ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

しまなみ海道~村上水軍の城

2014-09-12 | お出かけ

しまなみ海道をご存知ですか。
正式には西瀬戸自動車道という、本州と四国を結ぶ道路で、
間に点在する島々を広島県尾道から今治まで繋がっています。

今回、わずかな時間ではありますが、ここをドライブしてきました。 



といっても、わたしが運転したのではなく、全て地元の方にアテンドされ、
すべてお任せのらくちんドライブです。

現地には前日夜から入りました。
夕食は、某コンツェルンの会長と税理士さん、TO、わたしの4人で
舌がとろけそうなTボーンステーキを頂きながら会話を楽しんだのですが、
この会長さんの話が面白くて、座は大盛り上がりでした。


このグループの業務は多岐にわたりますが、その一環として
「交通」があります。

関西に有名な猫の駅長がいますね。

グッズの売り上げだけで年間6千万、経済効果11億、
しかも何の要求もしない。(会長曰く)
会社に取って「最優秀社員」であり「神様お猫様」。

この方はその「仕掛人」です。 

仕掛人ならではの内部情報をここで少し公開すると・・・。

小さいときに売店のおばちゃんがポケットに入れて育てた。
最近メディアで有名になって「おばちゃんの化粧が濃くなった」。
おばちゃんは「この猫は私が育てた!」状態。
さらにはそのおばちゃんにおじちゃんの影が・・・(内縁の夫?)
という生々しい()話になっている。
初代駅長はもうお年(15歳)なので、
二代目三代目を育成しているのだが初代ほどのスター性がない。

なかでも一番笑ったのが、猫駅長に、和歌山名誉県民の申し出があった話です。
その話が和歌山県から来たとき、会長は恐る恐る聞いたそうです。

「ありがたいですが、他の名誉県民はたとえば誰が・・」
松下幸之助先生と」
「ちょちょちょっとそれはご辞退させて頂けますか」



という楽しい夕べの次の朝、ホテルから庭を見下ろしたらこんな眺め。




朝ご飯はバッフェです。
昨日の夕食を頂いた外のテラスが見えています。



出発は11時。

まずは因島に行きます、ということで
機嫌良く車窓を眺めていたら、
「しまなみ海道→」という表示が通り過ぎました。

「今しまなみ海道って見えたんですけど」
「いや、大丈夫です・・・あれ?うーん・・」

車内でわたしたちがリクエストして、この方の息子さんのCD

(結構メジャーなビジュアルバンドのメンバーだった)
を聴いていたのがどうやら集中力を欠いた原因だったようです。

「ビジュアルロックに気を取られすぎました・・・」 (社長)



というミスで時間を少し無駄にしながらも、
なんとか生口島(いぐちじま)に到着。
広島県尾道からは3つ目の島に当たります。



瀬戸内は思ったより小さな島がたくさんあります。

明らかに誰も住んでいない一軒家サイズの島も。



生口島の有名な観光名所の一つ、
平山郁夫美術館に来ました。



常設展示だけでなく、時々は展示が入れ替わるようです。

生涯たくさんの作品を残した平山先生ですから当然ですね(棒)

この二つの絵は、現代の京都を描いています。

どう見ても平安時代のような街並なのに、よくよく見ると、
ビルもその中にちゃんと描かれているのです。
どちらも巨大な絵でした。




美術館入り口。

平山郁夫がまだ生存中の1997年に出来たといいますから
もう17年も経っているのですが、大変新しく見えました。



このロビーの「気」が良いので心が静まって行くようです。

庭園の緑がまことに目に鮮やか。
エントランスには皇太子殿下ともうお一方、皇室の方(お名前失念しました)の
植樹がありました。



この美術館で特筆すべきは平山の幼少時の絵画が飾られていることです。

見たところ小さいときの絵はピカソやダリのように天才を感じさせるものはなく、
上手いけど所詮子供の絵だなという感じですが、13歳からいきなり上手になります。

しかし、芸大在学中の絵も正直「上手いんだろうけど・・」という感じ。
芸大生ならこれくらい描く学生はいくらでもいるだろうというレベルです。
そして有名になってからは「皆あの調子」。

つまりわたしはこの画家を評価していないらしいことがわかりました。
好きか嫌いかでいうと好きなんですけどね。


ところで、展示作品の一つに「瀞」という絵がありました。
瀞八丁は和歌山から奈良県にまたがる峡谷で、
瀞峡(どろきょう)は渓流下りの名所です。
実はうちの両親が新婚旅行に行った場所だったので、うちには
そのときに買い求めたという瀞峡の小さな油絵がずっとありました。

ところが絵の題名「瀞」の英訳は「A POOL OF RIVER」、
つまり「流れ溜まり」のような題になっていました。
わたしは帰りにこっそり一人で受付に行って、

「あれは和歌山の瀞八丁のことなので、英題は『DORO』だと思います」

とお節介ですが進言してきました。



美術館を出て、取りあえずお昼ごはんを食べることにしました。

歩いて行くと、かわった城壁のようなものが。




何とも不思議な佇まいです。

甍のしゃちほこ?は妙な形の魚。
白壁は至る所剥げて倒壊寸前といった感じです。
よく見ると、旧式のアンテナらしきものも見えます。





さらに区画沿いに歩いて行くと、ごらんのような洋館が。




しかもこれが・・、



お寺の一角に建っているのです。


「何でしょうか。シュールなお寺ですね」



まるで台湾にあったお寺のような・・。


このお寺の正体は「耕三寺」(こうさんじ)といい、
大正・昭和初期に鉄鋼業で財を成した大阪の実業家金本耕三が、
幼少期に過ごしたここ生口島に、まず母親の住居を建て、
それに「潮聲閣」という名前をつけました。

どうやらこのモダンな洋館は彼が母親のために造った家だったようです。



その母親が亡くなると、彼は出家して、

母の菩提を弔うための寺をここに建立したのだそうです。



それに加え、金本はかねてより、この地に誇りうる文化財のないことを

残念に思っていたため、母のために造った家の回りに、
日本各地の著名な歴史的建造物を模した堂宇で埋める計画を立てました。

つまり、ここに「ハウステンボス」や「ヨーロッパ村」のような
「なんちゃって寺院村」を作ろうとしたのです。



工事は完成までに30年を要し、1936年(昭和11年)に創建が始まり、

最後の宝物館が出来上がったときには1968(昭和43年)になっていました。





寺院というより、博物館というのがメインだったようです。

しかし自分の名前を寺院名にしてしまうとは・・。



これは日光東照宮を模した孝養門。
奥には平等院鳳凰堂を模した本堂などもあります。

時間があれば是非見てみたかったのですが、
もう一つくらい島に行ってみたかったので涙をのみました。



境内?はいたるところ蓮の巨大な鉢植えで埋められていました。
さすがに蓮池は造れなかったようです。
一つ一つの実は丁寧に布でくるまれていました。
耕三和尚の母親が好きだった花なのかもしれません。



お寺の向かいに飲食店がいくつかありました。

「穴子専門店とたこ料理専門店、どちらにします?」

どちらか決めかねて、TOに

「わたしが勝ったらタコ、負けたら穴子」

と決めてじゃんけんをし、勝ったのでタコ料理にしました。



こういう飾りのあるところには不安がないでもなかったですが。



TOはなぜか穴子定食。




タコの刺身、タコ天ぷら、タコ飯、タコのおひたし、

タコづくし定食です。
TOとシェアして、穴子も一口貰いましたが、
やはりタコ専門店であるせいか
味付けは今ひとつ(辛かった)でした。 

さすがにタコはお刺身と天ぷらが特に美味しかったです。



壁に貼ってあったレトロなアサヒビールのポスター。

復刻版のようです。



さりげなく部屋の片隅に平山郁夫先生の自筆色紙が!




年代物らしいおかめさん。


さて、この後わたしたちは車に乗って、本土に戻り、
尾道から一番近い島、因島に向かいました。

目的?

わたしの希望で、因島の村上水軍城を見るためです。




村上水軍は、南北朝時代から室町・戦国時代までを活動していました。

瀬戸内の水路を臨む島々に砦を築き、「海賊衆」と呼ばれ、
この海域の一大勢力を誇っていました。



村上水軍の「村上」は因島村上家のことで、瀬戸内海の中心で

11万4500石を領有した「海の大名」でした。

数百年間にわたってこの地域の制海権を握り、
たくさんの合戦に参加したのは勿論、遣明船の警護も行っています。

特に有名なのは6代目の村上新蔵人吉充で、
1555年、厳島の合戦では毛利氏側について、
織田信長率いる織田水軍を壊滅させた実績を持ちます。



瀬戸内の海は古くから

我が国の経済と文明の一大動脈であった その
海を制した村上水軍
自由と熱血の歴史 ここに眠る 奈良本辰也

奈良本辰也は吉田松陰など、幕末の歴史研究家です。



なぜかここに置いてある大小の錨。

いわゆる普通の錨は「ストックレスアンカー」なんですけど。



この日は夕方土砂降りになったのですが、そのせいか

朝からムシムシして陽射しの辛い一日でした。
車から出ると汗が噴き出すくらいです。

その中を

「ここまで来たんですから上りましょうか」
「上りましょう」
(わたしのパンプスを見て)
「奥様大丈夫ですか」
「大丈夫です」(きっぱり)

日頃7センチヒールなんてハイヒールじゃない!と豪語しているので
こんなときも口だけは威勢がいいエリス中尉。
そして登り始めたのですが・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

やっぱり傘をさしてパンプスで写真撮りながらこの傾斜はきついわー。
60歳の会社社長に距離にしてこれだけ引き離されております。



どうなるかと思ったとき,ようやく頂上に到着しました。

上に資料館ができたのは比較的最近のことです。
中は撮影禁止でしたが、鎧や兜、武器の数々と
ジオラマなどがまとめられていて充実していました。


こんな水軍ならではのデザインの兜とか。

面白かったのは水軍の戦法要領、という

いわゆる艦隊戦のフォーメイションが書かれた紙です。


(パンフより)

また船上で戦う武器として、長い竿の先がかぎ状になっていて、
それで敵の鎧などを引っかけ、水に落としたり、
海上を漂う敵をそれで引き寄せて首を取るためのものがありました。



しかし水軍の殿様始め兵達はどれだけタフだったのか。



ところで頂上に登っても海は全く見えません。


「はて」
「ここから見下ろしたというけど、全く海らしきものもない」

首を傾げていたらこんな看板で親切にも説明されていました。

つまり、昔とは地形が変わってしまって,深く入り組んでいた入り江が
今は全て陸になってしまっていたのです。 



なぜかというと、この看板にもあるように、入り江を耕地にするために

埋め立ててしまったからでした。



水軍の城は、いまやその痕跡が地面に残るだけになり、
これらの城も資料館として1983年(昭和58年)に建てられたばかりの、
「おそらくこんな感じだっただろう」というイミテーションにすぎません。

残された資料から、できるだけ史実に忠実に作られている
・・・・とは思うのですが、全然違うかもしれませんね。





ところで、冒頭の写真を撮ってから、ズームしてもう一度撮った
この写真を見比べ、この数秒の間に窓が開いていたのに気づきました。



丸の中に「上」の入った甍を拡大しようとして気づいたのがこれ。

ここは観光客が開けてもいいような窓だったのでしょうか。



空港に着いたとたん土砂降りになったのですが、東京でも
空が荒れていて、着陸態勢になったとき恐ろしいくらいの
タービュランスがありました。

「積乱雲が空港上空に立ちこめているため、
別方向からの侵入を試みます」

とパイロットのアナウンス。
しかし、タイミングと、他の飛行機の侵入順番を待って、
羽田上空でたっぷり30分は遊覧飛行を楽しみました。

結局大雨と積乱雲で1時間は到着が遅れましたが、
パイロットは優秀らしく、何のストレスもない
ビューティフルランディングを決めてくれ、
わたしは無事帰って来ることが出来たという次第です。


というわけで、わずか6時間くらいでしたが、充実の旅でした。
しまなみ海道をのんびりドライブ、あるいはサイクリングで渡り、
瀬戸内海の水軍の名残を訪ねる旅も悪くなさそうです。
みかんを始め、美味しいものがいっぱいあるようですし、
今度は道後温泉まで行ってみようかな。







パシフィックコースト航空博物館~サンダーストリーク「世界最速の三輪車」

2014-09-11 | 航空機

RERPUBLIC F-84F THUNDERSTREAK

ジェット機が登場して初期の機体にはこのような
ノーズインテーク(ノーズがそのままエアインテーク)が多いのですが、
これもまた典型的なノーズインテーク型。
豚さんの蚊取り線香と同じですね。



これが当機のエアインテークでございます。
うーん・・・・これはさぞバードストライクが多かったのではないか。 

パイロットたちにはこの形状から

“a hole sucking air"(空気吸引穴)


