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極東国際軍事裁判の址と「山河燃ゆ」~防衛省見学

2016-04-25 | 日本のこと



タイトルはここ市谷法廷で行われた

極東国際軍事裁判、通称東京裁判の様子。

先日市谷でこの法廷跡を見学した時に、同じ位置から撮った写真と並べてみました。
大きな違いは天井に埋め込まれている従来の照明以外に、

吊り下げ式の灯りが裁判のために(裁判長の意向だったらしい)つけられていることです。

ご覧のように、右側に裁判団の席、左が被告席。
二階バルコニーには傍聴人(おもに被告家族)が座り、
そのバルコニーの下が報道陣の席です。
報道陣席は右側が海外プレス、左側が日本人報道記者と分けられていました。



この玉座は当然のことながら、ここが士官学校であった時代には
天皇陛下および皇族方のご臨席を賜るときに使用されました。

この部分に貼られている壁布は、当時のもので手織りです。



菊の御紋が入り、さらに意匠は菊(と藤?)の精緻な刺繍ががあしらわれています。


この組木の床ですが、「からくり箱」で有名な箱根細工の職人の手によるものです。

うちは箱根旅行のときこのからくり箱を一つ買い求め、
たしか「37ステップ」を経て開けるという行程に挑戦しましたが、
行き詰ったときに

そこで放置したまま置いておく人がいて、

いったいどこまで進んだかわからないままになってしまい、
そこから押しても引いてもびくとも動かなくなり、
そのうち部屋の隅でホコリを被りだしたので、泣く泣く処分しました。

玉座につく天皇陛下のためにわざわざ一般用の隣に作られた

天皇陛下専用階段

年に何回ご光臨賜るかわからないその機会のために、
わざわざ専用階段を設けているのです。

江田島の海軍兵学校にもやはり玉座がありますが、
確かここに上るための専用階段まではなかったような。



その階段画像もう一度。
といっても、こうやって二つの階段を比べてもその違いはわかりません。
が、実は陛下がそのおみ足を乗せた途端、

膝を動かすだけで勝手にすいすいとその御体を押し上げてくれる

ような仕掛け、つまり、階段の踏み板のの中央にわずかな凹みがあり、
さらにほんの少し手前に傾斜をつけてあるのだということです。



さて、極東軍事裁判のとき玉座は取り壊され、同時通訳席が作られました。


このときに通訳モニターとして働いた日系アメリカ人、アキラ・イタミと
太平洋戦線で宣撫工作を行っていたハリー・フクハラについて先日書きましたが、
つまりここに設えられたガラスのブースから、イタミは裁判を見守ったのです。
そのときにもお話ししたようにイタミはその後拳銃自殺をしますが、
そのガラスブースから、彼は東京裁判の通訳を通して何を見ていたのでしょうか。


児島襄の「東京裁判」では、いよいよ刑言い渡しのとき、
当初、東条英機の判決通訳をアナウンスすることになっていた二世が
文官で死刑はありえないと言われていた広田弘毅の担当通訳に、

「死刑の言い渡しを通訳するのは嫌だから、代わってくれ」

と頼み込み、頼まれた方は快く

「俺はビッグネームをやりたいから歓迎だ」

と引き受けたので通訳を交代したところ、
その広田が誰もが驚く「デス・バイ・ハンギング」の判決だったので、
わざわざ広田に変えてもらった通訳は真っ青になった、
というエピソードがありましたが、日系アメリカ人の悲劇を描いた
山崎豊子の小説「二つの祖国」でもこのシーンがありました。


「二つの祖国」はいまでは信じられないことですが、NHK大河ドラマ化されました。
「山河燃ゆ」、この配役、今見るとすごいです。

天羽賢治(松本幸四郎)天羽の父(三船敏郎)母(津島恵子)
天羽の弟1(西田敏行)戦死する弟(堤大二郎)
梛子(島田陽子)チャーリー(沢田研二)天羽の妻エミー(多岐川裕美)
天羽の妹(榊原郁恵)天羽の日本の恋人(大原麗子)


東郷茂徳(鶴田浩二)昭和天皇(高橋昌也)

弟の恋人マリアン(ヒロコグレース)米人記者(ケントギルバート)

中華料理屋の娘(アグネスチャン)


日系1世のクリーニング屋のオヤジに、三船敏郎って・・。

最後の三人は原作には全くでてこないキャラクターで、単なる顔見せですが、
このケントギルバートの記者の設定がすごい。

戦艦大和の建造を探る中で右翼の青年に暗殺される。
彼の暗殺後、賢治も日本から追放されて入国できなくなる。

まあ、当時戦艦大和の建造をアメリカ人が調べちゃまずいかもしれんね。

しかし皆さん、これはこれで(笑)観たくありませんか?


