ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

試験艦「あすか」見学

2016-10-11 | 自衛隊

もうかなり昔のことになりますが、本年度の練習艦隊を横須賀に見送り、
それが終わってから、わたしは試験艦「あすか」を見学させてもらいました。

「今日はどんな肩書きで見送ったんですか」

と聞かれて、

「一人のファンとして・・」

などと答え(ざるを得なかった)たわけは、今回基地に潜入?するにあたって
練習艦隊の見送りとは全く関係ない「面会」という名目を
セキュリティを通るときに申告して入ったからでした。

「あすか」の知人に面会に来たら練習艦隊が出港していたので、
たまたま見送った、というのが建前だったというわけです。



今から遠洋航海に発っていく「かしま」の右舷には、
初級幹部たちの整列する真っ白い制服が目にも鮮やか・・
向こうは「あさぎり」ですが、こちらはずっと左舷にいるようです。


・・・ん? 右舷?

岸壁では左舷に整列していたのに、いつの間に右舷に・・。

これって、艦がターンした途端、「右舷に整列!」とかいう
号令がかかって、みんなが一斉に反対側にダーっと走ったんでしょうか。
その瞬間を見ていなかったのが残念。



防衛副大臣の若宮けんじ議員を乗せたヘリが市ヶ谷に向かいます。
この写真を撮っていると、近くにいた自衛官が、

「わたしたちは毎日見てるので珍しくもなんともないですが・・」
(そんなにめずらしいもんですかね?みたいな)

と声をかけてきました。
すでにわたしに取ってもそんなに珍しいものではなくなってきてるんですが(笑)
そこはそれ、上空に軍用機が飛ぶと見過ごせないのが性(さが)ってもんよ。



練習艦隊見送りの人々は散会し、皆出口に向かう中、
わたしと同行者二人がこのあとの「あすか」見学のため、
人の流れと逆の方向に歩き出したところ、途端に自衛官が飛んできて

「そっちに行かないでください!」

と制止されました。

「いや、わたしたち実はあすかに面会がありまして」

と発起人が説明し行き先証明を見せて解放してもらいましたが、
わたしがお見送りに配られた自衛艦旗をバッグに刺していたので

「これは間違えられても仕方ないわ」

と、そこから先は旗を大きな紙袋に隠してもらいました。
我が心に一片の疚しい点もないというのに、よりによって旭日昇天旗を
こそこそ隠さねばならないというのはなんたる屈辱。 

とは全く思いませんでしたが、そこから先は誰何されるされることもなく、
「たかなみ」「おおなみ」「いかづち」の駆逐艦娘たちのところまでやってきました。



「おおなみ」の上では乗組員がなにやら作業中。

めざす「あすか」の対岸には、なんと艦番号604の「えのしま」さんが!
自慢ではないがわたしはこの掃海艇とは二度乗艇し、一度は船酔いをし、
一度は後甲板で転んだという、もう他人とは思えない?深い関係なのですが、
こうして横須賀で再会してみると、あのときのことが夢のように思えます。

船酔いと転倒をどちらも見られた権田司令にもあれは夢だったと思ってもらいたい。



というわけで、「あすか」に乗艦。
舷門で待っているとなんと艦長自らがやってこられました。
ツァー提唱者のお知り合いというご縁です。


乗員はスペック的には70名乗員となっていますが、試験艦という性質上
これに試験要員と呼ばれる人員が100名は加わるという陣容なので、
なにかと人数に幅があるのかと思われます。



「試験艦」というのは自衛隊の中でもワンアンドオンリーの艦種で、
その使命は「ステルス化」「省力化」を目的とする兵器の実験です。

わたしたちには実感がありませんが、この「試験艦」というもの自体
世界の海軍でも大変珍しいとされています。
所属は海自上自衛隊自衛艦隊隷下の開発隊群にあたり、開発隊群は
陸自の開発実験隊に相当します。

開発隊群の任務は、艦艇等に搭載する装備品の運用に関する研究開発、
実用試験、性能調査等を行うことで、

「あすか」は開発隊群の唯一の直轄艦艇という特殊な位置付けです。



比較的スペースに余裕のある「あすか」、談話室も完備。
手前に一人で座る人が皆に尋問されそうなデザインです。

 

居住室を見せてもらいました。
なんと二段ベッドではありませんか。
これならがばっ!と起きても天井に頭ぶつけずにすむわね。

実に居心地の良さそうなこの居住空間、艦長によると

「海自はどうも(三自衛隊の中で)人気がなくって・・・。
それでせめて住環境を良くしようとしてこういうことになったんです」

ということです。
中の人の口から「海自は不人気」と聞くたびに、もしわたしにその資格があれば、
と申し訳なく思うわけですが、そんなありえない話はともかく、
不人気の理由が
「職場=フネの住環境の劣悪さ」にあると
悩める上層部が考えたのだとしたら、
それはあながち的外れでもないかもしれませぬ。



談話コーナーに設置された冷蔵庫と電子レンジは結束バンドで留められていますが、
壁とは連結されていないらしいので、冷蔵庫ごと倒れたらきっとアウト。
冷蔵庫にマグネットで取り付けられたトイレットペーパーがシュールです。



耐火スーツの色が他の艦とは違う・・。
「あたご」はオレンジ、掃海艇「えのしま」は黄色っぽかった記憶が。



後甲板の下階にきました。
護衛艦だと甲板下に収納されるもやいの巻き取り機などが皆ここにあります。



舫杭に巻きつけるそのやり方も海軍時代からの慣習に違いありません。



艦の後ろ側に係留してあるボートを見下ろしています。
他のフネより大きめのボートだと思うのですが気のせいでしょうか。



機材を膠着するための器具が船底から出ています。
試験艦という性質上、外から運搬され搭載する器具は多いのだと思いますが、
この位置から積み込むこともあるのでしょうか。



どうもここで立ったまま操縦するようです。
ものすごくシンプルな仕組みのようなコクピットです。



新聞を印刷する機械みたいですが、これは曳航式の装備を曳航するための索展開器。



変わった形の錨ですが、この前いただいた「錨のいろいろ」のページによると、
これはストークスアンカーに似ている気がします。

ここは正式な喫煙スペースとなっているようで、床据付けの灰皿があります。
艦内は禁煙なので愛煙家はいつも外で吸うことになっている模様。



後甲板下段もそうですが、一般公開でもここは見せてもらえないかもしれません。
わたしたちもこうやって覗き込んだだけですが、なにやら機械がたくさん稼働しております。



次に医務室を案内してもらいました。
医務室のドアに「時間延長はじめました」と、まるで
「かき氷はじめました」のようなノリのポスターがありますが、
これは自衛隊病院の歯科治療が6時半までになったというお知らせでした。



ここに常勤しているのは医官ではなく、海曹クラスの隊員であると聞きました。



次はお待ちかね隊員食堂。
ちょうどお昼の時間で食事中の隊員さんも何人かいます。



掃海母艦で予定されていた昼食が、移乗ができなくて食べられなくなったとき、
「えのしま」で代わりにこのトレイでの昼食をいただいたのでもうお馴染みです。
残念ながらあの時は船酔いで食べ物を口にするどころではありませんでした。

この金属プレートには「正しい盛り付け例」(推奨)があるようですが、
ここまで懇切丁寧な写真で解説されずとも皆こんな風に盛りつけるのでは・・。

「お箸とスプーンはここに置いて手で押さえておくと移動しやすいです」

移動しやすいというのは「持ち運びしやすい」ってことでOK?



昼食調理後のせいか、雑然として見える調理場。
実はこの見学の後、隊員の皆さんと同じメニューのランチをご馳走してもらえるという
願ってもない艦長からのお申し出があったのですが、残念ながらわたしは
この後地球防衛会の総会が市ヶ谷であったので涙を飲みました。

同行した後の二人は残って艦長と共に食事をされたようです。



「あすか」の艦内神社はちょっと変わった場所にありました。
だいたい護衛艦などは隊員食堂を出たところなどにあったりします。



御祭神は明日香村の神社にいただいているということです。
左に「叶神社」のお札がありますが、こちらは横須賀の浦賀にある神社です。



艦内神社の下はコピースペースとなっております。

記録をつけろ! 記録をつけない奴を見つけたら止用使用止め!