などというあだ名を奉られていたようです。
 
それにしてもこのインテークの中など、妙にピカピカで綺麗です。
まだレストアしたばかりなのに違いない、と思って調べると、
1997年にチャイナレークの武器庫から引き取られたあと、
当博物館に引き取られ、2004年に復元されたということです。

機体そのものは1954年に製造され、まずイギリス空軍の装備となりました。
この後1958年から61年にかけてヨーロッパでは、

「ベルリン危機」

が起こります。

「ベルリン危機」とは東ドイツから西に亡命するインテリ層が増え、
危機感を感じた東ドイツ政府が、物理的にこれを阻止することを考え
「ベルリンの壁」を築くまでの一連のシーケンスを指しますが、
このときにフランスのシャンブレー空軍基地に所属していた当機は
この動きに呼応して出動したそうです。

説明がないのでどういう立場で出動したのかはわからなかったのですが。

その後、米海軍に返還された当機は、いくつかの基地配属を経て、
その役目を終え、チャイナレイクで訓練標的になろうとしていたところ、
身柄をこの博物館に引き取られたというわけです。



先日F−86についてのエントリで、元々このF−84サンダーストリークは

MiGに対抗するには余りにも速度が遅く、空戦で勝てなかったため、
それに対抗するためにF−86が生まれた、とお話ししました。

速度の遅い原因はエンジン出力の問題でした。

そのためMiGに対抗できるどころか、離陸にすら困難をきたし、


"The world's Fastest Tricycle"(世界最速の三輪車)

とか

”The Lead Sled"(錫のソリ)

とか、最も酷いのになると

"Ground Loving Whore"(地面大好きな娼婦)

などというありがたくないあだ名で呼ばれていたようです。



そこでこの機体に描かれているノーズペイントをご覧下さい。

この話を知って見ると、まるでこの「ミス・マリア」が、
「地面を離れようとしないあばずれ」なのか、と思われてしまいそうですが。
どう見ても地面に寝っ転がってるし。


しかし、ここまでいいところなしみたいな飛行機であっても

乗員にすれば可愛い愛機であることには違いなかったようですね。

あれかしら、「馬鹿な子供ほど親は可愛い」というやつかしら。(失礼?)


F−84を「ホアー」と自虐したのも、勿論当のパイロット達だと思うのですが、

この機体の搭乗員は自分たちの愛機に「マリア」という名前を付けたのです。
酷いあだ名に対する精一杯の抵抗だったのではと思うのは考え過ぎでしょうか。


というわけでこのマリア嬢ですが、

それにしても下手である。

マリアさん、しかも最初は右手も左と同じように体の下に垂らしていたようです。
一体どういう状況でポーズしてるんだよ!と描いた人がいわれたのか、

右手の位置を描きなおしたあとが見えていますが、それを考慮しても下手。

先日たまたま

「迷彩塗装機は塗料により機体重量、空力的な抵抗、それにかける時間が増加」

するため、無塗装派が増えたにもかかわらず、ノーズペイントは減らなかった、

というコメントを頂いたわけですが、アメリカ人は本当にこういうの好きですね。


まあ、最近では痛車とか、場合によっては痛戦闘機などが存在したことのある

我が国ですので、これを「国民性」で片付けるのはやめておきましょう(笑)

ただ、日本にはこんな素人臭いノーズペイントを人目に曝して
平気でいる搭乗員も、メカニックもいません。(断言)




ところで、機体そのものの機能についてはさんざんなことを言われた

このサンダーストリークですが、改良に次ぐ改良が重ねられた結果、
最終型は信頼するに足る機動性を持ち、同盟国に多数供給されました。

そして、このF−84、初期の頃からこんな特技を持っていました。



海外のwikiからお借りしてきました。

早い時期から空中給油能力をもっており、1950年には
ターボジェット単座戦闘機として、初めて空中給油による
北大西洋の無着陸横断に成功しているのです。

給油する方はおそらくB−52かなんかだと思いますが、

給油の様子はまるでコバンザメみたいですね。



 

さて、ところでこのブログの一年前からの読者の方であれば、
もしかしたらこの画像に見覚えがあるかもしれません。

これは、ここベイエリア、サンフランシスコからベイブリッジを渡って
向かい側にあるオークランド空港の片隅にある

 Western Aerospace Airmuseum

のさらに片隅にあったレストア前の残骸。
このとき、この残骸が放置されたまま少なくとも3年は経っているらしい、
と偶然アメリカのサイトを発見して知ったのですが、これは
F−84の偵察機バージョンである

RF-84Fサンダーフラッシュ(Thunderflash

だったんですね。
残骸なりに元の姿を想像して頂きたいのですが、まずこれは
同じF−84の機体でありながら、ノーズインテークがありません。
これは、その部分にカメラが埋め込まれたためで、
ノーズインテークは翼の根元の三角形の部分になります。

埋め込まれたカメラの数はなんと計6台にもなりました。

この角度からは分かりませんが、機体をひっくり返すと
ノーズ下部に穴が計6個確認できます。

本当にひっくり返したのではなく、プラモをテーマにしている
あるブログの模型写真で確認したんですけどね。



ところで模型が出たついでに全く本テーマのF−84とは関係ないのですが、
少し気になったのでお断りしておきます。

先日、ハセガワ製1:72スケールのイントルーダーの模型が
ネットのサイトで10000円であることに心から驚いてそれを書いたのですが、
その後、それはなんと

1000円を0を一つ多く記載したための

間違いであることが判明しました。

訂正後のページはこちら

モデラーの費用対効果についての常識というものに全く不案内である
わたしとしては、

「お好きな方ならそれくらいでも金に厭目はつけん状態」

なのね、と納得していたのですがそうじゃなかったんですね。
そこで改めて1:72という数字について調べてみると(何調べてんだ)
実はモデラーに取ってこの数字は

1:72スケールは飛行機モデルの原点であり、
国際的にも幅広く認められ、世界各国で親しまれています。

というモデルの基本となるスケールで、メジャー3メーカーのこのスケールの
モデルの値段設定はだいたい800円から1500円といったところ。

いくらプレミアがついたとしても10000円は

「そんな値段で売れてくれたら模型メーカーはホクホクです」

というくらい非常識な?値段であった模様。


でも、1:72で検索していたら、そのスケールのモデルになんと

2万5000円というとんでもない値段がついている商品を発見しました。

なんだなんだ、と見てみるとそれは

1/72 
STARWARS ミレニアム・ファルコン

でしたとさ。
何となく興味を持って切り離し前の部品(専門用語知りません)
の画像を開けただけでめまいを覚えた、
プラモデル製作系が実は苦手のエリス中尉でございます。



もうひとつついでに、先日から当ブログコメント欄で話題となっていた

「自衛隊仕様のオスプレイ」

ですが、ちゃんと限定生産されていました。
海自、陸自塗装も作ってほしいと思います。(リクエスト)

 

 


フィッシャーマンズワーフのアシカとゴミ問題

2014-09-10 | すずめ食堂

アメリカからの帰国前日にフィッシャーマンズワーフを訪ね、
そのとき、新しく出来たジャパニーズレストランでお昼を食べた、
というご報告をしましたが、そのときのこと。

海に面した特等席で外を眺めて行き交う船や人を眺め、
好き勝手なことを言い合ったり、



海を渡るペリカンを撮ったりしていたら・・・



いきなり海面にアシカが顔を出しました。
こんなところにアシカがいるんだ、と二人で大変驚いたのですが、
実はこの後もっとびっくりすることになりました。

日本料理の店を満足して出たあと、二階を歩いていると。



何と。
このようなデッキが現れたではありませんか。

何回もここに来たことがあったのに、この一角に

「シーライオンウォッチングポイント」があることを
この日まで全く知らなかったのです。

フィッシャーマンズワーフを、ただ埠頭にあって、

水族館を併設しており湾内観光船が出るだけのモールのようなものと
今までわたしは考えていたのです。

すみませんでした。(←アシカに言ってる)



ここには人間の作ってやったアシカの一大群生地ができています。



多くのアシカたちのオエッ、オエッ、と独特の鳴き声が響き渡っています。
ついでになんともアシカ臭い?匂いも漂ってきます。




アシカたちは大抵大勢固まって、互いの体を枕にして
寝ていたりするのですが、たった一匹でここにいた
孤高のオス。

もしかしたらこのなかで唯一雌と交尾する権利を持っている

最強のボスアシカかもしれません。


カリフォルニアアシカはハーレムを形成する習性を持っています。

毎年5~6月の出産シーズンを控えると、オスは、
陸地や海中の地形を利用して縄張りの境界線を作り、
その中に20~30頭のメスを集め、ハーレムを形成するのです。

ボスアシカはハーレムのメスが逃亡しないか、他のオスが侵入してこないか、
縄張りを守るために、エサも食べずに終始パトロールを行うそうです。

夏の終わり頃にハーレムは解かれ、アシカたちは再び個別の生活へ移る、
ということなのですが、このフィッシャーマンズワーフでは、ボスアシカが
どうやって他のオスを排除したハーレムを作るのかは謎です。

もしかしたらこの人口のアイランドがハーレムとその他を区別するのかもしれません。


ちょうどこの情報によるとこの写真を撮ったときにハーレムは解かれる頃ですが、
もし、このオスがボスだとして、まだハーレムがあったのだとすれば、
アイランドにハーレムを作ればいいわけですから、ボスとしては

見張りは比較的楽だと思われます。



吹き溜まり、という言葉がふと浮かびました(笑)
下から顔を出しているのは若いメスに見えますが、
好奇心から覗いているだけで登るつもりはなさそうです。





どうやらここの区域がその他大勢のオスのアシカのたまり場である模様。
全体的に活気がなくオス特有の首の太いアシカばかりですが、
表皮が苔むしたようになっている個体ばかりです。

手前にはすっかり出世を諦めたおじさん風のアシカ。





ボスになれなかったオスたちが
仲間と気ままに楽しむエリア(想像です)



ということはこれはメス同士ってことか・・。



たしかにこのあたりにいるアシカたちはみんなピチピチです。



若いので動きが非常に活発。

 

しかし肌が苔むしたようなご老人もいることはいます。
これはかつてのギャルであると見た。

かつてのイケイケギャルも今やトドのようになってしまって・・


・・・・・ん?

 

出来心を起こすような元気はとっくの昔に枯れ果てた、
といったアシカはこうやって余生を寝て過ごします。



この幸せそうな解脱の表情。
夜も寝ないでハーレムを見回るボスアシカとどちらが幸せかというと、
圧倒的にこちらだと思うのですが。



枯れていない若いアシカたちはメス同士でも色々大変みたいです。



顔を掻くときは足のひれを使います。




横に「アシカについて学ぶコーナー」がありました。
アシカの骨格。
骨だけいきなり見せられたらアシカとは思いつかない形状です。

この隣にはレクチャールームがあり、ちょうど子供たちが

係員にスライドでアシカの生態について学んでいるところでした。



ここに生息していたアシカで、首にプラスチックの輪がはまり、
そのまま成長してしまったので食い込んでしまった個体を
救った課程を写真に残しています。

パネルの若いオスアシカは、2012年、首にプラスティックの輪がはまった姿を
ここピア39の生息地で発見されました。



当センターのスタッフはこのアシカを救うために
麻酔銃を使って彼を眠らせ、輪を切断することに成功。
輪は肉に食い込み、すごい傷になってしまっています。

酸素マスクを当てられて寝ている顔も心なしか痛そう・・。



彼にはスタッフが「ブロンディ・ボマー」(金髪の爆撃手?)
という名前を付けました。



ブロンディは傷がいえるまで人間の元で暮らし、
今では仲間の元に戻されて暮らしているそうです。


そう言えば、昔うちの母は、小さいころに首輪をしたまま捨てられたのか、
その首輪がずれて脇の下に、斜めにたすきがけになったまま
成長してしまい、
首輪がブロンディのように食い込んでいた野良猫を発見し、

わざわざ餌とハサミを持って追い回して捕まえ、切ってやったことがあります。

猫にも恩人だと分かるのか、その直後から感謝されて懐かれていました。

「たすきちゃん」と名前を付けられた猫はその後母が通るたびに
出てきて挨拶していたようです。 


たすきちゃんは特殊な例ですが、海に投棄されたプラスチック製品は、
しばしば海洋生物の
大きな脅威となります。
漂うビニール袋をクラゲと見間違えて食べてしまい、
胃が閉塞して死んでしまうウミガメやイルカなども後を絶たないのだとか。

このパネルには

「あなたにもボマーのような野生動物を救うことが出来ます」

というタイトルで次のようなことが書かれています。

「海に漂うゴミの90%が捨てられたプラスチックです。
あなたがプラスチックの使い捨てを減らし、できるだけリサイクルすれば、
そしてあなたの周りの道、広場、川辺や海岸に落ちているプラスチックゴミを
拾ってリサイクルゴミ箱に入れれば、それは野生動物たちを
助けることに繋がるのです」

