ネイビーブルーに恋をして

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「いずも」引渡式・自衛艦旗授与式観覧記~「海のさきもり」

2015-03-30 | 自衛隊


基本当ブログは「ネイ恋」(笑)という題名の通り、主催者の「萌え目線」からネイビーを語る、
というのが基本路線となっている関係上、自衛隊広報やましてやニュースのような、
簡潔にまとめられた記事が読めるだろうなどとは、よもや皆様方も考えていらっしゃらないでしょうが、
それをいいことに前回は調子に乗って中谷防衛相の過去にまで寄り道してしまいました


しかし今日はいきなりどんどんいきたいと思います。
なぜなら今日お話するのは、メインイベントである 引き渡し式と自衛艦旗授与式だからです。

 

中谷防衛相の入場から続きと参りましょう。
中谷さんが胸に手を当てているのは反省しているのではなく栄誉礼を受けているから。
(断った端からしょうもないボケを・・・↑)




「ふゆづき」のときには儀仗隊が近かったのですが、今回儀仗隊は、
「いずも」の繋留された式典会場の一番端に位置していたため、
防衛相が栄誉礼を受けているところは「オーロラ」で見ることになりました。

儀仗隊員の凛々しいお姿を写真に撮れなかったのは残念です。



前に先導の海将補、後ろには武居海幕長(たしか)を従えて式台まで歩む防衛相。
「ふゆづき」のときの防衛事務次官は、こういうとき真っ直ぐ前を見て歩いていましたが、
中谷さんは出席者の居場所を満遍なく見渡して、何度となくお辞儀をする派のようです。



政治家はなべてそうですが、この方も異様なくらい腰が低い。
式台に到着するなり画像がぶれるくらい高速お辞儀をする中谷防衛相。
単にシャッターがぶれただけという説もありますが。

ところで横の武居海幕長は防衛大23期、中谷防衛相は24期です。
防衛大では対番学年として教え教えられたという関係ですが、
自衛隊を退職して政治の道へと入り、今や指揮系統の上に位置することになったわけで、
これはどちらにとっても感慨深いことであろうと思われます。

のみならず中谷氏は平成13年、小泉内閣で史上最年少の防衛庁長官を勤めており、
省庁の違いはあってもこの地位に身を置くのは二度目ということになります。
その頃は自分の防衛大の大先輩の上に立つことになったわけですが。

先日、防衛大卒業式を扱ったエントリで「任官辞退は必ずしも自衛隊への拒否ではない」
という私見を披露したわけですが、自衛官を途中退職して国防関係の職に就く一例として
この中谷氏のようなケースもあるということなんですね。

非常に特殊な例ではありますが(笑)




ちょうど防衛相がこちらにお尻を向けることになりましたが、
これは何をしているかというと、引渡式最初の式次第である

引渡書並びに受領書交換

となります。
造船会社から引渡書を受け取り、確かに受け取りましたと受領書と引き換えます。
手前はJMUの幹部で皆こちらに注目していますが、その向こうの
防衛省出席者の制服組は皆顔を動かすことを禁じられているらしく、
真っ直ぐ前のモニター映像を見ています。
 


続いて、社旗降下が行われます。
「いずも」乗員たちは頭中、注目。



進水式以来掲げられてきたJMUの社旗が(しかしシンプルな旗ですね)降納されます。

ここからは全く見えませんが、降下しているのは造船会社社員です。

式次第はここまでの5分間で「引渡式終了」となっています。

ここからが「自衛艦旗授与式」になります。



このときふと気づくと、地上での役目を終えた儀仗隊のメンバーが乗艦中。
このあと防衛省代表たる防衛大臣乗艦のために甲板で待機です。



参謀飾緒をつけた自衛艦が盆に載せて捧げ持ってきたのは、
そう、自衛艦旗です。

小野寺さんが一生懸命見てる~(笑)



この緞子のテーブルクロスといい、漆の盆といい、これは
「引渡式セット」としてJMUの物品倉庫にしまわれているものに違いありません。

このとき、今か今かと待っていたわたしの耳にきこえてきたのは・・・



海上自衛隊儀礼曲「海のさきもり」でした。
このYouTubeはわたしがRaffaella Santiの名前でたったひとつだけ、
あまり世間に知られていないこの曲を「ふゆづき」の自衛艦旗授与式の画像とともに
アップしているものです。

昔からお付き合いくださっている方は覚えてくださっているかもしれませんが、
山田耕筰作曲のメロディに付けられた歌詞は、海軍兵学校73期のペンネーム江島鷹夫によるもので、
奇縁といいますか、わたしが仕事で関わった方の恩人ともいうべき人物だったのです。

