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テルミートミサイルの日の丸〜ミサイルコルベット艦「ヒデンゼー」

2017-01-07 | 軍艦

一応主体は東ドイツ海軍で運用されていた
ミサイルコルベット艦「ヒデンゼー」。

アメリカでこれが見学できるというのも不思議な運命です。 

甲板から階段を下りて中に入ってみました。

まずコンパクトなスイッチ、配電盤が並ぶチャートルーム。

その前方が操舵室です。
規模としてはちょうど日本の掃海艇くらいかもしれません。

ちなみに「ひらしま」型掃海艇は全長57m、幅9.8m。
「ヒデンゼー」は全長56.9m、幅10.2mです。

巡航速度も13ノットと14ノットとほぼ同じくらいです。 

前回も説明しましたが、この艦は、ソ連の造船工場で建造されました。
運用していたのは東ドイツ人民海軍であったわけですが、そのころは
人民海軍の水兵さんたちは必死でロシア語を勉強して、
そのまま使っていたのかもしれません。 

ここにある「ヒデンゼー」にはいたるところにテプラで英語表記してありますが、
これは西ドイツからアメリカが調査のために譲渡された際、
アメリカ人が理解のために貼ったものだと思われます。 

こちらの計器類にもことごとくテプラ(笑)
ところでここで豆知識ですが、テプラを発明したのが日本人って知ってました?

1986年頃、ブラザー社員(当時)によって開発され、
現在ではキングジムが商標登録を持っています。

「ヒデンゼー」がアメリカに調査のためにやってきたのは1991年。
おそらくここに貼られたシールもテプラです。

テプラとは

Timely(いつでも)Easy(簡単に)Portable(その場で)
Rapid(すぐに)Affix(貼り付けられる) 

からきていますが、このネーミングもメイドインジャパンぽいですね。

電気のスイッチ盤。
まあこれではアメリカ人には想像もつきますまい。

一番上の段に左にAK-176とありますが、これが主砲を意味します。

                                                               

鍵がかけられた「セキュリティステーション」。
調査のためにアメリカが身柄を引き取ってから後は、
ここに歩哨が立って船への出入りする人間をチェックしたそうです。 

艦長室だと思われます。
他の船に比べて圧倒的に広いスペースをもらえたようです。
なんと専用冷蔵庫まで部屋に備えてあります。 

この帽子はもしやと思って調べたらビンゴでした。
東ドイツ海軍の士官の帽子です。 

左はドイツ海軍、右が人民海軍のバナー(だと思う)。
真ん中の帆船の絵はおそらくこれが帆船時代の「コルベット艦」です。 

人民海軍の制服など、どこで手に入れてきたのか・・・。

その近くにシャワールームがありました。
おそらくですがこれは艦長専用だったのだと思います。 

もしかしたらドイツ発祥だということでわざわざウェラのボトルを置いてる?

キッチンも船の規模の割には広いものでした。

オーブンの上に鍋類、そして鍋つかみが。

冷蔵庫にはレードルがかけてあります。
調理員の制服とコック帽も。

さらにもう一段下の階に続いていました。

おそらくこの階には兵員の居住区があったはず。

狭いといっても潜水艦ほどのことはありません。
乗員は42名だったそうですが、ここにはせいぜい8人くらいしか寝られませんから 
おそらく下の階にも居室があったのに違いありません。 

ここも小さな船の兵員室にしては意外なくらいの広さです。
艦首にあたる部分の居室。 

再び甲板に出てきました。
艦首に立って後ろを見たところです。
主砲はAK176、76mm単装速射砲 (AK-176 76 mm gun) 。

現在もロシア海軍のミサイル艇や警備艦を中心に多くの艦艇に搭載されており、
アメリカが当時わざわざドイツから譲り受けて研究したかったのはこれかなと。


ソ連製とはいえ(なんていっちゃいけないか。ロケットあげてた国だし)
単装砲ながら
従来の連装砲以上の発射速度(最大毎分120発)を誇り、
オトー・メララ 76 mm 砲に匹敵する高い速射力と追尾能力をもち、
対空・対水上に使用できる高性能な両用砲です。

ちなみに英語のwikiのAK-176のページには「ヒデンゼー」の
この砲の写真が掲載されています。
配備されているのがことごとくロシア、中国といった共産圏なので
資料となる写真はこれくらいしか撮れなかったのかもしれません。

主砲の前、舳先の部分。
キャプスタンがあります。 

となりは潜水艦「ライオンフィッシュ」。
また後日お話ししますが、対日戦で投入されたので、
塔に日章旗と旭日旗がペイントされています。(ここ伏線) 

舳先から右舷を歩いて行くと、もう一つの兵装がありました。
P15テルミートです。

東西冷戦に入った頃、ソ連がアメリカに対抗するために作った
対艦ミサイルで、 固体燃料ロケットで射出した後、
液体燃料ロケットに点火してマッハ0.9の速さで飛行しました。

射程距離は80キロ。
「大和」型の戦艦の射程距離は42キロでしたがそのほぼ倍です。
しかも当時において目的を追尾するという機能を備えていました。

ゆえにアメリカ軍はソ連軍のミサイル艇を脅威とみなしていたのです。
つまりアメリカが研究したかったのはこっちだったということか・・。

ソ連は中国にこの強力な武器のライセンス生産を認めたため、
これによって世界の軍事的情勢が変わったとも言われています。 

で、そのテルミートの発射体がここにあるんですが、
なぜかこの尾翼に日の丸がついてるのよ。

ロシアで建造され、東ドイツで運用されて西ドイツに転籍し、
そのあとアメリカに移譲されて現在に至る。

日本まったく関係ないんですけど?