という注意書きがここは一般の会社とは違うと感じさせます。



相手の名前を必ず確認すること!

その後の「間違えることがあります」がじわじわとウケる。



自衛艦の写真を撮る時には必ず撮ってはいけないところを聞きます。
どんな自衛艦も、正確なスペックが表示されている艦内図などは撮影を断られます。

右側は真水タンクやバラストタンク、真水・海水ポンプなどの状況、
左は配電の監視を行うためのモニターとなっています。

いずれのモニターも切り替えて吸排気などの状況を確認するなど、艦内の状況を
ここで全て把握することができるのです。



このエントリを作成しだして「しまった」と思ったのは、間にイベントがあって
そちらの報告をしているうちにこの時に聞いた詳細な話を忘れてしまったことでした。
このストップウォッチが何に使われているのかも聞いて写真を撮ったはずですが、
それが何か忘れてしまいました。

最近清々しいくらい記憶力が低下していて情けないです。
一つのことを入れても、次の情報が入ってきたら書き換えられてしまうんです。
記憶のシステムが引き出し式ではなくところてん式になってしまったのかも。




艦の区画図が表されていますが、浸水や火災の時のハロン消化剤の状況が
リアルタイムで把握できるようになっています。



「バーベキュー大会のお知らせ」や「フットサル参加申し込み表」など、
「あすか」隊員の余暇生活の充実をうかがわせるお知らせ。



女の子の萌え風イラストが気になったのでアップにしてみました。
たぶん「あすか」という名前なんだと思います(適当)



いったい何桁の暗証番号を押すのだろう、と不安になるほどいかつい
鍵付きのドア。
もちろん携帯持込禁止。

それもそのはず、ここは技本事務室で、「あすか」に搭載され行われる
各種武装実験についてのデータなども全てここにあるのだと思われます。


わたしはこの上に貼ってある

「いつからいつまで新型の何々を実験する」

ということが書かれた紙を一般人のわたしが読んでしまっていいのか!?
と少しビビったのですが、艦長は

「あーここに(実験のことが)出ちゃってますねー」

という程度でした。
もしわたしたちが中国のスパイだったらどうするんだ!




続く。

 


ナバホ コード・トーカーズ〜アメリカ軍の暗号戦

2016-10-10 | 軍艦

 

戦艦「マサチューセッツ」の見学をしていて、
CICの片隅に乱数表が置いてあるのに気付きました。
それでふと、暗号について書いてみようと思ったわけです。

一度書いたことがありますが、海軍甲事件でアメリカ軍が山本元帥機撃墜に
成功したのは、山本元帥の行動予定が傍受されていたからでした。

昭和18年4月13日、「い」号作戦の指揮を直接執るために、山本大将は
旗艦「武蔵」から降り、一式陸攻でラバウルから前線に向かいました。
その航路は日本軍の制空権下だったにもかかわらず、米軍の P38ライトニング16機に
ブーゲンビル上空で急襲を受け、山本長官の乗った1番機は撃墜されたのでした。


米軍が傍受した視察日程の通信文は暗号で打電されましたが、
日本側の暗号はすでに解読されており、米軍としては、あとは予定通りに
やってくる長官一行の航空機を待ちぶせしていればよかったのです。

ここで注目すべきは、海軍が2週間前に変えられていた暗号を使わず、
従来の暗号を使って連絡していたという事実です。
まだ改変したばかりの暗号を把握していなかったらしい通信将校が、
暗号を変えずに通信したのが日本の運命を決めたということになります。

ところで、このとき護衛についていた6機の零戦の搭乗員が、事件後、
海軍から処分される、ということは公式にはありませんでした。
しかしこの後彼らは、みすみす長官機を失い、自分たちが生きて帰ったことに対する
責任を取るかのように(取らされるかのように」?)
連日の出撃を続け、
腕を失う負傷をした一名以外は、終戦までに全員
戦死してしまいました。

戦後長官機を撃墜したという米軍航空隊の搭乗員は、

「あのとき零戦1機が我々に体当たりしていれば長官機の撃墜は防げたのに、
彼らはなぜそれをしなかったのだろうか」


と不思議がっていたそうですが、5人はおそらく、全員が
それをどうしてあのとき自分がしなかったのかを
最後まで悔やみながら死んでいったのではないでしょうか。


話が逸れましたが、 わたしの疑問は、護衛機の搭乗員が暗黙の掟のうちに
自らが責任を取った形で死んでいったのに対し、このとき
暗号を変更せずに打電した者がなんらかの処分を下された、
あるいは責任を取ったという話が全く残っていないことです。

ある意味、この責任者の怠慢、暗号を変えなかったことが長官の死を

招いたということは護衛のミスより責められるべきことなのに。




さて、ここで暗号の歴史についてお話ししておきましょう。
世界最古の暗号といわれる「シーザー暗号」(Cieacer Cipher)
あのカエサルが、通信に秘密を要するときに用いた暗号です。

シンプルなアルゴリズムによって構成されたこの暗号は、
「A→D」「B→E」などといった一定の法則を持っていました。

A B C D E F G H I J K L M N  
D E F G H I  J K L MN O P Q

O P Q R S T U V W X Y Z
R S T U V W X Y Z  A BC 

これが暗号表です。

QDYB  EOXH QL NRL(NAVY BLUE NI KOI)

などという具合に文章を作るわけですね。

英語で「暗号学」のことをCRYPTOLOGY(クリプトロジー)といいます。
暗号表を作ること(CRYPTOGRAPHY)や
暗号を解析すること (CRYPTANALYSIS)を研究する学問です。
暗号の歴史についての学術研究をするのも暗号学です。

日本で暗号が学問になっていたとは聞いたことがありませんが、
暗号開発は外務省と陸海軍によって行われていました。

日本の機械式暗号


情報戦を重視するアメリカは早くから暗号学に国を挙げて力を入れており、
このことも

「FDRは真珠湾攻撃のことを事前に暗号解読によって知っていた」

という通説の後押しをしています。



そのアメリカが、大戦中暗号戦に使っていた秘密兵器が二つありました。
一つはこれ。




このキイの少ないタイプライターみたいな機械、
これも「マサチューセッツ」のCICにあったものですが、
これこそがECM II MACHINEという電子暗号機です。

16世紀から19世紀にかけて、暗号解読技術の進歩と普及により
シーザー暗号のような単純なものは次々と解読されたため、
アルゴリズムを打ち込んだ機械式暗号機が20世紀になって現れました。

みなさんはおそらく一度くらい「エニグマ暗号機」という言葉を
どこかでお聞きになったことがあるでしょう。
アメリカ軍のECM IIと同じくローター式で、第二次世界大戦中
ナチス・ドイツ軍が使っていた暗号機のことです。

今は本題でないので詳しくは述べませんが、このエニグマ暗号機、
当時からアメリカイギリス始め、世界中がスパイを使ったり、Uボートや
ドイツの船を捕獲したりして解読を試み、それに成功するとドイツが
それに対抗して機構を難しくするといういたちごっこが繰り返された
伝説の暗号機です。

ウィキがまるでスパイ小説のあらすじみたいになってます。(笑)

エニグマ暗号機



ここはいわゆるひとつの暗号室。
部屋には厳重に施錠がされて関係者以外は立ち入り禁止でした。
見学用にドアはガラス張りになっていましたがもちろん当時は違います。
暗号機は特別製の専用コンソールに据え付けられています。


この暗号機は特別なローターを内蔵しており、そのローターのセッティングで
平叙文をエンコード化し、また暗号化された文をデコードします。

暗号機のオペレーターが使用していたマニュアルがキャビネット上の
ラックにおいてありますが、一般にオペレーターはこのマニュアルで、
ローターのセッティングを行いました。