消費は美徳のような風潮をまだまだ引きずっていたころ、
アメリカでは「何をどう捨ててもOK」でした。
仕分けをするのは捨てる人ではなく、ゴミ処理場で働く人たち。
フードコートで何か食べるときには、使いもしないのに
片手一杯の紙ナプキンを取ってきて、未使用のものを
ゴミとして散らかしたまま帰るような光景はモールでおなじみのものでした。

しかし、ここ最近、わたしはアメリカが変わってきたのを感じます。

昔から買い物に自分のバッグを持ってくることを推奨していた
オーガニックスーパーのホールフーズは、もしマイバッグで来た場合、
5セントを


「ドネートorバック?」

つまり、合算から引くか、各種募金運動に寄付するかと聞いていましたが、
アメリカ全体から見るとこの姿勢はどちらかというと特殊でした。

 しかし、カリフォルニアではこの7月から、全ての物販店で
プラスティックバッグ、紙袋が有料になったようです。
何も言わなければそのまま品物をよこしてきますし、
袋に入れて、と頼めば5セントですがいいですか?と断ったうえで袋に入れます。
街に設置されているゴミ箱も仕分けしていない方が少なくなりました。

京都議定書を未だに批准しようとしないアメリカ政府ですが、
民間の意識は随分変わってきたと思います。

しかも、このようにゴミの投棄が生物の命を脅かす、などと
と啓蒙されれば、そういうことには特に敏感なアメリカ人は、さらに
ゴミ問題、エコロジー問題に真剣になっていくでしょうし、
この流れは加速しそうです。


まあもっとも、今のところ

「納豆を食べたら紙カップとプラシートを
それぞれ洗って分別してゴミに出せ」

といわれて粛々と皆がそれに従うのが普通の日本人から見ると
まだまだ「甘い」ですけどね(笑)



平成26年度富士総合火力演習~「ありがとう お疲れさまです∠(`・ω・´)」

2014-09-09 | 自衛隊

さて、延々とお話ししてきた平成26年度富士総火演、
いよいよ最終回となりました。
この日、10式戦車が最後に観客の前を手を振りながら装甲する様子が

ニコニコ動画に上がっておりましたのでキャプチャしました。



わずか40秒の映像ですが、10式の走行の軽さ、速さが実感できるかと思います。

さて、フィールドを歩き、あまり熱心にではありませんが、
少し装備展示を見てから帰ることにしました。



89式走行戦闘車も、遠目には小さく見えましたが、
近くで見ると決して小さいというわけではありません。
自衛隊ではこの装備を、防衛省謹製の愛称を相変わらず拒否して
「ライトタイガー」ではなく「FV」と呼んでいますが、
これは「歩兵戦闘車」を意味する

Infantry Fighting Vehicle

から当初「IFV」と呼んでいたことに起因します。
わざわざ「I」を外したのは、これが「歩兵」という意味だからで、

日本には歩兵は存在せず、普通科と称することから

なぜか「FV」(ファイティング・ヴィェクル)になったのです。
Infantryがなくなったらfighting にも当然意味が無くなるのでは?
Fighting Vehicleでは「戦う車」になるがかっこわるくないか?

とわたしなど思うのですが、まあ、日本だから仕方ありません。

先日お会いした元陸幕長も普通に「歩兵出身」と言っていたように、
「歩兵」は公式あるいは文面では無くなっただけで、「駆逐艦」「士官」
のように口語では現行ですけどね。

しかし屈折した「軍隊」だなあ・・・あ、これも駄目なのか。



そしてここに警備のため立っていた隊員なのですが、

多くの自衛隊員のように結婚指輪着用でらっしゃいます。
そしてその左袖には

FUJI SCHOOL BRIGADE MARTIAL ARTS INSTRUCTOR

と書いてあります。
これ・・・どういうことですか?
気づいたのが写真をアップしてからなので、本人に聴くわけにもいかず。

そこで息子に聞いてみることにしました。


息子は、この夏サンノゼを車で走っていたとき、わたしが上空を指して
「見て、軍用機」というと、ちらっと見てただけで

「あーC−2だね」と機種を即答し、わたしを驚かせました。
軍用機になど全く興味を持つ様子もなさそうなのに・・。
ゲーム関係で色々と仕入れて来る知識の一環かもしれません。
というわけで、

「これなに?」

と聴くと

「だからカラテかなんかのマスターだよ」

えーだからなんでカラテマスターが戦闘車の前に立ってるのよ。

「知らね」



確かに武道の教官といわれても違和感のない体躯ではありますが・・。


マーシャルアーツに他の意味があるとかいう事情を
ご存知の方、ぜひ教えて下さい。



軽装高機動車は、公式愛称「ライトアーマー」、部隊では

「LAV」、または「けいき」などと呼んでいます。

なぜかこのラヴだけ、「接写撮影禁止」と貼り紙がされ、
小窓からは中が見えないようになっていました。

予想ですが、(撮影禁止だったので遠慮して近くでも見なかった)
助手席のモニターかなにかに機密があったのではないでしょうか。



そんな機密よりわたしが興味深かったのは、これ。

なんと

純正ショベルと専用ショベル収納システム!

あんまりショベルが使われた形跡がありませんが、こんな場所に
きちんと装備するからには重要な備品なのだろうと思います。
にしてもよく考えられてますよねー。




96式多目的誘導弾システム

は中をのぞいてもいいようです。
ガン見する彼氏にそれを見守る彼女。

愛称は96マルチ。
曲射弾道を描いて飛翔する長射程の大型誘導弾です。



10式ほどではないけど大人気、地雷原処理車


90式くらいになると道無き道を切り開くことも可能ですが、
いかに戦車でも地雷があっては動けません。
本日の演習でも白眉といえたのがこの地雷原処理車の展示でした。

因みにまわりに迷彩服がいっぱいいますが、自衛官は奥の一人だけです。




地雷原処理車の俯仰を行う部分は、このような

蛇腹状のもので覆われているようです。
何か飛んできて挟まったら元に戻せなくなるからですね。



このころになると、多くの人が装備の回りにたくさん。

「接写禁止」と書かれたラヴの車窓は、案の定それが
興味を引く結果となり、皆が覗き込んでいます。

逆効果だったのではないかと思うのはわたしだけ?



人垣の間から自走砲の砲身が綺麗に並行して見えています。



90式先輩はなんと今気づきましたが囲いなしです。

これなら手形つけられますよ~。


超余談ですが、「やわらか戦車」で90式先輩が好きになるのは

女性らしい曲線を持った74式の戦子さん(弁当屋)です。



オーロラビジョンの画面にはずっと自衛隊広報ビデオが流されています。

わたしたちは帰るだけですが、自衛官たちの仕事はまだ終わっていません。
実はわたしはパスしたのですが、この後には夜間演習の展示があり、
おそらく昼間以上に大変な任務をこなさなくてはいけなかったのです。

警備や整地を含めて大変だったことと思います。



今これを見ていて思ったのですが、自走砲と戦車の見分け方は

単純に自走砲の砲身は長い!でいいかもしれませんね。



自衛官の説明を熱心に聞いているのはほとんどが男性です。
女性のこういうイベントへの参加が増えた昨今でも、

スペックや実際の昨日についてのオタ質問をする女性はさすがに
まだまだ希少種かもしれません。



この辺で見学を終了し、わたしは出口に向かいました。

観覧席のステージに向かって左側は自衛官の待機場所で、
このような偽装網を掛けたテントが立っています。
偽装網はわずかでも暑さを凌ぐ役目があるのかと思いました。



もはや巧みの技と呼びたいくらい。

斜面には車両がミリ単位の車間で停められています。



この、一段高いところにあった外の見えるテントですが、

もしかしたら来賓の観覧する席だったのかもしれません。
雨や陽射しをよけつつ、全面が見渡せる場所だからです。



そしてテントの前の小高くなっている一角が報道席。

三脚が立っていますが、カメラはなく、カメラマンは今
外に出て撮影をしているのかと思われます。



バラックのような建物ですが、アンテナが立っているここは通信班。




偽装網ですっかり隠されていましたが、中からはいろんな音が聞こえて

かなりたくさんの隊員が詰めているテントに思われました。



そんな観察をしながら駐車場に向かいます。

行きは何とも思わなかったのに、帰りの坂道の斜面が
あまりにも急だったことに気がつきました。
隣を歩いていた人が、

「あれ、この坂道こんな急だったっけ」
「行きは気づかなかったな」

と全く同じことを言っていたのでおかしくなりました。
朝、一刻でも速く現場に到着しようとして気がせいているときには
誰でも全くそんなことは意識にないくらい懸命に歩くものなのですね。

全てが終わって疲れと気が抜けた状態で歩く身には、
全く別の道のように感じられました。 


さて、興奮と感激のうちに終わった総火演。
わたしにとって生まれて初めての実弾による陸自演習でした。
我が日本国自衛隊の精鋭ぶりを目の当たりにし、

あらためて彼らの日頃の鍛錬に頭が下がる思いでしたが、
最後にこんな隊員たちの姿を紹介して、
この総火演編をおしまいにしたいと思います。





ヘリが次々と着陸し、展示のための戦車や自走砲などの装備が
走行して所定の位置に付けられているあいだ、
このような一団がフィールドをくまなく歩き回っていました。

一番前の隊員が持っているのはゴミを挟むトングですが、
あとは全員な長い棒と、背中にランドセルのような器具を背負っています。

どうやら不発弾や燃え残りなど、フィールドに危険物を残さないように
点検して回っている部隊のようでした。



10式戦車でスラロームした隊員にも、ローラーで地面を均した隊員にも、
こうやってフィールドを歩いて点検にあたる隊員にも。

この日任務にあった全ての自衛官たちに、心からの敬意と感謝を。 

 

 

終わり。

 


平成26年度富士総合火力演習~装備展示(+自衛隊報道問題)

2014-09-07 | 自衛隊

さて、楽しくお話ししてきた(ほんとーに楽しかった!)
平成26年度富士総火演のレポートも終わりに近づきました。
フィールドにはヘリに続き戦車が次々と並べられ、同時に

バンプの回り、装備の回りに杭が立てられ立ち入り禁止の
テープが貼られたりという準備が整っています。

準備の間、会場に行く人はわたしの横の通路に集まって、
今や遅しと通行が許可されるのを待っています。

周りを見回してみると、座っているのはわたしだけ(笑)

そしてなぜかゴミが入っているらしいポリ袋がポツンと
たった一つだけ、横に置かれています。
もしこれが放置されたゴミだったら拾って行こうと思って
わたしはずっとそれが気になって仕方がありませんでした。

 



それはともかく、わたしはこの装備展示の準備を見ていて、
実に日本的な光景であると思いました。


展示のまえに点検と同時に戦車を丁寧に布で拭っているのです。 
習志野の訓練展示の直後は戦車を洗車していましたし。

おそらく彼らにすれば毎日の、当たり前の作業に過ぎないのですが、
世界的に見てこれが標準というわけではないと思われます。

台湾ではパトカーやタクシーですら何日も洗車していなさそうな
泥だらけの車が走り回っていたくらいです。 
アメリカでは・・・洗車とか自分たちではやらなさそうですし。



90式の準備も丁寧に行われています。

この角度から見ると、90式戦車の特徴であるテールの張り出しが
良くわかるかと思います。
後ろに向かってテールがかなり高めになっていますね。
自衛艦の「オランダ坂」の逆です。

「ヒトマルとキュウマルの違いがイマイチわからない」

とお悩みの方はここを見れば一目瞭然、見分けがつきます。



鉄杭を打って黄色い立ち入り禁止のテープを貼る作業も

並行して行われています。

後ろにいたオタっぽい男性二人が、

「ああ~ヒトマルにも立ち入り禁止貼るのか~」
「ヒトマル触りてえ~!手形付けてええ~!」


と実にオタっぽく咆哮しておりました。
やっぱり触りたいっすか。(理解不能)




明らかに汚れのなさそうな部分をも丁寧に布で拭います。

この74式は制式から今年で40周年を迎えた長老。
16年後に制定された90式とこの一番大きな違いは

74式は停車しないと砲撃ができない

のに対し、

90式は自動装填装置によって移動しながら砲撃が可能

ということです。
この最大の利点は攻撃しながら反撃を受け難いということ。
10式のスラロームや後方に下がりながら撃つ「後退行進射撃」は
この90式の利点をさらに進化させた点なのです。

戦車の最も重視される火力についてはコンピュータの搭載も含め
ほぼ一線としても(この辺あまり調べてませんが)、そこで
戦車を小型&軽量化したというのは世界でも日本だけ。
そこでなぜ小型化か、というとこれはおそらくですが、日本の地形を
鑑みてそこで運用することを視野に入れた改変でしょう。

だいたい、自衛隊が戦車を日本本土以外で運用することなど、
憲法をたとえ改正したところでありっこないのです。


そもそも小型軽量化のついでに機能を変態的に向上させる、というのは
日本の技術の最も得意とするところですが、軽量化による駆動性能のアップは、
世界の何処にもない「ヘンタイ戦車」として10式を歴史に残すのでしょうか。

まあ、国産ヘリのOH−1ニンジャもそのあまりなヘンタイぶりに
優れたヘリコプターに贈られる「ハワードヒューズ賞」を貰いましたし、
「ニッポン式ヘンタイ技術」はいまや世界の趨勢です(適当)



展示会場になだれ込む人がいる一方、帰路を急ぐ人たちも。

手前の白い帽子はどうみても女物。
野球帽の下にタオルを被っている人、陽射し対策は万全です。

10式の前にはすでに人垣ができつつあります。



しかしその他の装備には今のところ見学者なし。

88地対艦誘導弾システムの回りもこの通り。


この説明板に

「洋上において敵艦船を遠距離から撃破するために使用する」

とあるのですが、これではまるでこの設備を洋上に配備するみたいです。

「洋上にある敵艦船を遠距離から撃破する」

の方が正しいと思うのですが・・・(おせっかい)




ちなみに画像から勝手に人物だけ切り取る仕組みが

わたしのデジカメにはついております。




地対艦ミサイルに内蔵されているのは、


誘導弾脱着工具(これはわかる)

ショベル1 バチツルハシ1 おの1

・・・・・・・?????