「我等こそ海のさきもり」


この曲を聴くたび、この最後の一節にわたしはどれだけ感動させられることでしょうか。



防衛大臣と「いずも」艦長吉野淳一等海佐が礼を交わします。

吉野1佐は防衛大学校出身ではなく、広島修道大学卒業だそうです。
中国地方の方から頂いた個人的なご意見によると

「東京でいうと日大といった感じの位置付けで、
んー?海上自衛隊に?だいぶ雰囲気が違うなあ・・・・と若干違和感を」

持つというイメージの大学だそうです。

わたしはイメージどころか地元民ではないのでこの学校のことを知りませんでした。
よってこのご意見についてはなんとも言えませんが。



盆から取り上げた自衛艦旗を両手で渡す防衛大臣。

向こうで撮っている人の写真には、わたしがカメラを構えているところが写っているはず・・。

         ミ∧_∧  
       ミ (/【◎】
     .  ミ /  /┘
        ノ ̄ゝ こんな風に・・。

そして冒頭画像のように、二人で自衛艦旗を持った手を高々と上げ、




防衛大臣は手を離し、艦長は左手だけで捧げ持ちます。



そして、そのまま「いずも」乗員たちの整列しているところに向かって
ゆっくりと、しかし堂々たる足取りで歩(ふ)を進めるのでした。



海自の写真班の向こうにもSPが配置されています。



隊列に近づいた時、前列の副長が回れ右をしました。



艦長は副長に自衛艦旗を渡し、お互いに敬礼を交わします。

左手で旗を運ぶのは敬礼をするからなんですね。



「旗いただきました~!」

という感じで正面に向き直ったとき、「乗組員乗艦」のアナウンスが・・。



同時に音楽は行進曲「軍艦」に変わるのでした。



しかし艦長はその場にとどまり、全員の乗艦を見届けます。



ところでシリーズ初日のエントリに「正帽にカレーのシミをつけている幹部が三人もいた」
という大変ショッキングなコメントをいただいたのですが(笑)

防衛大学校や幹部候補生学校では、外出の時にすら点検して、ほとんどいちゃもんのような、
ネクタイ歪みとかボタンが真っ直ぐではないという理由で外出止めになるほど、
海上自衛官というのは海軍時代からの伝統で威儀、特に服装の乱れにやかましいですよね?

こんなハレの日に帽子にシミをつけて出席する幹部がしかも複数いるなど考えられない!
とわたしはこの写真を極限まで拡大して帽子のシミを探しましたが、少なくとも
ここに写っている人の正帽は下ろしたてではないかというくらい綺麗でした。

何か反射したとかの見間違いではないでしょうか。・・・・たぶんですけど。



副長以下前列は金筋3本の1佐、二列目からは2佐です。
ということは二列目一番向こうの女性自衛官も2佐?



幹部に続いて海曹が乗艦。

わたしは「幹部」を正式にも「士官」という名称に戻してほしいと思うのですが、
そんなことになった時にも「海曹」はそのままでいいと思います。

「海曹」「陸曹」「空曹」

うん、どれもいい感じですよね。(個人的感想です)



左の若々しい三曹の左袖に見えるのはウィングマークのような形をしていますが、
もしかしたら搭載艦のヘリパイロットかな?

 

海曹の並び順はよくわかりません。
2曹と3曹が隣同士だし・・・。



続いてWAVEたち乗艦。
「ひゅうが」までは専門の居室が護衛艦にはなかったなんて信じられませんね。



続いて海士たち。
手前の二本線は一等海士の階級章です。旧海軍の1等兵ですね。



最後の一団が舷門の奥に消えていったと思ったら・・・、



6名の海士と海曹が一人戻ってきました。



ただいまより艦長上官の儀式にうつるため、と列をつくったのです。
右にいるカメラマンはバスで一緒だった市ヶ谷の陸自写真中隊の隊員です。



サイドパイプが空気を震わせました。
護衛艦に命を吹き込む自衛艦旗が運び込まれてのち、長である艦長がいよいよ乗艦です。




「案外上に行く人というのは大きなフネの艦長は経験しないんですね」

「そうなんですってね」

隣のMさんが言い出したのでわたしも相槌を打ちました。
今回のMさんの出席を取り計らってくれたのは元自衛官で退官後造船会社に
再就職された方だったそうですが、(後でご紹介されました)
その方も若い時に小さな船の艦長をやってあとは陸上勤務のまま偉くなったそうです。



しかし、男と生まれ(女性艦長も誕生しましたが)海上自衛隊に入ったからには、
内外から注目を受ける海上自衛隊史上最大の護衛艦への艦長就任が
ネイビーとしてこの上ない名誉でなくてなんでしょうか。

この瞬間、吉野1佐はこれまでの海上自衛官人生で最上の”冥利”を感じておられるに違いありません。


続く。