極秘といえば、戦時中にはこんなポスターが日米どちらにもあったものですが、
アメリカのこれ(口を滑らせれば船が沈む、リップとシップが韻を踏んでいる)
は、日本のあれ(『進む防諜後押す聖戦』みたいな)と違い、
主に軍内部に向けて兵士の啓蒙のために作られたようです。

アメリカ軍の新兵教育では、防諜のための「10則」(TEN SUBJECTS) 
を教え込まれましたが、その中には家に出す手紙の書き方や、
会話での禁止事項、万が一捕虜になった時についての心構え
などが書かれていました。
 



さて本題。
アメリカ軍が用いていた暗号の「より洗練された方法」とは、
なんとネイティブ・アメリカンの言語を暗号に使うことでした。
それが本日タイトルの「ナバホ・コード」です。

大東亜戦争開戦直後は、日本軍はアメリカ軍の暗号をたやすく解読していました。
「暗号学」はありませんでしたが、アメリカ国内で学問をしたり住んでいて
それなりに文化について理解をしていたこともその糸口となったのです。


そこでアメリカ軍は、日本人には馴染みがなく想像もつかない言語をしゃべる
アメリカ先住民族の言葉を暗号に使うことを思いついたのです。

このアイディアを思いつき、オーガナイズしたのは

フィリップ・ジョンストンという人物でした。
父親が宣教師で、生まれた時からナバホ族の中で育ち、
ナバホ語にも堪能だったのです。

このとき、解読をさらに困難にするため、アメリカ人がナバホ語を取り入れるのではなく、
ナバホ族が暗号要員として雇われ、彼らは



「コードトーカー」(CODE TALKER )

と呼ばれました。
第1次世界大戦ではチョクトー族、コマンチ族が実験的に雇われたそうです。

これらネイティブアメリカンの言語はアルファベットを使わず、
さらに発音も独特で、その言語がマザータングでない者には習得は
まず不可能であるということが暗号に使われた大きな決め手となりました。

アメリカ軍はナバホ族の若者に教育を施し、コードトーカーたちは

ナバホ語には存在しない単語を存在する単語に置き換える
さらにそれをナバホ語に翻訳して暗号にする

という段階を踏んで、解読されにくい置換暗号を作りました。
たとえば、

BATTLESHIP(戦艦)→  WHALE(鯨)→  LO-TSO

AIRCRAFT CARRIER(空母)BIRD(鳥)→TSIDI-MOFFA-YE-HI
 
MINESWEEPER(掃海艦)BEAVER(ビーバー)CHA

SUBMARINE(潜水艦)IRONFISH(鉄の魚)→BESH-LO

DESTROYER(駆逐艦)SHARK(鮫)→CA-LO


また、Cを表すのに、CATの猫を意味するMOSSIがつかわれたりしました。
結局日本がナバホコードを解読することは最後まで出来ませんでした。
(ドイツに関しては、ヒットラーが戦前にアメリカに先住民の言語について
暗号に使われているという情報を元に解読を指令したという噂を聞いて、
アメリカ軍はヨーロッパでのコードトーカー運用を中止していた)


日本軍がフィリピンで捕虜にしたナバホ族出身の軍人に
Joe・Kieyoomiaという人物がいました。
キヨミヤという名前でアジア系の顔立ちをした彼を
現地の日本兵は日系二世だと思い込み、裏切り者として虐待し、
ナバホ族であることがわかってからは、
ナバホコードの暗号表を
自白させるために拷問したと言われています。

しかし彼はコードトーカーではなかったため、暗号について
日本軍は何ひとつ知り得ることはできませんでした。
アメリカ軍がナバホコードを置換暗号にしておいたのはこのためでした。

ちなみにこのキヨミヤはバターン死の行進を生き延び、
長崎で捕虜になっている時に原子爆弾の投下にも遭いましたが
コンクリートの独房にいたため助かりました。
彼は1997年まで生きて76歳で亡くなっています。





ナバホ族を投入するというのは、キヨミヤが日系人と間違えられたように、
日本兵からは外貌が一見敵か味方かわからないというメリットもありました。
この「ナバホ暗号部隊」に参加したナバホ族長老は、

「太平洋諸島最前線で日本人兵と至近距離で向かい合った時に、

後ろにいる白人たちよりも敵である日本人のほうが
自分たちと外見が似ており、親近感を覚え動揺した」

とのちに語ったそうです。

戦地では彼らは常に前線に立たされていましたが、その代わり、
白人の兵士に生ける暗号表として常に周りを護衛されていました。



さて、翻って我が日本軍において、軍の通信に薩摩出身者を使い、
早口の方言で通信をさせたと言うことがあります。 

わたしは昔、奥さんが沖縄県出身の人が


「嫁の実家に行くと、皆が何を話しているのかさっぱりわからない。
まるで外国」


とぼやいていたのを聞いたことがあります。
アメリカで知り合ったインド人の夫妻も、夫の方が妻の実家で
全く同じ目にあったと話していました。

どちらにも

「どうやって意思疎通してるんですか」

と聞いてみたのですが、どちらも返事は同じ。
妻の親族は自分に話しかける時にはテレビやラジオで

話される標準語を普通にしゃべってくる、ということでした。



とにかく、そのときアメリカ軍のコードブレーカーは薩摩弁を聞き取れず、

大変難儀したのですが、困り果ててある日系二世に聞かせたところ、
その二世がたまたま薩摩出身で解読成功、という奇跡が起こりました。


この話は、山崎豊子の小説「山河燃ゆ」のなかで、主人公の天羽賢治が
上から日本語の通信文のテープを聞かされ、出身地の方言であることに
気がつき通信内容を解読する、というエピソードになって登場します。

その二世が方言を聞き取ったことでアメリカ軍は日本軍の動向を知り、
その情報を元に行った攻撃によって日本人の命が失われることになり、
天羽はそれを知って懊悩する、という内容でした。


ナバホ族のコードトーカーの存在は戦争中はもちろん、 1968年に
機密解除になってからも秘匿されていました。

「コードトーカーを必要とする場面が(冷戦で)今後起こるかもしれない」

と考えられていた
為だと言われています。

彼らの存在の秘匿が完全に解除されてから2年後の1982年に、
かつてのコードトーカーズはロナルド・レーガン大統領によって表彰され、

彼らを顕彰して8月14日がコードトーカーの日(National Code Talkers Day)
と定められることになりました。
また2000年、ナバホ族コードトーカーに、

議会名誉黄金勲章
(Congressional Gold Medal)

が授与されました。



そして、2年前の2014年6月4日、アメリカ軍の生ける暗号であった
29人のナバホ族のうちの一人、チェスター・ネズ氏
(日本軍に捕まっていたら日系二世だと思われたであろう名前ですね)
「最後のコードトーカー」として、93年の人生を終えました。

「過去の様々な経緯にもかかわらず、彼ら、ネイティブアメリカンは
アメリカのために勇敢に戦ってくれた」

2001年7月26日、名誉勲章金メダル授与式での時の大統領、
ジョージ・W・ブッシュの言葉です。


 

 


「イエスかノーか!」〜映画「桃太郎 海の神兵」

2016-10-08 | 映画

「桃太郎 海の神兵」、最終回です。

帝国海軍挺進部隊は、蘭印作戦におけるメナドの戦いで、

セレベス島メナド、じゃなくて鬼ヶ島大江山に侵攻し、
日本軍が初めて行った空挺強襲作戦は成功を見ました。



司令部の建物からは連合国兵じゃなくて・・・もういいか。
兵がわらわらと逃げ出してきます。
一応彼らには鬼の角らしきものが付いているのがご愛嬌。

 

トランプに興じていたらしく、慌しく逃げ惑う足下に散らばるカード。
スペードのキングが画面に大きく映りこむとき、
彼らが砲撃にやられて

「ぎゃああああ」

と叫ぶ音声が被せられます。



 

次々と投降してくる連合国兵士たち。
彼らの動きは一様に手足がゆらゆらして、まるで昆布のようです。



野戦においても突撃をうけ、壕から白旗を上げてでてきます。

 

いくら外人でもお腹に刺青を入れる人はあまりいないと思うがどうか。



敵から多くの武器を鹵獲することができました。



さて、オーエヤマ司令部では、交渉が開始されました。
ということは、桃太郎隊長は、空挺部隊の司令でありながら、
山下奉文将軍のような軍司令官でもあったということになります。



ところが、この「鬼の司令官」の言い分によると、

「自分は全軍の司令官ではないので無条件降伏には応じられない」



鬼ヶ島の指揮権はオーエヤマ提督にあり、自分は限られた範囲での
指揮権しか持っていない、というわけです。

 

会談が続く間、参謀が必死で本をめくって何かを調べています。
桃太郎の参謀は雉。
水兵服を着ていたけど実は士官だったのか。

それとも全く別の雉?