雷蔵さんいわくこのSSMは


「なんでこんなものを作ったの?」な不思議なシステム

なんだそうで、その理由は

ミサイルの射程は150kmもあるのに、
レーダーは20kmくらい先しか見えない


帯に短したすきに長し?ちょっと違うか。

つまり陸自の装備らしく?ネットワークシステムについては全く不問状態で、
この装備も引退寸前まで行っていたのですが、南西諸島の不穏化に伴い、

急に脚光を浴び、データリンクの計画が進行中だそうです。



皆は向こうの方に他のヘリを見るために歩いて行っています。
わたしは最近陸自の装備に関しては見慣れたせいか、
そのためにこの暑い現場をこれ以上うろうろすることにヘタレてきてしまったので、
ヘンタイ大賞じゃなくてヒューズ大賞を取ったニンジャだけをカメラに収めました。



そしてわたしは最後に10式(に群がる人々)を観察に。
こちらは後ろ側なので人がいませんが、砲身が見える部分には
オタ共がびっちりと張り付いております。



説明&警備のために立っている隊員は大人気。

あれこれと質問攻めにあっている模様。
皆、気持ちは分かるけどSSMの隊員にももう少し質問してあげて・・・。



10式がこれだけ熱い視線を集めていても、いまだに

いややっぱり90先輩(byやわらか戦車)の方がいい!
というファンだっているようですね。(ネット情報による)

この迷彩ズボンにOD色シャツ、タオルには日の丸入りの父は、
息子二人を戦車後尾に立たせて記念写真を撮っていました。



90式の後ろに立っていた隊員も大人気。

向こうの方にいる人垣は全部左の10式を見ているようですが。



どこにでも見かける「自衛隊員に質問する中高年」。

いったいどんなことを質問しているんでしょうかね。

わたしは今度の装備展示でSSMの隊員に

「データリンクが採用されたら司令部いらなくなるんですか?」

(by雷蔵さん)
って聴いてみようかな。
隊員さんはこういうのどこまで知っているんだろう。




さて、わたしの隣に放置してあったゴミ袋についてですが、

通行が許可され人が動き出したとたん、小学生の子供がやってきて
ちゃんと袋を持って行きました。
シートの上には見渡す限り放置されたゴミは全くありませんでした。


ところで先日、荒川区の花火大会で散らかされたゴミの写真が


「日本人がゴミを出さないというのは外国でだけ」

という記事と共にネットのニュースとなりました。
わたしはまずこの「ゴミだらけの花火大会」に違和感を覚えました。

あの大規模な大曲の花火大会ですら、わたしが見たところ
座席や通路には全くゴミは残されていませんでした。

もちろん集積所にはあふれんばかりのゴミが積まれていましたが、
ニュースの写真はそれがあふれたところをわざわざ探し出して
そこだけ撮ったという感じで、
中国の観光地や韓国のW杯惨敗後の客席のような、全面にわたって
手の付けられない散らかり方とは全く違うものでした。
 

あのニュースは、一体なんだったんだろう、と今にして思います。


朝日新聞の件で、メディアやマスコミの報道というのは

「事象」ではなく、「自分の報じたいこと」であり「思想」である、
というのがようやく世間の常識となってきましたね。

たとえば最近インド国内の犯罪についてのニュースが増えたと思いませんか?
インドのモディ首相と安倍首相との歴史的な対談の内容は報道されなかったのに。

モディ首相は

「日本に戦犯などおらず全員無罪、パール判事は我々の誇り」

という発言をしています。

また、あまりにも嘘くさくて話題にもならなかったけど、ちょっと前には

小野寺防衛大臣のキャバクラ通いの話なんかも、中国機が自衛隊機に
異常接近し、防衛大臣が非難声明を出したのと同時に出てきましたよね。


こういう記事に隠された、アカラサマに日本を貶めたいという真の意図を、
わたしたちはネットのおかげで見抜くことができるようになってきています。


今年の4月、セウォル号の事件で、責任者が皆現場から逃げだしたことが、

世界中に非難されていた頃、朝日新聞はも3年前の原発事故に吉田調書を
わざわざ捏造して、


「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」

という記事を書きました。
これははっきりと、

「日本人も危機の際には真っ先に命を惜しんで逃げ出すじゃないか」


という、セウォル号への非難への「カウンター」だったと言われます。
それとは比べるべくもない小さな記事ですが、この「花火のゴミ記事」も、

「日本にはゴミは落ちていない」「日本人は清潔好きである」

という世界的な評価を面白く思わない連中が書いた匂いがします。
さて、それはどういう者たちでしょうか。

そして、常時非常時を問わずマスコミが大騒ぎするのが、
そう、自衛隊の不祥事です。

防大の帰化人学生によるスパイ問題は、国会で質問されたのにも係らず
全く報じられないのに、同じ防大の苛め問題は騒ぐ。
つい先日はレンジャー訓練の「最悪の想定」に対する画像が
流出し、またもやそれに対して騒いでいるようですね。

いかなる組織にも正負の両面が存在しますが、マスコミは
それがほとんどである正の面は全く報じず、負の面だけを
まるでゴミ集積所にあふれたゴミだけを写すように、切り取って
さらにクローズアップし、それが全てであるかのように報じます。


これに関してはほぼ一線である既存マスコミに対し、
おもにネット言論は(あまりにおこがましいですが当ブログも)
カウンターとなって自衛隊の支持と応援を担ってきました。

何十年か前には堂々と行われていた自衛隊差別は当時ほどではなくなり、
ここに至って世間の趨勢はずいぶん変わってきたような気がします。

根が反自衛隊であるメディアは相変わらずの調子ですが、 最近では
「自衛隊人気」に追従する既存マスコミの動きすら見えてきました。 


防大や陸自の苛めも、昨日今日から行われていたことでなければ、

「じゃあなぜ今出てきたのか」

という「報道の意図」を国民はそろそろ読むようになってきます。
この報道に乗っかって「自衛隊は最低の集団」とことさら声を荒げる人は、
おそらく集団自衛権にも特定秘密法案にも反対しているでしょう。

マスコミが情報を独占し、恣意的にそれを流していたころには
低かった自衛隊の地位が、ネットで情報を検証し、
取捨選択できるようになった今、かなり改善しているということは、
この構図をはっきりと証明しているではありませんか。


次回最終回に続きます。 

 



 


平成26年度富士総合火力演習~装備展示(準備編)

2014-09-06 | 自衛隊

総火演、前段演習、後段演習と全演習が終了しました。
何度も来ていて帰りの混雑を避けたい人は、ここでさっさと
出口に向かいます。

わたしは大抵の装備はなんだかんだで近くで見ているのですが、
今年は初めてなのでフィールドに立ってみたいと思い、
取りあえず装備展示の過程を見守ることにしました。



終わったとたん、皆お片づけ開始。
シート席は文字通りシートが敷いてあるのですが、
そこにそのまま座る人はあまりいません。
日本人の習性で、ちゃんとシートの上にさらに持参のシートを広げます。



ところでわたしは初めてなのでこんなことにも驚いてしまったのですが、
シート席には本当に土の上にシートが敷いてあるんです!
たとえば何も持たずに来たとしても、国民を地べたに体育座り、
などということは自衛隊の沽券にかけても絶対にさせない!

というわけで、なんと全面にわたって敷き詰められたシートも迷彩柄。
このとてつもない大きさのシートをぴったりと敷くこともまた

自衛隊という機動組織ならではの技といえましょう。



この日は「関係者」即ち自衛隊の家族、隊員の招待枠(わたしもね)、

あるいは防衛協会や国防協会、関係各社、報道、
そして地本の招待客などが観覧しました。

予行演習と本番の違いは政府から誰が来るかくらいで
内容においてはほとんど同じだそうです。



終わったとたん皆立ち上がって移動を始めるので、

2列目でのんびりと座っていたわたしの回りにはほとんど
座っている人がいなくなり、大変居心地が悪かったです。

画面右手の女性はなんとこの状況で座ってお弁当を食べていますが、
ただでさえ土ぼこりが舞い、回りの人たちはシートの上を
土足で普通に歩き回っているこの劣悪な環境下でよく・・・。
ある方の知り合いの海上自衛官が

「砂入りのご飯がいやで」

陸自はパス、と言ったという話もありましたが、
・・・これ、陸自の想定中の食事より砂入ってませんか?

わたしたちはこの日の食料問題については、ホテルの近くのコンビニで
TOが適当に買ってきたものを、前段と後段演習の間に口に放り込みました。
わたしは朝7時から2時まで一切席を離れませんでしたが、
途中でTOが焼きそばを屋台で買ってきたので一口貰ったり。
どちらにしてもこの日は栄養やらバランスやら味は不問です。



このとき遠目にウケた一人の少年のTシャツ。
これ、「不当判決」バージョンも欲しいなあ。


当シリーズは、今年行き損なったけど来年ぜひ、と思っておられる方に、
ちょっとしたアドバイスも織り込んでお届けしているわけですが、
一番大切なのは「陽射し対策」そして「水」です。
水は重かったのですが多めに買っておいて良かったと思いました。

水を含ませて冷感を得るタオルは、仕事のためにスーツで来て、
勿論帽子も持っていないTOがずっと頭から被っていて、
彼が途中で現場を去ったときにはそれはすでにカラカラでしたが、
ペットボトルの水でもう一度再生することができたからです。




さて、ここで突然ですが、自衛隊みやげのご報告。




これは、今回のお土産ではありません。
夏前に朝霞駐屯地を訪問したときにショップで買いました。

わざわざネタのために買ったのに←
ブログでアップするのをすっかり忘れていたのです。


この缶詰はわたしが時々自衛隊の売店で買って来る

「パンの缶詰」

少し前に萌え絵の自衛隊3人娘のバージョンについて
ここでご紹介したことがありますが、なんと時代はここまで来た!

自衛官3兄弟!

長男 陸人!
次男 海人!
三男 空人!

いやーそう来たか。萌えオタじゃなくて腐女子狙い?
製作元のヨコエのHPを見ても何の説明もないのですが、



照れ屋で無口だけどいざとなると優しく頼もしい長男!(陸自)


クールで知性派、ロマンチストの一面もある次男!(海自)

やんちゃで甘えっ子、茶目っ気があって天真爛漫な三男!(空自)


みたいなサイドストーリーまで見えてきそうです。
彼らのバックにはうっすらと日の丸まで仕込んであり、
腐女子狂喜、みたいな?