なんでも当時「山河燃ゆ」は「史上最低の大河視聴率」と言われたそうですが、
それでも平均視聴率21.1%、最高視聴率30%。

同じ燃ゆでも「花燃ゆ」がこの度歴代最低視聴率を更新したため、今となっては
この「山河燃ゆ」など、歴代ワースト20位以内にも入ってきません。


映画でもいいから是非一度、変な改変なしで「二つの祖国」を
映像化してくれないかなあとわたしはずっと思っています。



冒頭の裁判中の写真と実際の写真をもう一度見比べてください。
裁判中の写真には天井から「吊り照明」がたくさん見えますね。

これは進駐軍、軍事裁判法廷の意向で

「昼のように明るく法廷を照らすこと」

とされたので、そのために急設した灯です。
画面の右側が裁判官席で、その後ろのカーテンを閉めていたため、
そして主にアメリカからは映画の撮影班も来ていましたから、
まるでハリウッドの映画撮影のように過度な照明がされました。



こんな明かり取りじゃまったく足りない!というわけです。



しかしこの過度な照明、夏は大変でした。
何しろ当時、

クーラーがここには備わっていなかった

のですから。
暑さの上に過剰な照明で報道陣は勿論のこと裁く方も裁かれる方も、
だれてしまった時期があった、と児島襄の「東京裁判」には描かれています。



これは前回の見学の時の写真ですが、この前から2番目の長椅子の角の部分。
ここに証言台がありました。


各被告が個人反証のときに座った、あの証言台です。

ここに・・・。

さて、ここには写真でもお分かりのようにガラスケースがあり、
そこに実際の資料や写真が展示されています。



極東国際軍事裁判は、東條英機らA級戦犯7人の絞首刑という
驚愕すべき厳しい判決が下されました。
この写真は最終判決を聞いたのち正面から出てきた被告たちです。



今市ヶ谷記念館となっている建物の正面5段の石段の上でこの写真は撮られました。

南次郎大将(前列左端)のお髭が立派です。
それにしてもさすがは一国の政治指導者だった人々。
カメラの放列の前に立つ様子は悄然とした様子はなく皆堂々として見えます。

東条英機の左斜め下が木戸幸一、壁際で一人だけ左を見ているのが荒木貞夫。
海軍大臣だったことで訴追された嶋田繁太郎大将は南大将の右上の粋なコート姿。
この被告のグループの中で英語が堪能であったこともあり、米軍との折衝を行うなど、
リーダーシップを発揮していました。


左に立っているMPは、


オープレー・S・ケンワージー中佐。

市谷法廷における被告たちの世話と監視にあたった
この下士官出身の憲兵隊長は、東京に赴任する前にマニラにいて、
あの山下泰文、本間正晴の処刑を見届けています。

「山下は軍人として立派に死んでいった。
わたしも軍人としてあのように死んでいきたい」

二人を畏敬していたケンワージー憲兵隊長の気持ちは
そのまま市谷のA級戦犯たちの扱いに表れました。
彼らを尊敬し、手厚く儀礼を以て接し、時には接見のときに
家族と少しでも長い時間会えるように計らいました。

それを日本人である被告たちがありがたく思わないわけがありません。

判決が下り、ケンワージーと別れることが決まったとき
被告たちは相談して、彼に全員の揮毫を贈呈しています。



ここには「東京裁判は無効であり被告は全員無罪である」
と独自の判決書を出したラダビノッド・パル博士についての
少しの資料も見られました。



わたしたち日本人との関わり合いで、
パル判事は偉大な知識の光明をこの世に遺してくれた。

決してわたしのこの評価は大げさなものだとは思いません。


パル博士がいなかったら、東京裁判の欺瞞性が戦後の日本に膾炙し、
同時に自虐史観から抜け出そうとする動きは

今よりさらに遅れたであろうことは、火を見るより明らかだからです。

しかし、そのパル博士がインド代表判事に選出されたのは
ちょっとしたアクシデントによるものでした。

2009年と言いますからごく最近分かったことですが、パル博士は
休暇中の裁判官の穴を埋めるために、短期間裁判官代行を務めただけで、

インド総督府の認める正式な判事ではなかったと言うのです。

全体的にこの裁判は事務手続きにいい加減なところがけっこうあり、
一番ひどい例は用意された被告席に全員が座れないことが分かった時、
二人(陸軍大将だった阿部信行と226で青年将校たちに担がれた真崎甚三郎)
を訴追しないことにして帰らせたりしています。

パル判事の人事も国内手続きのミスと言うべきだったのですが、

ともあれこの偶然が日本にパル博士を与えることになったのです。


このミスに「神の配慮」を感じるのはわたしだけでしょうか。




この写真は珍しくカラーですが、誰かの(処刑された7人のうちの)
遺族が、GHQにもし見つかったら叱責没収になることを覚悟で
こっそり写したものなのだそうです。

証言台にいるのは広田弘毅元外相のように見えますが・・・・・・。




写真自体は特に変わったものではありませんが、
この提供者の名前を見てください。

森山真弓元法務大臣。

森山元法相は当時津田塾女子大を出て通訳のアルバイトで
極東国際軍事法廷の現場にいました。



翻訳業務中の森山真弓(たん)。
彼女はこの後東京大学に入学し、官僚をへて政治家となり、
自民党から法務大臣、文部大臣、内閣官房長官などを歴任します。

どうでもいいことですが、彼女と結婚することになった男性は
「君は飯は炊けるのか」と聞いたとか。

「相撲の土俵に女性を上がらせろ!」とか夫婦別姓推奨とか、
なんだかフェミ臭い政治家でしたが、ご飯くらいは炊けたんじゃないかな(適当)





前回の防衛省見学ツァーの記事からも抜粋再掲してお送りしました。

続く。