オーエヤマ総督は2、3日前に飛行機でどこかにいったというので、
貴官を全権と認めるがよいか、と迫る桃太郎隊長、いや司令。

よく見ると左に猿野、その後ろに熊が。
やっぱりみんな将校だったのね。それとも別の(略)

ところがこのおじさん、「そう言われても困る」とあくまでもごねます。
ちなみにこのとき彼は英語で

”Oh, oh, oh, it mean a difficult position."

と言っております。

「わたしの責任は陸軍用飛行場と鬼ヶ島と近辺の軍事施設と、
鬼ヶ島の要塞地帯と併映と鬼が湖とこの飛行場に限られている」

限られているって、それ、ここ一帯ほとんどってことやないかい!
とにかく指揮権が全部ではないことをぐだぐだ強弁する司令官。

 

ついに桃太郎司令がここで一喝、

「イエスかノーか!」



・・・・いやちがいました。

「それなら我が軍は総攻撃を開始する!」

シンガポール攻略においての山下奉文中将の「イエスかノーか」は
象徴的に持ち上げられ、戦意鼓舞に使われたりしましたが、本人は

「簡潔にイエスかノーかだけ言ってくれ」

と言ったにすぎないとあとで語ったそうです。
山下はこの交渉前日、乃木大将とステッセルの会話を思い出し、
敗軍の将をいたわる様子を想像してうっとりしたりしていたのですが、
現実にはあまりにも日本側の通訳が要領を得ず、さらにはパーシヴァルが
あまりにもいろいろいうものだから、ついこう言ってしまったそうです。

しかし、桃太郎司令は激しく机を叩きながら言っております。

ご存知のように山下奉文は終戦後連合軍によって処刑され、
その死刑には米軍の計らいで英軍のパーシヴァルが立ち会いました。

桃太郎司令が戦後、同じ運命を辿っていないことを祈るばかりです。

 

実はこのときのパーシヴァルは、連合軍の食料弾薬が底をつきかけており、
後がなく後がなく降伏するしかなかったという状況でした。

ヒソヒソと鳩首協議する司令と幕僚を恫喝するように、

日本軍が司令部に向かって砲弾を放ち、テーブルに土塊が散らばり、
彼らは完全にビビリモードに。



猿野(あれ?いつの間に鉢巻を・・別の猿かな)は記録係。
犬養ワン吉も隣におります。



「それでは返事は今夜10時までにということで・・」

時間稼ぎをしてなんとか打開策を練ろうというのか。



「10時までとは何事か。
本官はすぐに降伏だけに応じる!
すぐに全軍に総攻撃を命ずる!」



「わかったから総攻撃だけは中止していただきたい」

「それでは全面降伏するか、戦闘を続けるか、
ただこれだけだ!


あーこれ、やっぱり山下大将を意識してますね。
イエスかノーか、とまで言わなかったのは、これが海軍の協賛だから・・・
でしょう。たぶん。

 

あっさりしたことに、鬼ヶ島軍の司令が全面降伏するというと、
軍のシーンはそこで終わってしまいます。
そして一転、猿雉犬熊の故郷へと。

故郷出身の海軍兵士が、遠い異国で今どんな戦いを成し遂げたか
夢にも知らず、子供たちが
無邪気に遊んでおります。

いや、三人がうつ伏せになった上を跳躍して回転するというのは
遊びではなく、確かこれは降下兵の訓練・・・・。 

遊びにしては彼らの様子は真剣そのもの。
跳躍の際「えい!」「やあ!」と気合を入れ、
横に立つ子供は「次!」「次!」と、まるで軍隊です。 



それに続いて、今度は木にハシゴをかけて登り、飛び降りるなど、
これはどうみても訓練そのもの。

彼らは、彼らの兄や知り合いのお兄さんたちが落下傘降下を行う

部隊にいたことすら、全く知らされていなかったはずなのに・・・。



飛越しは怖くて直前で止めてしまった猿野の弟、三太ですが、
「早くこいよ!」と言われて思い切って跳躍を成し遂げます。

・・・ところで、この地面に描かれている白い線って、
アメリカ大陸・・・・・?

うーん・・・。

これは、この映画製作時の昭和20年初頭、

日本がアメリカ本土を攻撃するその日のために、猿野の弟たち、
つまり未来降下兵たちが戦いに備えているという暗示でよろしいのでしょうか?

海軍では実際にも終戦間際に「剣号作戦」というマリアナ諸島の米軍基地に対する
エアボーン攻撃計画が立てられたことがありますが、使用予定の航空機が
アメリカ軍機動部隊の空襲で破壊されたため延期となり、
発動直前に終戦の日を迎えて中止となったということがありました。



そしてメナド侵攻を行った横須賀鎮守府第一特別陸戦隊、つまり
桃太郎を隊長とする空挺部隊ですが、その後改編で少なくなった残りの隊員は
サイパンで訓練を行いながら待機を命じられていました。

昭和19年6月15日、アメリカ軍の上陸を迎えることになった彼らは、

海軍地上部隊の最精鋭として陸軍部隊とともに上陸初日、
夜間総攻撃に参加しましたが、翌朝までにほぼ全滅したということです。


 

この映画が製作されたとき、スタッフはともかく海軍報道部は、
もちろんのこと
挺進部隊の全滅を知っていたはずです。


「陸軍にお株を奪われた海軍落下傘部隊の宣伝」


と最初はわたしが考えていたこの映画の製作意図ですが、

もしかしたら、彼らへの慰霊と顕彰が込められていたのかもしれません。


駆けていく仲間の後を追う三太の後ろ姿で映画は終わります。

 

この映画は今年2016年の5月、カンヌ映画祭に出品されています。
最近の低迷を表すようにコンペティション部門には
エントリーすることすらなかった日本映画界ですが、
溝口健二監督の「雨月物語」とともに、「カンヌクラシックス」
という古い映画週間で上映されたというのです。

その際のタイトルですが、本日の冒頭画像にも入れたように

「MOMOTARO, SACRED SAILORS」(桃太郎、聖なる水兵たち)

とされました。
「空の神兵」という元ネタからのこの経緯を知っているものには
なんとなく本質と違ったタイトルに思えてしまいますが・・・。


のちの日本のアニメ界に大きな影響を与えた、この戦時中の
「国策映画」を、世界の映画人たちはカンヌでどう観たのでしょうか。





 


突撃と残酷表現〜映画「桃太郎 海の神兵」

2016-10-07 | 映画

「海の神兵」というタイトルはなんというか自然すぎて、
意味を考えぬまま納得してしまいそうになりますが、
これは明らかに「空の神兵」へのカウンターという意味合いを持ちます。
「空の神兵」といえば陸軍、それでは、とその向こうを張って
我が海軍の落下傘部隊を「海の神兵」と命名したのでしょう。

しかしこの名称も、「空の神兵」の知名度あってこそだったわけで、
海軍としてはさぞかし忸怩たるものがあったのではないかと察します。

さて、海軍落下傘部隊、「海の神兵」が降下を行うところからです。

 

空中に落下傘の花が次々と開いていきます。

 


この時に流れる音楽は、ハープの導入で始まるストリングスの優雅な音楽。
美しい調べに乗って一つづつ、まるで花のように開いていく落下傘。

適切な表現ではないかもしれませんが、実に優雅で美しいシーンです。



熊も無事に傘が開きました。

 