ちなみに次男の海人さんは現在一尉、徽章は航空にも見えますが、
眼鏡着用であることからわたしは航空医官徽章であると断定します。
つまり防衛医大卒です。
三男の空人くんは、航空操縦徽章をつけているのでパイロットですね。
長男の陸人さんは困ったことに階級章も部隊章も徽章も付けておりません。
こんな顔をしてレンジャー徽章かなんか付けていたらびびりますが、
(でも実際にこういう優男タイプがいるからなあ)
何しろ何のマークもないので、陸人さんは自衛隊に入れなかったため、
中田商店で制服を買って陸自のコスプレをしているだけと決定。 


あと、空自の空人くんは、ブルーのフライトスーツとかのほうが
いいのではないかと個人的に思います。
さらに細かいこと突っ込むようだけど、海自士官の夏の制服の場合
靴は黒じゃなくて白、これ大事。
 

ついでに個人的にわたしは次男が好みですかね(〃'∇'〃)ゝ 



さて、自衛隊3兄弟の話をしている間にも、フィールドではまず
ヘリコプターが所定位置に降りて順次展示の用意を行います。



その間、もう一度、今度は東京音楽隊と富士学校音楽隊が合同で
最後の演奏を行いました。

最後とあって思いっきり楽しく、今大流行の「フローズン」の挿入歌
「Let It Go」、なぜかキャンディーズの「年下の男の子」(なんで?)
などポップな(ポップすぎる?)曲が演奏されました。

それはともかく自衛隊のPAらしく、真面目に

「キャンディーズは昭和何年に結成された女の子3人グループで
メンバーはランちゃんスーちゃんミキちゃん以下略」

とか、

「普通の女の子になりたいといって解散し以下略」

などとアナウンスしていたのがなんかシュールでした。



その間も、ヘリが順番に離陸してきます。

つづいてはSH−60JA。
最近わたしの中で評価の高い他用途ヘリコプターです。

固定武装も、全くされなかったというわけではなく、

ドアガンを固定した部隊「ドアガン飛竜」(←)という部隊が
第1ヘリコプター団に2008年には登場しています。

うーん・・・見てみたい、ドアガン飛竜とやら。



ちょっとこれ見て下さいよ。
雷蔵さんの昨日のコメント

「ヘリのパイロットは着地するところが全く見えない」

というのを実証する画像です。

隊員が着地地点を確認するために身を乗り出しています。
太ももから上全部窓から出しているわけですが、
落ちたりしないのかなあ・・・ヘルメットで頭も重くなってそうだし。

因みに冒頭の写真は、ロクマルとコブラのローターがちょうど
並行になるときを狙って撮ってみました。
偶然じゃありません。




おつぎは愛しのOH−1ニンジャ。

この日も宙返りするようなバック転しないような、
挙動不審な態度であいかわらず人々の注目を集めていました。




偵察機、というより正式な分類としては「観測ヘリコプター」というそうです。
そういえばこの日の想定中、後段演習で確か

「無人機も出動し」

と聞こえたような気がするのですが、実際には見ませんでした。

自衛隊の運用する武装ヘリには、将来的にこのOH−1が改修される予定、
とどこかで見たことがあります。
かなり前の情報でしたが、今はどうなっているのでしょうか。

エンジン機能を向上させたニンジャに武装させたら、それこそ
スーパーコブラ並みのパフォーマンスを持つ、という話でしたが・・。




うっすーい機体は一瞬ニンジャと間違えそうですが、
いかつい武器をいっぱい抱え込んでいるのがこちら。

AH−1Sコブラ

ニンジャはご存知川崎重工業製。
コブラはベル・エアクラフト。
創始者のローレンス・ベルはヘリコプターの開発者といっても
差し支えない(早熟の天才ヒラーJr.は彼のライバル)人物です。

現在はベル・ヘリコプターであるこの会社ですが、「エアクラフト」時代、
P−39エアコブラ、P−63キングコブラを生産していました。
ヘリにコブラを踏襲したのもこれらの戦闘機へのオマージュであったと考えられます。


ところで自衛隊では去年くらいまでは痛車ならぬ痛機塗装をして

「萌えコブラ」「痛コブラ」

などが各地の基地祭などに出現しました。
自衛官たちが渾身のペイントをほどこし、世間はおおいに湧いたのですが、
そのあまりの完成度の高さが仇となり、ついにお上(自衛隊のね)から
禁止令が出されたため、痛ヘリペイントはもう見ることはできないそうです。



このアパッチが次々に人を殺して行く様子をライブリークで見つけ、
それに比べてあまりに平和な日本の現状を鑑み、

「武器に萌えることができるのは平和の証拠」

などと嘯いてみたわけですが、

日本国自衛隊にやってきたばっかりに、コブラは武装ヘリどころか、
まるでアニオタの痛車のような恥ずかしい塗装を施されてしまった

これを「顰蹙」と考えるのか、平和の証とみるのか、はたまた、
有事に対するとてつもない平常心と見るのか。

そのうち歴史が証明してくれることでしょう。(投げやり)



このときのアパッチの写真を見て気づいたのですが、
ローターのブレードの尖端から白い線が出ています。

今まで何度もヘリコプターが稼働している写真を撮ったのですが、
こんな白煙のようなものが見える写真は初めてだったので珍しく感じました。


これ、どのような条件で写るものか分かる方おられます? 



続く。


平成26年度富士総合火力演習~状況終了

2014-09-05 | 自衛隊

今過去記事へのコメントを書きながら、冒頭の迷彩メイクの
隊員さんの顔を見ていて、ふと気づきました。

なぜ彼らが右目を残してメイクしているか。

そう、関係者ならもうとっくにお気づきだったと思いますが、
彼らは銃や砲撃の際

スコープや照準を見るために銃を右目に当てるから

つまり、装備をファンデの成分で汚さないように、
顔の右半分に化粧しないという慣習ができているののでは?



これ、確信を持って書いています。正解ですよね?

というか、これまでの人生で 考えたこともなかっただけに、

「右目残しが自衛隊メイクのトレンドか?」

などと追求してみたのですが、ちゃんと理由があったということに

気づいて感動しているエリス中尉です。



さて、機動展開ののちシナリオは島嶼部に機動展開した
部隊による奪回の段階に入ってきます。

水陸機動部隊がまず上陸をするわけですが、
防衛省は本年度の防衛大綱で尖閣有事に特化した

「水陸機動団」

の創設を打ち出しています。
佐世保に3連隊を配備し、新しく創設する

「陸上総隊」

の直属として2~3千人規模を投入する予定。
島嶼(とうしょ)部が侵攻された場合、水陸両用車を
数キロ離れた海上から発進させ、戦闘部隊を揚陸させます。

この水陸両用車についてはこんな画像を拾ってきました。




戦車じゃないじゃん!船じゃん!
と思われた方、それではこれをどおぞー。



ね?戦車でしょ?

この水陸両用戦車はアメリカから中古のものが4両、調達されたばかり。
来年あたりはモニターにこの映像が出てきそうなのですが、
今回は時期尚早で、LCAC(エルキャック)が2機映っておりました。
(ちゃんと見ていないのですが、たしか)

海自艦艇から揚陸するというシナリオだったので、
おおすみ型輸送艦が投入されたという設定ですね。


ところでこの水陸機動団には米軍の垂直離着陸輸送機

MV22オスプレイも導入する予定

で、同機で前線に部隊を投入することも可能になります。
さぞ佐世保周辺のサヨクが発狂することでしょう(笑)

こうして見ると、本当にオスプレイで騒いでいる連中というのは
中国共産党の意を受けているってのが良くわかりますよね。



本日大活躍の87式偵察警戒車、全車が発砲態勢を取った瞬間。



これは、92式地雷原処理車の登弾。
広範囲に地雷の敷設された地雷原を啓開(船舶用語で障害物を取り除き、
航行できるようにすること)するためにロケット弾を発射します。

登弾されるのは「爆薬ブロック」。
これはワイヤーでつながれた26個の爆薬からなります。
総火演では危険なため、火薬を4分の1の6個か7個に減らして行います。



炸裂までずいぶん時間がかかったように思えました。

空中で末端部のパラシュートが開き、ロケット弾本体の中から
数珠繋ぎ状になった爆薬がパラシュートに引き出されます。
爆薬は縦一列に地雷原上に落下し、炸裂した爆薬は

敵が埋設した地雷を爆破し、車両が通る道を確保するのです。



そして10式戦車投入。

ちなみにわたしのNIKON1はこの時点でとっくに息絶えていたため、
仕方なくソニーのRX−100を投入しております。



10式は4基が一列に並んで手前に侵入し、それから敵陣を向いて

走行しながら台に向かって発砲。
砲身が火を噴くタイミングはほぼ同時でした。 






侵入してきて正面に向きを変える直前だったかと思います。



わたしの座っていた場所の前にはオート隊がジャンプするバンプがあるので、
そこにさしかかる前に撮らないと、あとは右手の観客に遮られてしまい
撮れなくなります。


10式戦車の導入は将来的な国防を見据えた結果ですが、何を一番
重視したかというと、なんといっても機動性。
軽量小型でありながら火力・防御力も向上していなくてはなりません。




この日の注目も主に10式戦車に集まっているように思われました。

シグマのレンズもヒトマルだけを狙っているようですが(笑)
向こうには74式が二台砲撃態勢を取っているのよ。



90式との一番大きな違いはテールの張り出しですかねー。
グンと突き出している方が90式。
10式は40トン、90式からは10トンも軽くなっているだけに
装甲もできるだけミニマイズされた結果、この違いとなっています。



大きく左右に蛇行しながら正確な行進間射撃を行う「スラローム射撃」、
及び急速後退しながら正確な射撃を行う「後退行進射撃」が可能で、
「スラローム射撃」は90戦車では行えなかった射撃方法であり、かつ
90式以上の高い砲安定化能力を有しています。

コメント欄で後退行進攻撃の意味について疑問が呈されておりましたが、
これははっきりと理由があります。

車上から無反動砲を撃った後、すぐさまそこを離脱することになっている、
と軽装高機動車の展示の際アナウンスで強調していたように、
後退(しかも急速に)しながら砲撃を行うというのは
向こうからの反撃に備えて同時に退避することが可能という意味なのです。

迷彩メイクの右目塗り残しと一緒で、自衛隊のすることには必ず合理的な
意味があるのだと考えても良さそうですね。



89式走行戦闘車。
なぜここにこの写真が入っているのかわかりませんでした。
最後に全種が一斉射撃するのでそのための走行かな。 



ふと気づくと,左手にヘリが全機ホバリング待機していました。
いつ見ても不気味な眺めです。
戦車の一斉射撃を待って一時になだれこむ準備です。



89式装甲戦闘車(ライトタイガー、通称FV)二台。

後ろのハッチや側面に3つ、丸いものが見えますが、これは
ガンポートで、ここから小銃を乗員が掃射できます。

蓋は防弾ガラス仕様ですが、装甲の弱点にもなるので
時代遅れの設備だといわれているとか。



10式に続いて90式もフィナーレ?に向けて正面に移動。



そして全車が一度に砲撃を!



決定的瞬間を撮り損なったので、YouTubeの動画を
そのままキャプチャしました。
これはこの前々日の19日のフィナーレになります。
このときはあまりお天気が良くなかったんですね。

わたしはこのあと大曲の花火大会に行ったわけですが、
今この映像を見て「まるでナイアガラ・・」と思いました。

きれいでしたよー。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓



それと同時にホバリングで待機していたヘリ部隊が侵攻してきます。
この前に座っていた人たちは、前列を背もたれ付き座椅子で脚を伸ばし、
悠々の鑑賞をしながら撮影を行っておられましたが、
フィナーレ終了と同時にさっさと席を立ち、
混雑する前の会場をとっとと後にしていました。

隣の人に「ではまた来年前列で」と声をかけていたので
かなりのベテランなのだと思われます。



一斉砲撃とほとんど同時にヘリ部隊が動きだし、上空を通過。
第一空挺団の降下訓練においても、島嶼奪回の一番最後には
ヘリ部隊の前進によって「締め」となっていました。

奪回つまり敵勢力が無力となった時点で、占拠されていた敵地に
ヘリが降り立つというのがパターンとなっているようです。



そのときフィールドはこんなことになっていました。
全車一斉砲撃のあとの硝煙?が巻き起こす真っ白な煙幕。



というわけで見事敵を制圧し、島嶼の奪回なったあと、
旗を緑に変えて移動となります。



♪ソードソードミードミード
ソミドミドソドー♪ 

という喇叭が二回繰り返され、状況終了。

息つく間のない40分間でした。

本作戦最初はP−3Cによる偵察から始まりましたが、実際にも
那覇市にある海自第5航空隊は15機のオライオンをそれこそ
フル稼働して、休みなく警戒と監視を行っています。

海自だけでなく海保の警戒も一瞬たりとも気の抜けない状況です。

1日午前10時すぎ、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の日本の領海に
中国海警局の船3隻が相次いで侵入し、巡視船が領海から出るよう警告すると、
海警から中国語と日本語で

「貴船はわが国の領海に侵入した。ただちに退去してください」

と応答があったというニュースがありました。

以前にも難破漁船を廻り人民解放軍の船が出動した、
というニュースを取り上げましたが、中国はこのように波状攻撃によって
こちらの反応を常にうかがい、試すような示威行動を繰り返しています。


何度も書きましたが、中国に対しては隙を見せないこと、
この総火演のように「いつでも即応態勢だぞ」と内外に知らしめることで
パワーバランスを取ることができます。

知ろうとしない人たちには見えて来ないかもしれませんが、
我が国はそれに対してただ手をこまねいているわけではありません。
政府も自衛隊も、常に態勢を状況によって変更し、
万が一の事態に備えてあらゆる想定を行っているのです。

総火演そのものは恒例のデモンストレーションでもありますが、
我が国が防衛態勢を先鋭化しつつあるあの地域にまさに照準を合わせ、
かつ先を見据えているということは十分伝わってきましたし、
この日一日、目の前で展開された隊員たちの素晴らしい練度は
何よりもわたしには頼もしくこの目に映りました。


続く。

 


 


平成26年度富士総合火力演習~機動展開とラペリング降下

2014-09-04 | 自衛隊

富士総火演、前段演習が終了しました。
前段と後段の間には15分間だけ休憩と整地の時間が設けられ、

その間富士学校音楽隊の演奏が行われます。



整地といっても、そう大々的なものではありません。
散水車が火砲の火力で草に火がついたりしないように(たぶん)
こういった茂みに水を撒いたり、



グラウンドにも土煙が上がり難いようにか、

水を撒いたりする程度です。



そのせいで地表からはもやもやとした水煙が立ち上っています。

その地面に片膝ついて待機姿勢をとる隊員。



こちらにも。

リールに巻かれているのは・・・・・電気コード?



