

また「女性ゾーン」と称するコーナーが設けてあり

「男性の方の女性ゾーンでの入浴はご遠慮ください


男性用の浴場入口にはきっと中国語とハングルで書かれていたのでは、
と思われます。いやむしろそちらがメインで。

・・・何があったのか知りませんがね。


浴室のドアにはこれも三か国語で

「いかなる理由があっても撮影機能付きの携帯を
浴場に持ち込むことはご遠慮願います」


・・・・何があったんでしょうね。


こんな注意書きがでかでかとあちらこちらにあるという状況を、
わたしは日本人の一人として深く憂うものです。







夜のお食事はまあ、普通の「温泉旅館バージョン」でしたが、
レストランのお運びの女の子が、我々がどこから来たか聞くと、

「来週ディズニーランドに行くんです!」

と実に楽しそうに言っていました。

この写真は、レストランから見た、ホテル裏の杉林。
ライトアップされていて、まるで博物館の展示見たいです。
次の朝、チェックアウト後、お迎えが来るまでの間に
この杉林を散歩することにしました。





もう桜が咲いています。
昔ながらのポストは現役で、
いつもするようにここから「CSI:NY」のDVDを返却しました。
(いつもより一日時間がかかりました。あたりまえか)



苔むした手水があり、ここで手を清めてご神体にお参りします。

 



沈丁花と同じ花の形をしているけど、黄色、
これ何かご存知の方おられますか?

ミツマタとかセツブンソウに似ている気がしますが。



このミツマタ(勝手に決定)がぽつぽつと咲く階段を上がっていきます。



ご神木の前に可愛らしい鳥居。
鳥居の前には小さな小さな賽銭入れ。







遊歩道になっていますが、一周してもせいぜい20分くらい。
杉の香りがとてもさわやか。
花粉症的にはどうなのか知りませんが・・。







霧島は近くに神様がたくさん住んでいるような山です。

この後案内の方に霧島神社と、新燃岳のふもとに連れて行っていただきました。

そのご報告はまたいずれ・・・。