次々と地上に降下していく白い傘。
ちなみにこのとき、実際は横須賀第1特別陸戦隊(横一特、司令官:堀内豊秋中佐)
の落下傘兵334名がメナドのランゴアン飛行場へ空挺降下しています。

 

降下するなり索の根元を持って傘を引っ張り、すぐさま離脱。
猿野も無事に降下を果たしました。
彼らの目的はこれから敵陣に切り込むことであって、降下は手段にすぎません。
地上に立つことができたら、もう落下傘は地面に捨てて戦闘開始です。



桃太郎隊長が体を起こす頃には。敵がこれを迎え撃つ銃声が聞こえ始めていました。
このときの海軍の降下作戦では兵員の損害はほとんどありませんでした。


 

いよいよ海軍落下傘部隊が侵攻を始めました。



なんども言いますが、降下は手段にすぎません。
かれらにはこれから敵陣に武器で斬り込むという大事な使命があります。

ちなみに彼らの集合地点の目印はもちろん旭日旗でした。


 

銃声の切れ目になると体を起こし、突撃。
落下傘で落とされた武器の周りに身を伏せながらたちまち集まる兵たち。

これはアルミ製の円筒形の物料コンテナ30kg用で、サイズは107×36cm。
識別用に赤い帯を巻いており、専用の傘で降下させました。


 

ケースを開けて緩衝材の綿を取り去ると、口径50mm八九式弾薬筒が現れました。
それを取り上げ、走っていく降下兵たち。
これらの動作は一切セリフなしでで行われ、戦後のアニメのように
むだに「いくぞ!」などと声を掛け合ったりしません。
実際もおそらくはそうだったのでしょう。

ちなみに実際のメナド作戦では、八九式重擲弾筒は

分解した状態で投下されたのですが、回収できなかったので、
次のクーパン作戦では降下の際帯同されました。

 

ガチャガチャと金属音だけを響かせ、無言で装備を身にまといます。
ポケットがたくさんついている帯のようなものは、


日本軍落下傘部隊

という、ゴードン・L・ロトマンと滝沢彰共著のミリタリーシリーズで
(イラストはピーター・デニス)確認することができました。

これは三八式騎兵銃の布製弾帯で、小囊が17個連なったものを、
猿野がやっているように2本交差するように肩からかけて使用しました。

この本には装備を実際に身につけている日本兵の写真がありますが、
日系二世が扮しているのだと断り書きがあります。

他にも細部、たとえば帽垂れ(鉄兜から垂れる結び紐を兼ねたもの)は
小さな穴が開けられていることまで詳しく説明されています。

これによると、海軍では降下の際専用の「降下作業衣」と呼ばれる
ジャンプ・スモックを着用しており、これは吊索が装備品に絡まるのを防ぎ、
同時に樹上降下の際身体を保護する役割がありました。



適材適所、体の大きなくまモンが運ぶのは・・?
実際には八九式弾薬筒(4・5㎏)が降下作戦の際投下した
一番大きな火器だったのですが、それにしては大きいですね。



銃砲を組み立て、攻撃に入ります。

これは九二式重機関銃
このとき、銃声に合わせて射手の顔の筋肉が細かく震える様子まで
ちゃんと表現されています。
たかが黎明期のアニメと思っていたら、この再現力に驚嘆させられるでしょう。

ただし、実際のメナド降下の際には九二式ではなく、
九九式軽機関銃が使用されました。


 

そして重砲撃。
海軍挺進隊の重砲装備は94式37mm速射砲だったそうですが、
砲身の形から見てこれではない気がします。
メナド、クーパンでは重火器は使用されなかったという記録もあります。


 

銃剣を持って突撃していますが、これが三八式騎兵銃。
三十年式銃剣が取り付けられています。

彼らは匍匐しながら前進し、敵砲撃の合間に突進を繰り返します。




桃太郎隊長が抜刀して突撃。
ちなみに士官は軍刀を携行して落下しましたが、これは

降下時には短いコードで吊り下げられるような専用の
離脱式
ストラップが付けられていたようです。

  

なんとここで重量級のくまモンが敵壕に死角から忍び寄り、
重砲を横からむんずと引き抜くという荒技を。
それ普通無理だろう。




あとは銃を構えた降下兵たちが敵陣に雪崩を打って突入するだけ。



さて、連合軍、じゃなくて鬼ヶ島軍は装甲車で脱出を図ります。
ちなみに彼らは英語を喋っております。

 

ところが沿道で敵を撃たんと待ち構えている帝国海軍の斥候兵。
もはやどれが主人公の猿野かわかりません(笑)



敵の車が近づく気配に、あるものは手榴弾を握り直し、別の者は
腰の短刀を静かに抜いて備えます。



敵の行く手にまず数人が走り出て、手榴弾でタイヤを爆破し、
車を走行不能に。



 

こっからがすごいんですよ。
外側からハッチを開けるなり、無言で短刀を中に向かって振り下ろす猿。

 

 

ついコマ割りでアップしてしまいました(笑)



ナイフはいとも易くオランダ兵、じゃなくて鬼ヶ島兵の胸に突き刺さります。
この映画を最初にご紹介したとき、映画完成後の海軍による検閲では

「残酷なシーンが全部カットされた」

とあることをふと思い出しました。
今基準で言ったら、可愛らしいキャラクターがナイフで人間の胸を突き刺すなど、
それ自体がもうアウトなわけですが(笑)、この部分が問題がなくて、海軍的に
残酷とされたシーンには、いったいどんな残虐行為が描かれていたのでしょうか。








抵抗する術もなく殺されていく敵兵たち。(-人-)ナムー


今日われわれは、日の丸をつけた飛行機を撃墜して呵呵大笑する

ミッキーマウスのアニメを観てドンビキするわけですが、
やはり当方も同じようなことをやっておったわけです。

ただ、向こうではこれに加えて人種差別の要素を盛り込んだりしてます。
やっぱりというか、ポパイもバックスバニーもこんなことに・・・

POPEYE the SAILOR in "Your a Sap Mr. Jap


Popeye The Sailor 113 - Scrap the Japs [BANNED]


Banned Cartoons Japs--Bugs Bunny - Tokio Jokio - 1943 - B&W

やっぱりこいつら、日本と中国の違いが全く分かっておらん(怒)

まあなんだ、戦争するというのはこういうことなんですよね。
向こうは日本と違ってお金があるからさらにやりたい放題。
悲しいことにこの手のアニメは嫌になる程探せば見つかります。

ポパイがほうれん草を食べて力をつけてから、日本の軍艦を
まるで缶切りのようにオープナーで切ってしまう、というのは
なんとなく見ていて楽しいですけど(笑)

ただ、あちらのこの手の表現は、人種差別と侮蔑的表現がベースになっていて、
当のわれわれが見るとその不快感には拭いがたいものがあります。
まだこちらの戦闘行為を描いただけの表現の方がマシだと考えるのは
わたしが日本人だからでしょうか。 



ちなみに、ドナルドダックも落下傘部隊に所属していた模様。


World war 2 in cartoon: Donald Duck Sky Trooper (1943)



続く。






 


降下降下降下!〜映画「桃太郎 海の神兵」

2016-10-06 | 映画

さて、桃太郎部隊の空挺部隊がいよいよ出撃することになりました。



映画ではここでいきなりインドネシア、いや「ゴア王国」が、
白人の支配に遭うまでの経緯が説明されます。
南の島々の中にうかぶ宝石のように美しい島。



ある日この島の港に現れた不思議な黒い船。
島はたちまち上を下への大騒ぎに。



船から降りて宮殿に伺候したのは鼻の尖った白人。


 
「わたしたちはこの島の人々と仲良くしに来た商人です。
この島のどこかに休息できる場所をお譲り願えませんか」



「わたしたちの船が積んでいる世界の珍しい宝をお見せするのに、
それらを並べる土地が必要なのです。
何、銅貨ほどの敷地で十分でございます」

王様がそれを承諾すると、

 