この「片膝立て」がどうも待機時の基本姿勢のようです。
彼らの横にあるのは




88式地対艦誘導弾

防衛省的には「シーバスター」、現場では「SSM」です。
「シーバスター」くらい嫌がらずに使ってあげればいいのに・・。
だって、名前を聞いただけで「対艦」ということがわかるじゃない?

まあ、本来なら「シップバスター」となるはずが、
それではあまりに自衛隊の装備名称にしては露骨ではないか、
と最後の最後で腰が引けた結果が

「海をやっつける人」

という不可解な名称になったようなので、現場が嫌がったのも
この中途半端さにあるのではないかという気もしますけど。




状況開始です。見たら分かる。




ここ何年か、といってもわたしの知る限りでは、少なくとも
陸自の訓練展示では「島嶼奪回」がテーマになっていました。
まー何というか、我々フリークェントカスタマーにはおなじみというか、
今さら感すらあるテーマであるわけですが、それも当然で、
これらの訓練は日本の領土を虎視眈々と狙っている

どこぞの国に対し(あとちゃっかり不法占拠している国もね(ゝω・)v

「我々は領土を蹂躙された場合に備え常日頃想定を行っているぞ」

ということを宣伝するという意味があるわけですからね。



と・こ・ろ・が(笑)総火演を取材に来ていた中国メディアが

先日こんな記事を書いているんですね。


「日本はいくら平和国家のふりをしていてもそうは見られない。
総火演は尖閣を中国から奪うための戦争の準備だ」


いやいやいやいや(笑)

平和国家の「ふり」って。
まあそう見えていることは認めるのね。

「日本の軍事力強化の真の意図がたちまち露呈した。

こうした奪島シミュレーションは平和促進のためでないのみならず、
戦争を引き起こすものだ。
日本の民衆は現在政府に多くの不満を抱いている
日本の民衆はは集団的自衛権の行使容認によって
市民が戦争に巻き込まれることを憂慮している

勿論そう言う人も、おたくとちがって言論の自由が保障されている
日本には
いるみたいですけどー。

「民衆がこの日演習を見て感じたのは、おそらく国の強大化への
自信ではなく、反対に国と自らの運命に対する憂慮だろう」

まったくはずれてると思いますー。
ていうかそれはあんたらの願望だろっていう。

少なくともわたしなんかは国の護りにこれだけの修練を積んでいる
自衛隊のみなさんの頼もしさにワクワクしましたがなにか。

というか、島嶼奪回の訓練をされるのが中国さんにとっては
不快&不安であるらしい、それはわかった。


うん、ということは、このテーマは「効いてる効いてる」ってことですね。


ついでにこの新聞が、この後段演習の解説をしてくれているので
皆さんに説明するためちょっとお借りしてきました(笑)
まとめてくれてどうもありがとうございます。


想定「敵国による島嶼占拠」

第1段階 事前配置部隊による対処

第2段階 主力部隊の機動展開・進攻

第3段階 占拠された島嶼の奪還



というわけで、始まり始まり~。

まずは海自から二機のP3−Cが哨戒を行います。



どうでもいいことですが、わたしはアドレスにorionaを使用しています。


この「オリオン座」を意味する名前が気に入っていて、
もし将来馬のオーナーになることでもあったら、名前には迷いなく

「オライオン」とつける予定だったのですが(以下略)



オライオンが通り過ぎた直後の客席。

観客の視線と、上段の自衛隊員たちの視線の向きが全く違うのに注目。
自衛官たちは次に空自のF−2戦闘機がやってくることを知っているため、
全員が左手上空を探しています。 



F−2も2機で来ました。

奪回のための戦闘の段階で、F−2はミサイルを実際に発射します。



シーバスター、いやSSMが照準を合わせ、
ミサイル発射態勢を取りました。



ええっと・・・これは・・・


パジェロ?(←ボケ)

立てているのはレーダー的なものだと思うんですが。
正確にはここまでが情報収集の段階です。
拡大してみれば分かりますが、助手席では

大きなモニターを兵員が見ています。



とかなんとか言っていたらいきなり始まっちゃったよ。

いきなり敵艦隊攻撃が。



えーと、これはたしかF−2に登弾された爆弾だったかと。
なんとも綺麗なキノコ雲ができております。
ここは海で、たぶんこれは「遼寧」かなんか。(適当)



ヘリが投入されるのは「機動展開」の段階からです。

まずは先遣部隊として偵察機OH−1ニンジャが。



ちょっとサービスでニンジャのコクピットを拡大。




続いてヒューイがドア全開でやってきました。




拡大してみてびっくり、なんとオート2台が

ぎゅうぎゅうに積まれています。



地上に降りるか降りないうちに固定を外しています。



えと、これどうやってバイクを降ろしたんでしょうか。
ちょうど写真が飛んでいるのでわからないのですが、
ヘリ隊員が持っている長い棒のようなものは、拡大すると
ちょうどオートのタイヤがはまり込むような仕様になっています。
これをラッタルのようにして一瞬で降ろしてしまったようです。



武装ヘリアパッチが機動展開中攻撃します。

ニンジャ「アパッチ先輩、やっちゃって下さい!」
アパッチ「おうよまかせとけ」



おなじみパラパラ攻撃。
よく見ると下方にものすごい数の薬莢がばらまかれています。

しかし、アパッチ先輩が本気になったらこんなものでは(略)



ブラックホーク、UH−60JA登場。

ブラックホークダウンという映画もありましたね。
自衛隊では案の定ブラックホークではなくロクマルと呼ばれているそうですが。

あのアメリカ映画では立派な武装ヘリとして登場していましたが、

日本ではどちらかというと救難ヘリのイメージが強く、
陸自でも固定武装はご予算の関係で装備されていません。



では陸自ではこれを何を目的に運用しているかというと、

偵察と輸送、だそうです。
本想定でも何か運んできた模様。




そこにCH−47、チヌークがいきなりラペリング用のロープを投下。

降下のことを「リペリング」と書いてあることもありますが、原語は
rappelingで「ラペリング」と発音しますので、こちらで書きます。



二本のロープで二人ずつラペリングしてきます。




降下のときにいわゆる安全装置のようなものは一切使っていないようで、

訓練で慣れているとはいえ、いつもすごいなあと思います。
レンジャーならずともこれが普通の陸自隊員の身体能力恐るべし。





しかも小銃背負っているわけですからね。

地上に降り立つなり銃を背中から外して構えて走り出します。



一人ずつ降りるなんてタルいことをやっている場合ではないので、
下に人がいようが上からはどんどん人が降ってきます。
もたもたして追いつかれたら大変。

まあそんな人はこの日の想定には出て来られないでしょうが。





全員降りきったという合図を上に向かってしています。

皆の走っている姿勢を見るに、遠目には分かりませんでしたが
かなりのスピードで全力疾走しているものと思われました。


そして、わたしがCHからのラペリングにすっかりのめり込んでいる間に、



ブラックホークからのラペリングが終わってしまっていました(T_T)

こちらはロープから銃を構えて降りてきていたかもしれないのに・・。



そこにまたもやCHが着陸します。
着陸するなり隊員が一人銃を構えて飛び出してきました。

作業の援護を行う係かと思われます。
そして・・。




カエルの口(としか見えない・・)から出てきたのは、




高機動車「疾風」(はやて)!

ヘリの出口に頭を引っかけないように皆さん身を伏せています。
案の定この「疾風」というのは防衛省の押しつけ、いや考案した愛称で、
現場では「こうき」とかアメリカでHMVを「ハンヴィー」と呼ぶのを
もじって「ジャンビー」とか、あるいは愛称ではないでしょうが
「ジャパニーズ・ハマー」とか呼ばれているそうです。

やっぱり思うんですが、防衛省の愛称はかっこよすぎて
普段使いには?隊員も照れくさいんじゃないでしょうかね。

高機動車の開発はトヨタ、製造は日野自動車が担当しています。
主な用途は人員輸送用。

やっぱり人員輸送に「疾風」はどうかなあ、みたいな。
迫撃砲を牽引するのもこれですけどね。

ちなみに全車ETC対応です。



さて、これで機動展開を終え、いよいよ
島嶼部に機動展開した部隊による奪回作戦が始まります。

首を洗って待ってろよ、人民解放軍(仮名)!



続く。 


シリコンバレーのバーズサンクチュアリ

2014-09-03 | すずめ食堂

ここロスアルトスに来たら必ず何回は散歩に行く場所があります。
それがここベイショアパーク・トレイル。
マウンテンビューという市にあり、グーグル本社の隣です。

今年もここについた次の週、カメラを持って散歩に行ってきました。



このベイショアパークは海沿いにありますがこのように湖もあり、
湖のほとりには広大なゴルフ場、イベントに使うテント、そして
何にも使っていない空き地が延々と広がっています。

湖ではボードセイリングなどを楽しむことができ、
夏休み中は子供たちのキャンプが行われています。





池の周りにはグースがいつも群れをなしています。
ちなみにゴルフ場にもたくさんいて、ボールがバンバン飛んで来るコースでも
おかまい無しに草をついばんでいます。



今日は300mm望遠レンズ持参で来ました。
無駄にアップにしてみるグースの顔。

 

そしてここにもいるカリフォルニアジリス。

先日ここのHDTVで「チャーリーとチョコレート工場」を見たのですが、
実を選別しているリスがこの種類でした。
ハリウッド製作なのでスタジオ近隣にはこのリスが棲息しているわけですし、
シマリスよりも大きくて、女の子を皆で引きずるなどのCG加工も
しやすかったのではないかと思います。 

あの映画の舞台は雪が積もっていましたからどう見ても
カリフォルニアではありませんけどね。

ちなみにこのカリフォルニアジリスの生息地はカリフォルニア中心に
西海岸に限られています。



後でカメラのモードを見たら「ポートレートモード」も入っていました(笑)
お肌が綺麗になり、眼に光が入るそうです。
リスさん綺麗だよリスさん。





哀愁の後ろ姿。
ここのリスはよく湖をただじっと眺めていることがあります。



キャンプでボードセイリングの授業が始まったようです。
皆ライフベストをつけ、一人一台用意されたボードに乗ります。
サマーキャンプにもいろいろあり、親はその膨大な選択肢の中から
自分の子供が興味を持つジャンルのキャンプを選んで通わせます。
大抵は1週間単位なので、いろんなキャンプを体験するのも可。

うちの息子のように、前半は水泳やフェンシングなどができる総合キャンプ、
後半はITキャンプというように、バラエティを持たせたりもできます。
高校生のためには建築や映像など、将来の職業に繋がるキャンプもあり、
自分がどんな仕事に向いているのかを知るチャンスでもあるのです。

アメリカでは大学に入った後からでも、自分が向いていないと思えば
学部を代えることができるのです。
学生で、人生経験が浅く判断を誤りがちな若い間はやり直しが利き、
また横並びを強制されることもないので飛び級も可能。

日本の教育制度も、もう少しこういう部分を取り入れればいいのにと
いつも思います。



カモメがとまっているのはなんとカヌーポロのゴール。
カヌーポロ、ってご存知ですか?
つまり独り乗りのカヤックに乗った水球です。
ポロのようにスティックを操り、カヤックを漕いで、それで
ボール(水球と兼用)をゴールに入れるゲーム。

この世で一番激しいスポーツは水球ですが、このカヌーポロは
それと同等に激しく「水中の格闘技」と言われています。



パドルで相手を叩いたら反則ということですが、これ、
どうしたって叩いてしまいませんかね?