「これが我が国の商法でございます」

国土のほとんどが硬貨で覆われてしまいました。



そして彼らの攻撃が始まりました。
戦いの末、ゴア王国は黒船に負け、支配を許してしまいます。



この島のジャングルに深く眠る石碑に書かれて曰く、

「月明明るき夜に東方天子の国より白馬にまたがりたる
神の兵来りて必ずや民族を解放せん」

インドネシアに実際に伝わっていた「ジョボジョボ伝説」というのが、
戦時中からすでに日本の知るところとなっていたことがわかります。



翌日夜明け前。
ただ身じろぎもせず立つ隊員たちのシルエットが浮かび上がります。
流れるのはラッパ譜「君が代」。

しかしこの厳粛な雰囲気も、動物たちが皆で走り回り、

「そらそらかけろそら走れぐんぐんかけろどんどんかけろ皆々かけろ」

という実に妙な歌が流れ、はっきり言って台無しに(笑)

 

いよいよ飛行機にエンジンがかけられました。
降下兵たちが落下傘を背負って次々と搭乗していきます。



飛行機の入口に立ち、一人一人を厳しい目でチェックしているのは
本編主人公(だよね)の猿野猿吉兵曹。



乗り込んだ順にシートに座りますが、やっぱり熊は
でかすぎて皆の迷惑になっております。肩身が狭そう。

実際の空挺部隊の輸送機内での写真を見ると、これどころか
その向かいに座っている者とほとんど膝がくっついています。
激しい緊張の中、この輸送機の中の状態はきつかったと思われます。



降下兵とは違うハッチから乗り込む航空隊員。
本機搭乗員は全員がウサギ。



あのー、イヤフォンが(うさぎの)耳から外れてるんですが・・・。


 
一人が上部ハッチをあけて外を立ちます。
車輪止めを外す、手を交差させてから払うあの仕草をするためです。



地上員たちが車輪止めを外していきます。

「よーそろ!」「よーそろー!」



タキシングする航空機を、地上員たちはじめ駆けつけた
動物たちが見送る中、敬礼を送る搭乗員。

子供向けの動物を使ったアニメなのに彼らの動作はとにかくかっこいい。
これを見た子供たちはこの時期においてなお海軍に憧れたに違いありません。

あー、こういうところが「国策映画」だといわれるんだな。



窓越しに見送る人々に敬礼を送る猿野。



浮き上がる車輪の横を、走って追いかけてくるチータたち。



耳をなびかせ、帽触れで航空機を見送る地上員。



猿は手を、象は鼻を、リスは尻尾を振ります。



ここで軍歌調の歌が流れます。

祖国離れて何千里 海を渡りて敵の陣 鍛え鍛えた鉄の胸 翼頼むぞいざ運べ

本来ならば「空の神兵」を流したいところですが、この曲は
いろいろあって陸軍のテーマソングのようになってしまったので、
海軍としては意地でも使いたくなかったのだと思われます。

古関裕而は大物ですが、それでも映画のためのこの曲には
やっつけで作った投げやりな感じが拭えません。

この名曲を陸軍に「取られて」しまい、実質自分たちの方が早かったのに
陸軍落下傘部隊だけが世間にもてはやされたことを海軍が
よほど悔しく思っていたらしいことがうかがえます。


 

この軍歌に乗って、攻撃隊の様子が活写されます。
お守りの人形をコクピットに下げた搭乗員たち、



互いに肩をたたき合う降下員たち。
その様子を隊長はにこやかに見守ります。

 

援護の飛行機が手を振り基地に帰っていきます。
ところが、このあとにわかに一点がかき曇り、攻撃隊は荒天に苛まれます。

 

基地ではすでに台風のレベル。
そもそも落下傘降下は雨が降った時点で実行不可能です。



攻撃隊の様子を案じて地上員たちはせめてもとてるてる坊主を作るのでした。

 
 
一転、まず搭乗員たちの顔が空のように晴れやかになります。
天佑神助によって空は晴れてきたのでした。



砲塔に登り、銃座を確かめてから見張りを再開する砲手。

メナド降下作戦では輸送機が一機墜落し、乗員が
12名全員戦死しています。

 

雨の間ずっとうつむいて航空機の隙間から入る雨水を避けていた
(っていうか、飛行機に雨漏りがしていたっていう)
乗組員たちは
すっかり元気づき、お弁当を広げて腹ごしらえです。




搭乗員も食事を始め、航空員だけの特権?であるキャラメルを
皆に振る舞ったりしているうちに、降下地点まで30分の距離に。

機長からは「みなさんの成功を祈る」というメッセージ。

 

桃太郎隊長の「全員位置につけ」の号令とともに緊張が走ります。



各々が厳しい表情で装具の点検を行い、機内には
金属音だけが聞こえます。



機長によって降下地点上空を知らせるブザーが三度鳴らされます。

「降下あ、よおおおい!」



ハッチに向かう降下員は、一人ずつコクピットの搭乗員に敬礼をしながら。

 

傘を開くための環を外し、それを航空機上部のバーにつけます。
今も第一空挺団が同じ方法で降下を行っています。


 
環をバーに連結した桃太郎隊長、指揮官先頭の海軍は
隊長が真っ先に降下します。



緊張のひと時を前に見張りを行う砲手。

 

ブザーが二回鳴らされ、ハッチがいよいよ開けられます。



機長がブザーを長押しすると同時に、隊長が一声、

「降下アア〜〜ッ!」



続く。



 


搭乗員の小鳥〜「桃太郎 海の神兵」

2016-10-05 | 海軍

一日で紹介するつもりが結構長くなって自分でも驚いていますが、
昭和20年公開の国策アニメ、「桃太郎 空の神兵」についてです。

手塚治虫は、勤労動員の休日であった封切り初日に大阪松竹座でこの作品を観ました。
(手塚は北野高校を卒業して戦時に医師を増員するために作られた
大阪帝大の専門部に入学が決まったところだった)
そして、

海軍の意図した戦意高揚の演出中に隠された希望や平和への願いを解し、
甚く感動し涙を流した(wiki)

とのちに語ったそうです。
因縁をつけるわけではありませんが、これだとまるで製作者は
戦意高揚のアニメを心ならずも作らされており、海軍が気づいたら
話を変えさせかねない平和思想をこっそり仕込んだような言い方です。


それでは、海軍は希望や平和への願いというものが表された部分に
作品完成後に行われた検閲の際気がつかなかったとでも言うのでしょうか。
そんなことはありますまい。

軍のチェックでダメ出しをされた部分を作りなおしたため、この映画は
公開予定を大幅に遅れることとなりましたが、ダメ出しされた部分は

「軍機に触れる部分、および残酷すぎる描写」

だったといいます。

軍機に触れる部分は当たり前として、「これは残酷すぎる」と
(おそらく敵兵を殺戮するシーン)をカットさせたのが軍だった、
ということに留意していただきたいと思います。

国策映画と悪の権化のようにいいますが、わたしがここでよく言うように、
戦時中に作られたすべての戦争映画は、決してガンガン敵を殺してスカッとする、
といった方向性でドラマが作られているのではなく、傾向としては
国を守るために莞爾として死地に赴く覚悟を讃えるというものであり、
戦争によって失われる命の尊さと戦った末不慮の死を迎える悲劇、
逆説のようですが、平和の希求というテーマにおいて、戦後の戦争映画と
なんら変わることはないと思うのです。

つまり手塚治虫は戦争映画の「原点」をこのアニメに見たということになります。
手塚がいつか自分の手でこのようなアニメを作りたい、と思ったのは
他ならぬこの映画を見たことがきっかけでした。