こんな施設は見たこともないし、日本には選手もいないのでは?
と思ったあなた、ご安心ください。

日本はオリンピックのために国がお金を出さないので有名ですが(笑)
その代わりスポーツ愛好精神というのはあまねく行き渡ること裾野の広い
「文明国」でございますので、ちゃんとこの競技の選手もいます。
クラブを持っている大学や高校は結構ありますし、クラブチームもあります。

愛知万博のときには世界大会も行われており、
このときには女子が銅メダルになったりもしているのです。

今の今まで全然知りませんでしたが(笑)



ここでもリスを見ると脊髄反射で写真を撮ってしまうリス愛好家の
エリス中尉。


巣穴から顔を出しているリスを見つけました。



こちらも別の巣穴。
両巣穴は2mほど離れていますが、なぜか同じ構図。
穴から顔を出しているのが奥さんかしら。



ジリジリと近づいて行ってアップ。



こちらに気づきましたが、ここのリスはあまり逃げません。
木などの遮蔽物が多いし、タカやノスリなどの天敵に関しては、
上空に飛来したとたんカモメ戦闘機が遊撃にどこからともなく現れ、
自分より大きな猛禽類を果敢に追っ払ってしまうからです。

TOとここにきてその現場を見たとき、わたしが

「カモメでさえ体を張ってテリトリーを守るのに」

とつぶやくと、TOが

「まあまあ」

と押さえてポーズをしました。
それはともかく、おそらく彼らの天敵は蛇だけなので、
それでおっとりしているのかと思われます。

 

しばらく穴から顔を出していましたが、安心だと思ったか
穴から出てきて2匹でひなたぼっこを始めました。



湖沿いに歩いて行くと、ここの常連である

「ダイサギ」

がいました。
英語で

「Great egret」

という種類です。 
「大」がいるからには「小」もいるだろうと思いきや、
「チュウダイサギ」というのはいても「ショウサギ」はないようです。 
「チュウサギ」ではなく「チュウダイサギ」。
「ダイサギ」がすでに名称になっているからこうなるようですね。 




ダイサギは夏羽になったときくちばしも黒くお色直しします。
集団で生活しコロニーを作るということですが、少なくともここでは
一羽で行動しているのしか見たことがありません。



何か見つけた模様。



すごい。
こんな一瞬でも眼を開けています。
って、まぶたがあるんだろうかダイサギには。



三度に一度くらいはちゃんと何か捕らえているようです。
よくこんな菜箸みたいなくちばしで正確に捕らえるものです。



また何か捕らえました。
一旦くちばしの端でくわえて捕ってから、こうやって
一瞬宙に浮かせて一気にのどの奥に放り込みます。
手がない動物のくちばしの使い方はまさに名人芸。



アップにしてみました。
これ、なんでしょうね。
カニのたぐいでしょうか。

ダイサギで画像検索すると、ウサギを補食しているショッキングな写真が
出てきます。(恐怖におののくウサギの顔を見るのが辛かったです)
どうやら水鳥のくせに猛禽類並みに肉食するようです。



別の日、カメラを持った人が近づきすぎて、
(わたしではありません)彼は飛んで逃げました。
チャンス!とシャッター押しまくるその人とわたし(笑)



優雅で美しい飛翔姿です。



もう少し歩いて行くと、大詐欺よりも小さい小悪党がいました。



こちらはカモメ。見れば分かる。



こちらは少し小さいタイプ。
イグレットという名称の鳥は

great egret
little egret
chinese egret

他にもスノーウィイグレットとか、色々あるようですが、
だいたい大中小と3種類のようで、ここにいるのは
一番小さな種類ではないかと思われます。



絵になる二人。
カモメがあくびしていたのでアップにしてみました。



かわいくない(笑)



このころになると、この小さな湖(池かな)のはじっこまで、
ボードセイリングの子供たちのうち速い子がたどり着き出しました。



人間は基本的によほど近づかなくては怖くないようです。



こっちにガン飛ばしてるし。



このあと、トレイルは干潟の横を通ります。
変わった嘴の水鳥がいました。
調べたところ

American avocet

という鳥なのですが、これを辞書で引くと「ソリハシシギ」。

しかし、シギというのはsandpiperで、逆翻訳しても
アメリカンアボセットにはなりません。
シギ類にはちがいないんですけど・・。



確かにくちばしが反り返っています。
長年の間にこういう形になったのも泥の中の生物を拾いやすいようにでしょう。



これが集団で飛ぶとこんな感じ。
(ピントが合わなかったのでイメージ写真)



前にも書きましたが、この日はロスアルトスに着いたばかりで、
とりあえず300mm望遠レンズでペリカンを撮りたかったのですが・・。



遠くの対象を撮るときには手持ちでは難しいです。



ここはバード・サンクチュアリ(鳥の聖域)と言われる自然保護区域。
かなりの部分が自然のまま残され、人が入れるのはごくわずかの部分だけです。



この河を滑走路として鳥たちは飛び立ち、浅い河でコロニーを作っています。
周りは干潟に囲まれているので天敵となる野生動物も
入って来ることは出来ません。



こういう写真をバッチリ決めたかったんですけど・・。
残念ながら殆どが不本意なできでした。



前にも書きましたが、ペリカンが飛来するとき、羽の先を
本当にデリケートに操作してエルロンの働きをさせて飛びます。
よく見ると羽の一枚だけが反り返っていたりして、
すごいなあと感心させられます。



ペリカンたちが群れで飛ぶ姿。



鳥同士でもめたりすることは全く無いようです。
ここにはふんだんに食べるものがありますから、争う必要もないのです。
金持けんかせずってやつですか。



体を掻くときには大きな水かきもつかいます。



頭は掻けないので羽にこすりつけたり。
ペリカンは結構人になつく鳥らしく、ペットにしてまるで鵜飼の鵜のように
捕った魚を食べずに持って来させることも出来るそうです。

鵜飼の鵜は物理的に喉を縛られているのですが、ペリカンは
大きな嘴の袋に水ごと魚をすくい、
そのまま水だけを排出して食べるそうですから、どうやったら
食べるのを我慢させることができるのか興味ありますね。



ペリカンは基本水に漬かっているのを好むようで、
他の水鳥とは分布場所が違います。
この岸にはカモ、グース、白黒のシギ類がいました。

白黒のシギは

Black-necked stilt

という鳥ですが、このスティルト、というのは渉禽類の総称で、
食物を探して水を渡り歩く、脚の長い鳥のことをいいます。




空から降りて滑水してきたペリカン。



おもむろに水しぶきを上げ・・・



伸びのポーズ。
こういう状態のとき、くちばしの袋はほとんど見えません。
飛ぶときも邪魔にならないようにかきっちりをくちばしを閉じ、
飛んでいるときにはペリカンには見えないくらいスリムです。

この岸に立って彼らの生態を見ていると、一日でも厭きません。



白レンズに一脚持参で来ていたアメリカ人。
いつかはこんな装備でここに来てみたいな。


 


平成26年度富士総合火力演習~ヒトマル式戦車と曳下射撃の富士山

2014-09-02 | 自衛隊

 



さて、前段演習は続いております。

偵察教導隊隷下のこの87式偵察警戒車は、この日
全課程を通じてなにかと目立っていました。

陸上防衛構想によるところの対処態勢では
このRCVなどは先遣隊の即応展開に続き、即応機動連隊として
1次展開を行う部隊となります。

具体的にどういうことかというと、平素地域配備によって即ち
抑止態勢をとるということなんですね。

因みに海自の艦艇が統合機動防衛に投入されるのはこの次の、

「機動運用部隊などの実力部隊による緊急的かつ急速な機動展開」

の段階となります。
おそらく緊急的機動展開においては輸送艇などが投入されるでしょう。
そして最終の第3段階とはこれ即ち

万が一我が国領土の占領を許した場合

の奪回作戦を意味します。


そして、「万が一」の場合。
そう、これがこの日の後段演習のテーマとなっているわけです。 

「島嶼部の奪回作戦を想定した訓練」

ですね。



RCVから降りてきた兵員たちは89式小銃で近接目標を狙います。



草葉の陰でぼーっと立っていた人影に命中しそれが燃えております。

実際は相手はこんなにじっとしていてくれないと思いますし、
おそらく向こうも撃って来るのでこんな簡単にはいかなそうですが。



前段演習の解説で、近距離火力の攻撃目標となっていた台に

着弾しました。
着弾するたびアナウンスが「弾着!」というのでわかりやすいです。
案外シート席からは全体的な着弾状況がわかりにくいので・・。



89式か榴弾砲かはわかりませんが、ドンピシャで

着弾の瞬間を撮ることができました。
画面中央に黒い棒状のものがありますが、これは命中して
すっ飛ばされた真ん中の黒い的と同じものです。



この画面の空中を拡大してみると、着弾前の弾薬が。




これはリハでも写真を撮った発煙弾。



銃で青いバルーンを撃ちます。
これは06式小銃擲弾によるもので、射撃からおよそ10秒後(長かった)
着弾してから破裂しました。



一つ撃ち損じたのか?と思ったあなた、ご安心下さい。
これは、最後の弾着寸前にシャッターを切ったためで、
実際は全部破裂していましたので念のため。



黄色いバルーンはすべて破壊されました。
これは96式40ミリ自動擲弾銃の射撃によるもの。



87式自走高射機関砲(ガンタンク)


陸上自衛隊広報館りっくんランドにもあり、ついつい
「ハエたたき」という愛称にウケてしまったわたしですが、
このガンタンクも後継型の開発が進められているようです。
最近あるきっかけで後継型の模型を見る機会があったのですが、
あまり現行との共通点はないようなデザインに見えました。

共通しているのは「どっちもかなり変」ということくらいかなー(←)
あ、いや「変」というのは「変わってる」という意味です。(; ̄ー ̄A 


この形を特徴的にしている皿のようなのはレーダーです。
後ろに突き出しているブームの先はくるくる回っており、

こちらは対空レーダーです。

レーダーで敵機を発見したら即座に撃墜します。
「ハエたたき」の名前はだてについていません




ガンタンクをwikiで調べると、これと全く同じ構図の

(ヘリコプターがニンジャじゃなくてアパッチの違い)
写真が掲載されています。

総火演の前段演習では、近距離火力の終了後、ヘリ火力の展示に移り、

ガンタンクはヘリとリンクしながら砲撃を行うことになっています。

この段取りは毎年決まっているため、

構図も全く同じものになってしまうということみたいです。



そして武装ヘリ、アパッチのパラパラ攻撃。

(総火演見た方、そうでしたよね?)

このパラパラはチェーンガンによる射撃だと思うのですが、
アパッチがイラクで人を狙うとき、このパラパラじゃなく
ロケット弾や対戦車ミサイル攻撃をを遠慮なく行います。



そしてガンタンクが2台同時に砲撃。
ガンタンクには35mm対空機関砲が搭載されています。
国産の装備ですが、弾薬は輸入をしているようです。

機関砲に対空とついている通り、対空火力にカテゴライズされます。




お次は74式。

前段は対空火力に続きいよいよラストの戦車火力へと。



わたしはこちらが近いので左方からの攻撃だけを見ていましたが、

広い会場の右側にも同じ数の戦車が配備されていたようです。



これは大変悩みました。
元画像を仔細に点検したのですが、これはどう見ても
ガンタンクがレーダーやらなんやらをたたんでるとしか思えません。
でもそもそもあのレーダー部分、たたんじゃって大丈夫なの?
ってところからもうお手上げです。

これはなんなのでしょうか?