この映画が生んだのは手塚治虫という漫画の神様であり、とりもなおさず
いまや世界に独自の位置を占める手塚以降の日本のアニメでもあるのです。 

さて、本日の冒頭画像は、おそらく手塚が「涙した」のではと想像される
「喪失」をテーマにした部分です。



早朝、哨戒に出撃する搭乗員が身支度をしながら
自室を出て来ます。
隊長機の援護のとき、搭乗機にペットの鳥カゴを積んで飛んだ搭乗員です。



鳥かごに手を入れて指に止まらせた小鳥に餌をやるため、
飛行手袋を口にくわえてはずすシーン。



この眼差しと丁寧な仕草に、愛情がこもっています。



哨戒機のクルーに呼ばれ、彼は点呼のために走っていきます。
哨戒機隊長は猿鳥雉トリオの雉ですね。




隊長に敬礼をする搭乗員。
この間にも地上員が搭乗機のエナーシャを回しています。

「◯◯兵曹以下2名、偵察機フタマルサン号機搭乗!
敵地上空を偵察に参ります!」

雉川というのは勝手にわたしが便宜上つけた名前ですが、ここで

彼の名前と階級が明らかになります。
動物たちの声優は全員が小学生くらいの子供なので、どうしても

滑舌が悪く聞き取れない部分がけっこうあるのです。

 

「よし、鬼ヶ島上空、敵の警戒は厳重の模様である!
十分気をつけて行ってこい!」

 

棒剣術の訓練の休憩中だったものたちが偵察機を見送ります。

「おーい、しっかりやってきてよお〜!」



哨戒機が水平線の彼方に消えたあとの基地では、
前日、地上員たちが飛行機にかぶせた偽装のための布が風に揺れ、
波の音だけが響く静かな静かな一日が始まります。



そんなのどかな光の中、歩哨が銃剣を構えてゆっくりと歩いています。

 

彼の構える銃剣の先が、足取りに合わせて動く様子が表現されます。
なんと、映画のように後ろに見張り塔が現れるとフォーカスがかかります。



皆が銃剣術(棒術?)の訓練の続きを行っています。
くまモンは面を外し、滝のような汗を拭きながら

「暑いー、ああ暑い、暑いなあ」

なんの意図で挟まれたかいまいちわからないシーンです。
「ディア・ハンター」の病院のシーンで、何度見てもなんのために
挟まれたかわからない、スタッフがものを落とすシーンみたいなもの?

 

通信兵たちも全員がうさぎ。
通信音と「もしもし」などと答える声、通信文がやりとりされる喧騒のなか、
通信員たちは慌ただしく走り回っています。



「ハイルヒトラー」をしているのではなく、敬礼のあと、
なおれをするときに必ずこのように手をまっすぐ伸ばしているのです。

哨戒機からの連絡がない、という報告にひとこと「よし」
と答え、目を伏せて海図を凝視する桃太郎隊長。



不可解シーンまたもや。
滝のように汗を流しながら

「ああ〜、ああ〜暑い、ああ〜 ああ、ああ、ああ」




基地がにわかに慌ただしくなりました。
哨戒機が帰投してきたのです。



帰ってくる機を見つめる隊長。
その飛行機は・・・



片翼でした。
皆様は片翼飛行で帰還した樫村少尉の話をご存知でしょうか。

「片翼帰還の樫村」樫村寛一少尉


この映像には、奇跡的に片翼のまま600キロを飛んで帰ってきた
樫村機の飛行映像が残されています。
このニュース映像のアニメーション解説?によると、体当たりを敢行して
その結果翼がもぎ取られたように報じられていますが、実際は
避けきれずに翼を破損したのだろうと今日では言われています。

樫村寛一はこの奇跡的帰還で国民的英雄になり、
左翼が破損した96戦闘機は終戦時まで保存展示されていました。

しかし、それから6年後の昭和18年3月、南方に出撃した樫村兵曹長は
ソロモン諸島のルッセル島上空でF4Fと交戦し戦死しています。

このシーンで哨戒機が樫村機と同じ左翼を破損した状態で帰ってきたのは
明らかに樫村少尉(戦死後昇進)へのオマージュであると思われます。


さて、滑走路を外れながらなんとか着地した哨戒機には
地上員たちが駆け寄り、サイレンが響き渡ります。 



ここでなぜかあの搭乗員の小鳥が・・・・。
とくれば、映画的展開から行って嫌な予感しかしません。




隊長に帰投報告をする隊員は二人です。

気をつけ〜!  なおれッ!
◯◯兵曹(どうしても聞き取れない)以下2名、偵察機フタマルサン号機搭乗!
鬼ヶ島偵察しただいま帰りました!
基地上空において地上砲撃により」



「一名戦死しました。 以上!」



「よし、ご苦労」



桃太郎隊長は表情すら動かさず、淡々としています。
搭乗員は報告後走って搭乗機の前まで行き、唯一感情を表す動作として、
機長が同僚の肩に手をかけて、二人で機体を見つめます。



彼らの視線の先にはさっきまで生きていた戦友が乗っていたコクピットが。



そして穿たれた穴からは、死んだ搭乗員の航空時計がぶらさがって揺れていました。



早速現像室では航空写真の現像が始まりました。



無言で写真を合成していく通信兵たち。
彼らが自らの命をかけて偵察してきた敵基地の全容が
これで明らかになったのです。

偵察搭乗員の命を引き換えにして得た敵地上空の写真。
これらを解析し、いよいよ出撃が行われることとなりました。

 

出撃に際し、桃太郎隊長の訓示が行われます。
隊長が敬礼をし皆を見回す様子が時間をかけて描かれます。



翻る旭日旗。
この映画の制作スタッフが心血を注いだアニメ的表現の一つに
「旗の靡く様子」があったといわれています。
これも、戦地で没収したディズニー映画「ファンタジア」の技術に
大いに影響を受けている部分でもあります。

 

部隊は猿、犬の小隊による降下部隊が主流を占めます。
雉はパイロットであることが多いようだし、熊は希少種なのか
部隊を組むほど人員?がいないようです。



「いよいよ我々の待ちに待った作戦は、明朝を期して火蓋を切ることになった。 
皆もすでに覚悟はできていることと思う。
我が海軍落下傘部隊の長い間、秘密のうちに黙々と鍛えた
訓練の成果を初めて表す時が来た。

お前たちはこの長い間、両親や兄弟には訓練のこはを語ることができず、
苦しいことであったと思う。
明日こそ我々は最後の一兵となるまで敵陣に突撃するのだ。
皆覚悟はできているか!?」


「はいっ!!」

この返事の時、全員の肩がわずかに上がり、
「はい」と同時に手を下に向かって伸ばす動きまでが描かれます。

「ようし!今夜は我々の最後の夜となった。
攻撃隊出発は明朝4時!以上!」



攻撃隊出撃に備えて基地は一丸となってその準備を行います。
搭乗員の飲み物には瓶入りのサイダー。

梅干し一つの日の丸弁当、そしてチョコレートが用意されます。



通信員と整備員はうさぎです。(この世界では)
翼に給油が終了。



慎重にバルブを回して空気圧を調整。



降下部隊の兵たちは、粛々と落下傘を畳む作業を行います。
索を一本一本慎重に重ね、束ねたものを切れる糸で縛り、
傘を丁寧に折りたたんで背嚢に収納していく過程が描かれます。

そして、それを背負った隊員たち一人一人を隊長がチェック。
「ヨシ!」と声をかけていきます。



そして出撃をまつ払暁の一瞬の静けさ。



優雅な仕草で手袋を外す隊長。
出撃のその時に向けて最後の休憩を取るのでしょうか。

続く。

 


アイウエオの歌〜映画「桃太郎 海の神兵」

2016-10-04 | 映画

昭和20年初頭に公開された海軍省後援のアニメ映画、
「海の神兵」、二日目です。

最初にあまり気合を入れずにみたときには「ふーん」としか
思わなかったのですが、なんども見ているうちにこの映画には
今のアニメ制作の現場にはあり得ないような気概、
そして泣きたくなるくらい必死に上を目指し、いいものを創ろうとする
祈りに似た気持ちすら感じられるようになっていました。 

これらのフィルムを手がけた人々の多くが徴用され戦火に散ってゆき、

当初70名近くいたアニメーターは、完成時には15名ほどに減って”(wiki)