乗員が戦車を見ているのも、ガンタンクが索敵レーダーで得たデータを
戦車に送って攻撃を任せている、というストーリー?だった気がするし。



ところでそのデータを送られた方の戦車ですが。

ヒトマル戦車、来たわあ~(AA省略)

もう周りの盛り上がること盛り上がること(笑)



縦横にスラロームしながら砲撃を行うヒトマル。
これはすごかったっす。
砲塔から下は信じられないくらい激しくスラロームをしているのに、
上は目標に対してピタリと照準を据えたまま。
まるで上と下が別のようなキモい動きでした。

そして演習で披露された静止目標に対する射撃よりも難易度の高い、
動目標に対するスラローム射撃でも、百発百中の命中精度だそうです。

すごいよ。あんたすごい。




そう言えば、この前日お会いした元陸幕長は、現職にあったとき

「なぜ今どき戦車なのか」


という空気の中、導入を決めたのはわしだ!と
(一人でじゃないと思いますが、つまり制服組代表としてという意味かと)
誇らしげにおっしゃっておられましたっけ。
元陸幕長の10式に関するその他のお話は(忘れなければ)また別の日に。



目標に向かって前進し、




バックしながら(ながらですよ)砲撃を行います。

急速後退しながら正確な射撃を行うこれを「後退行進射撃」といいます。


続いて停止態勢を取ったときのときのこの車体の傾きをご覧下さい。

おそらく中の操縦員はこの瞬間ほとんど真上を向いた感覚でしょう。



そして砲撃終了。(写真撮れませんでしたorz)

旗を緑に付け替え、ものすごいスピードでバックしてきます。 



ぶほおおおっ!と噴き上がる黒煙。

どうしてバックのときだけ黒煙を吐くのかは分かりませんでした。



陣地変換となり移動して行きますが、

移動中も敵陣の方向に砲身を向けたままです。

この激しく上がる黒土を見よ。

場内にはこのとき

「10式戦車の軽快な走りにぜひご注目下さい」

と気のせいか誇らしげなアナウンスが流れました。



演習場左手にさしかかるころには完璧に砲塔だけ後ろを向いた状態。

世にヒトマルの写真はたくさん出回っていますが、
こういう瞬間のものはあまりないかと思われます。



キャタピラが巻き上げる土が砲身の下に見えるという

非常にシュールな光景です。
アナウンスの通り、軽快でありながらとてつもない力強さを感じさせます。



オーロラビジョンの車の上からカメラが回っています。

総火演の様子は毎年DVDとして自衛隊から販売されるのですが、
2012年のデビューから三回目の参加となった今年もまだ

10式に対する暑い、じゃなくて熱い興味は冷める気配もありません。

カメラマンもそのことを十分意識して撮影していたことと思われます。



それから空挺団の空挺降下がありました。

今までの総火演の記録によると、手前のグラウンドに降下していたようですが、
今年は気象条件の関係なのか、遥か向こうの降下です。
落下傘がこんな風にしか見えず、残念でした。

さて、この前段演習では火砲の発砲技術を見てもらうために、
「同時弾着」や「富士山型弾着」が行われ、総火演名物となっています。

わたしもこれを撮りたかったのですが、だめでした。
シート席というのは、案外前の人が写り込んでしまうことが多く、
最前列でもない限り結構難しいものだということがわかりましたが、
同時弾着も富士山も、ちょうど右側の最前列の人たちに遮られてしまったのです。

ですのでネットから拝借して参りました。
ネットにもあまりちゃんとした写真がないところを見ると、
綺麗に形が揃ってそれを撮ることができる確立は
案外少ないのかなと思います。 




FH−70、155ミリ、203ミリ自走砲の特科火力トリオで行います。
前方からと後方から、種類も距離も違う場所に、
弾着が一つずつ移動して行くように点火します。
まさに職人芸というべき練度です。



19日予行演習の富士山キャプチャです。

この形を成功させるのには100分の1(だったかな)の精度が
タイミングとして要求されるとアナウンスでも言っていました。


これは曳下(曳火ともいう)射撃によって空中に形作られます。
曳下射撃とは一般の砲撃のように弾着と同時に爆発するのでなく、
空中で弾薬が炸裂するという射撃です。

なぜ曳下射撃という方法があるかというと、一般的には

その方が殺傷力があるから

という物騒な理由です。
地表や目的物に破片を吸収されることなく、広範囲にそれが散布され、
伏せの姿勢でいたり、塹壕に隠れている人間にもダメージを与える。
これが曳下射撃の本当の目的なのです。

しかし我が日本国自衛隊はその曳下射撃をあくまでも
砲兵の練度の結晶を披露するという目的に運用しているのです。
しかも、皆を喜ばせる富士山を象って・・・。

これはある意味実に象徴的なことではないか、
とわたしはこの日の富士山を思い出しながら考えていました。



前段演習と後段演習の合間には富士学校音楽隊が、
陸上自衛隊のテーマソング?である「大空」や、
「富士学校校歌」などを演奏しました。


さて、いよいよ後段演習。
テーマは「島嶼部に対する攻撃への対応」です。


続く。






パシフィックコースト航空博物館~「ツチブタが鷲を生む」

2014-09-01 | 航空機

カリフォルニアはサンタローザにあるパシフィックコースト航空博物館。
この日も何人かのリタイア再就職組らしい年配の人たちが
展示航空機のメンテナンスの仕事に来ていましたが、ここ

常にスポンサーの出資を受け、
展示機体にペイントや展示の工夫
(胴体に穴をあけて見やすくしたり)
を順番に施しているらしいことがわかりました。

ところで前回お話ししたこのクルセーダー。



公園に置かれてお遊具になるという辱めを20年受け続けた後、
(サンフランシスコに住んでいた頃、家の近くにあった公園らしいのですが、
わたしは全く知りませんでした)

当博物館に引き取られ、塗装を全部はがしてゼロからやりなおした、
というこの機体の経緯を前回お話ししました。

ゼロから塗装しなおすにあたって、修復に当たった人々が
そのモデルにしたのが、これです。



トナム戦争に参加したときのF−8クルセイダー。
以前もお話しした「サンダウナーズ」VF−111使用機です。
攻撃母艦CVSイントレピッドの甲板から離陸しているところです。


VF−111部隊愛称サンダウナーズについては日本語の資料がなく、

当ブログの記事がwikiの「F−14」の次に出てくるくらいなのですが(笑)
英語版で調べると、サンダウナーズの使用機は

F4F ワイルドキャット
F6F ヘルキャット
F9F-2 パンサージェット 
F11F-1 タイガー
F-4B ファントムII 
F-14 トムキャット

そしてF−8クルセイダーと、グラマンの猫戦闘機を中心に
次々と変わって行っているんですね。
クルセイダーを部隊使用機としていたときにはノーズはシャークペイントでした。
公園の遊具として朽ち果てていたF−8をレストアすることに決まったとき、
関係者一同が

「それならVF−111のサンダウナーズ仕様にしたい!」

と一決したのも旭日模様がかっこよかったからに違いありません。

 

博物館のホームページにはサンダウナーズペイントについては
特に言及していません。
ただ、この写真を見て気づいたのですが、ちょうど「111」が
わざと塗装をはがして(上から塗ったのではない)見えなくなっています。

VF−111は1993年の「レストアホープ作戦」に参加後、1995年の
「サザンウォッチ作戦を最後に解散となったのでもう存在しませんが、
仕様を復刻させることについてもしかしたら
元サンダウナーズとのあいだに何かあったのかな、などと
お節介な心配をこんなところからもしてしまうわたしです。



GRUMMAN H-16E ARBATROS

「アホウドリ」の意であるアルバトロス。

1951年から1983年まで、沿岸警備隊に配備されていました。
飛行機や船の捜索に、水上でのプラットフォームとして使用されたり、
要請に応じて排水ポンプを投下するなどの任務に当たりました。



道路を隔てた向かい側の駐機場には現役のアルバトロスがいましたが、
基本的にシェイプは全く変わっていません。



ノーズの先のミッキーマウスの鼻のような部分は違いますね。


水陸両用であることから「アンフィビアン」(両生類)などと
いわれることもあるこの水上艇、旅客機が墜落したときの捜索や
キューバやハイチからのボートピープルを発見したとき、
または漁業パトロールにも投入されます。

1970年後半からは度重なる麻薬密輸に対し、まさに水際作戦で
マイアミ・フロリダ・カリブ海での監視も行いました。



ここに展示されているアルバトロスは,1980年まで
沿岸警備隊の艦隊に所属していました。

当機は1999年に博物館に寄贈されたものですが、その際、
視認性が高いことから採用されていた大変眼を引く
鮮やかな「沿岸警備隊ペイント」に塗装されました。

ちなみにこの博物館のレストアチーフであるコポック氏は
(HPにはクルーチーフとある)元沿岸警備隊で、
「7245」のパイロットであったと書かれています。

もしかしたらわたしに声をかけてきた偉そうな人が
この元パイロットのチーフかもしれません。



しかし、この機体は7245そのものではなく、単に
このペイントはコポック氏に敬意を表してなされたようです。




HPでは

「もしこれをご覧になっている中に、かつて沿岸警備隊で7245機の搭乗員だった、
という方がおられましたら、オペレーションディレクターに是非連絡をください」

というメッセージが書かれています。
もしそうであればコポック氏の同僚ということになりますが、
呼びかけはあったのでしょうか。



翼の下に切り取られたコクピットが置いてありました。
おそらく「コクピットデー」には乗れるのでしょう。



 GRNERAL DINAMICS F−111 AARDVARK

イジェクションシート、つまり射出席だけが展示されています。
この「アアドバーク」というのは変わった単語ですが、

「ツチブタ」

 といってアフリカに生息するアリクイに似た動物です。
何だってこんな変な動物を名称に選んだかね、と思ったら



イメージ的にわからないでもない、
というか誰が言い出したかそっくりですよね。

「これツチブタに似てねえ?」
「似てる似てる!」
「誰がうまいこと言えとw」

という感じで現場から発生した愛称らしく、
アメリカ空軍では1998年に当機が退役する日、
初めてこの名称を公式採用することを発表したそうです。

この機体があまり有名でないのにはそれなりの理由があって、
このツチブタ、戦闘爆撃機という区分で開発されたのにもかかわらず、
コストカットのために空軍と海軍で統合運用しようとし、

空軍・・・低空を音速で駆け抜けることができる機体

海軍・・・大型レーダー
を装備する並列複座の機体

という両軍の要求を無理矢理飲まされたため、
請け負ったジェネラルダイナミクス社の機体は重量が重くなり、
その時点で海軍はやる気がなくなって(笑)採用を拒否します。

(あの・・・重くなったのは海軍の要求のせいなんですけど)

結局空軍だけで運用されることになったのですが、重量が災いして、
運動能力が敵機のミグにかなり劣ることになってしまいました。

(あの・・空軍じゃなくてこれは海軍で運用するべきだったのでは)

しかしご安心下さい。
ひょうたんから駒、転んでもタダで起きない、藍より青し出藍の誉れ。

これをはっきりと「失敗」として空軍がその轍を踏まぬよう
開発したのが
あの!F−15戦闘機イーグルだったのです。

まあ、戦闘機と思わなければ優秀な爆撃機だったといいますから
失敗とまではちょっと言い過ぎのような気もしますが。
いずれにせよこれを「鳶が鷹を生んだ」ならぬ

「ツチブタが鷲を生んだ」

といいます。

さて、ここにある射出席はモジュール式脱出装置といい、
コクピットごと機体から切り離されるシステムです。
パイロットだけを射出する方法は、特に高高度を超音速で飛行しているときには
大変危険なので考案されました。

しかしこんな大きな物なので落下速度も増しますし、
レーダーの発達で敵地への侵入は低空飛行するというのが常識となり、
今ではこのモジュール式脱出装置は使われていません。
 

安全のためには、高度0・速度0の状態からでも
パラシュートが充分に開く高度までパイロットを打ち上げられること、
というのが安全性の目安である「ゼロ・ゼロ射出」ですが、
モジュール式ではそれが難しいということでもあったのです。



BLUE ANGELS COCKPIT

フロリダのペンサコーラにある国立海軍航空博物館から
貸与されているブルーエンジェルスのコクピット。
ここに来た当初ははしごを二つつけて、前後のシートに
よじ上るようになっていましたが、それでは乗れない!
と泣くお子様がいたらしく(たぶん)、はしごははずされ、
そのかわりステップから乗り移ることにしたようです。



もともとは実際にヴェトナム戦争に参加したF−4Bのコクピットです。
数年間機体は砂漠地帯に放置されていたもので、
スタッフはこれをレストアしペイントするのに数ヶ月を要したということです。






ダグラスDC−6は、レシプロ旅客機の傑作とされています。
まず何がすごいと言って、このエンジン。
新型である大型エンジン「ダブルワスプ」を採用したことにより
北大西洋を無着陸横断が可能になったのです。

1927年、チャールズリンドバーグ、そして女性では1932年、
アメリアイヤハートが大西洋無着陸横断を果たしたものの、
それはあくまでも小型機での記録であって、大型旅客機は
不可能であるされていた頃でこれは画期的でした。

これで旅客は皆航空機に流れることになり、おかげで
大西洋、太平洋を航行する航路は全て敗退に追い込まれました。


・・・という罪深い、じゃなくて時代を代えた航空機、
それがこのDCー6なんですね。

このノーズ部分はDC−6Bのもので、これは民間の旅客タイプ。
信頼性があるため、何度かエアフォースワンとしても採用されています。
日本航空が最初に導入しようとしたのもこのタイプですが、
ダグラス社に「2年後でないと引渡できない」と(嫌がらせ?)され、
元フライングタイガーの構成員が創業した

「フライングタイガーライン」

のために造られていた貨物用の機体を高いプレミア込みで買い、
わざわざ改造して東京札幌間の運行にこぎつけました。

・・・・なんか、いいように足元をみられてたような・・。
敗戦国の悲哀という奴でしょうか。


ところで、このDCー6Bのノーズ部分展示ですが、
賛助企業がやたら多いです。

たかがノーズ部分に、と言う気がしますが、これはおそらく
スポンサーが皆「小口」であるためでしょう。

不動産、伐採業者、クレーン業者、肉屋、レストラン、
法律事務所、カメラショップ・・・・・。

そういった小売業者や個人事務所からの篤志を
ある程度まとめて修復に使っているのです。


何度もいうようですが、日本でもこういうのできませんか?
たとえば具体的に二式大艇の補修と雨よけの屋根のため、とならば
わたしは当ブログ運営者として喜んで寄付させて頂くのですが。