いたそうですから、渾身の思いで取り組んだ仕事の完成を見ぬまま、
戦地で還らぬ人となったスタッフの方が多かったということになります。

そのことを念頭に置いた上でこのアニメを観るとき、至るところに
亡くなっていった仲間へのオマージュとして挿入されたエピソードや、
連合軍への敵愾心、憎しみが隠せない部分があり、彼らもまたセルに向かいながら
彼らの戦争を戦っていたということを考えずにはいられません。



さて、猿野ら海軍挺進部隊の水兵たちの故郷から場面は変わり、
椰子の木が茂る南方の海軍基地です。



前作の「桃太郎の海鷲」もそうですが、この世界の海軍では
整備・見張りなどの兵は全てうさぎです。



ここにあるのは海軍設営隊。
メナドの、おっと鬼ヶ島への降下作戦を行うにあたり、
根拠地に基地を設営するところです。



鹿がツノに糸巻きを乗せて走り、格納庫の予定地に印をつけます。



こちら設営隊の測量技師。
こんな作業までを細かく映像化しています。



軍服を着ていない動物たちは、徴用された現地の人という設定。
史実に照らすのであれば、蘭印作戦のころの海軍設営隊は、
まだ軍人よりも軍属中心に構成されていたころです。

 

象や犀など力持ちがいるので重機は必要ありません。
ちなみに建設機械を担当するのは第1中隊となっていました。

 

海軍設営隊が組織されたのは開戦直前の16年8月ごろで、
太平洋における戦争が現実化してきたのを見据えてのことでした。

設営隊は基地施設建築や陣地築城を任務とし、大東亜戦争中には
200隊以上が編成され、南方の最前線などで飛行場などの建設を行いました。



ミュージカル仕立てで登場人物が歌いながら作業を行います。
ここには明らかにディズニーを意識している様子が見えます。

で、この不気味な動物は何?っていう話なんですが、



テングザルのつもりですね。
テングザルはオランウータン、チンパンジーの類人猿トリオででてきます。



設営隊が作っていたのは格納庫でした。
飛行場を造営するのは、設営隊にある4つの中隊のうち第2中隊です。
第3中隊は居住施設・耐弾施設・桟橋などを担当し、

第4中隊 - 隧道(ずいどう=トンネル)といったように、専門化されていました。



飛行見張り台の上には海軍旗が翻ります。



そこに飛行隊が帰投してきました。



控え所から駆け出してトラックに乗り込むうさぎの地上員たち。
航空機の爆音を耳にするなり、かぶっていた帽子の紐を
あわただしく顎にかける様子も描写されます。

 

トラックから飛び降りるなり飛行機の車輪止めを押しながら走る地上員。



陸攻を護衛の戦闘機が追い越していきます。



航空隊の動きを双眼鏡で追いかけるうさぎ地上員。

 

96式陸攻ですね。
線を巻いた陸攻にはこの基地の要人が乗っています。

 

見張り台に駆け上っていくうさぎのしっぽがかわいい(笑)
なんのために上がるかというと、飛行隊に某触れをするためです。 

 

陸攻の尾翼には桃の部隊マークが。
これこそ「桃太郎空挺部隊」の印なのです。
12と書かれた垂直尾翼がはためいている動きも再現されています。

 


着地の際のタイヤが軽くバウンドする様子まで再現された
飛行機の着陸シーンは、へたするとそのまま宮崎アニメに使えるくらい。
零式艦上戦闘機の21型のエルロンもちゃんと降りています。




哨戒機からはうさぎと雉の二人の搭乗員が降りてきました。
零戦が複座?と思ったのですが、偵察用に改造された複座が実際あったようです。



この搭乗員、セリフもなく勿論名前もわかりません。
搭乗機にカゴごとペットの小鳥を乗せて飛んだようです。



ところで、戦記ものには不滅の大原則があります。

「ペットを飼っている兵士は必ず戦死する」

・・・・。



陸攻の車輪止めを素早く行う地上員たち。



コクピットには操縦士が立ち上がって地上員の指示を行い、
その様子を現地の動物たちが物見高く見物しているのですが、このとき
機上の搭乗員の耳が風にあおられてなびいています。

「桃太郎の海鷲」製作後、押収したディズニーのアニメをみて、製作者たちが
もっとも感銘を受けたのが、旗や動物の耳が風になびく表現だったといいます。

このアニメはそういうディズニー的表現に追随しようと、とにかく
動物たちにあえて細かい動きをさせている様子がうかがえます。




航空隊が着陸してくるとき、原住民らしき動物たちは皆
びっくりして木のうろなどに隠れてしまいましたが、原住民の子供達は
無邪気に飛行場の隅を走り回り、なかでも「いちびり」が、
停止した飛行機の車輪を指で触って逃げたりします。

そこでいきなり、

「来たよー来た来た 何がやってきた」

というテングザルトリオの歌が始まり、



地上員たちは陸攻の前に整列を行います。
このうさぎたちそれぞれの動きがなんとも躍動的。



そして陸攻から出てくる隊長を敬礼で迎えます。

 

挺身隊隊長、桃山桃太郎中佐着任。
実際のメナド侵攻の際には空挺降下を行ったのは
横須賀鎮守府第1特別陸戦隊で、司令官は堀内豊秋中佐でした。
(海軍は基本結成された場所が部隊名になった)


堀内大佐(最終)はこの空挺作戦に参加したときすでに42歳。
いかに海軍体操の発案者といえ、この年齢で空挺降下を行うとは
さすが指揮官先頭の海軍ならではです。



敬礼のなか堂々と登場。
額に締めた日の丸の鉢巻が風になびきます。





このときに敬礼しながら隊長の動きを地上員は目で追うのですが、
冒頭の写真の角度からこのコマまで、一瞬の動きをコマ送りして数えてみると、
セル画はコンマ以下の秒に対して32枚も描かれていることが判明しました。



テングザル以下猿トリオの合唱。

「♪おやおや立派な人が出た(人が出た)
こりゃ不思議じゃな 不思議じゃな♪」

これの何が不思議なんだ、と突っ込みたくなりますがそれはともかく、
桃太郎隊長に続いてなんと、猿野やくまモン、犬養ワン吉が降りてきました。

隊長に続いて降りてくるということは、彼らは水兵ではなく、
少なくとも兵学校出の士官だったということになりますが、
あまりその辺りの辻褄合わせはしなかった模様。

まあ、桃太郎ときたら猿雉犬の家来ですからね。

猿トリオコーラス隊は続けて

「♪驚き桃の木山椒の木 僕らによく似た顔だわい
ほんにほんになんだかちょっと似てる ほんにほんにさ〜♪」


猿野のことを指しているようです(笑)



隊長が降りた後は、地上員は挺身隊隊員たちの降機にかかります。
横須賀鎮守府特別陸戦隊の隊員は落下傘兵750名を含む総勢840名でした。

メナド降下作戦にはこのうち450名が参加してしています。



桃太郎隊長は階級章をつけておらず、胸に「隊長」とあります。
この間子供たちの歌う軍歌が流れているのですが、何かわかりません。



隊長の敬礼に盛り上がる住民の子供たち。

 

輸送機から降りてきた隊員たちが飛行場に並べていく荷物が妙に丁寧に描写されます。
猿トリオは例によって

「本当になんじゃろ本当になんじゃろ」

と中身の詮索を始めます。

「バナナ」「サロン(腰巻)」「タバコ」とそれぞれ予想しますが、
勿論それらは違います。



このトランクには、彼らが空挺降下するための傘が入っているのです。



明けて翌日。
基地には出撃前の穏やかな1日が始まろうとしています。



現地の子供たちを集めて日本語を教える教室が開かれています。
先生は犬養ワン吉。
アップになったところを見ると軍服の襟には星二つ付いています。
1等兵のつもりなのか、それとも中尉なのか・・・。



笛を吹くなりいきなり黒板を指し示し「あ!」「あ!」
「あたま」「あたま」「あし」「あし」「あさひ」「あさひ」

 

しかし、原住民の子供たち、「最初から」といわれても意味がわからず、
教室は混乱しだし、てんでに鳴き声を上げるのみ。

 

そしてついには皆が勝手なことをしだして学級崩壊状態に・・・。

 

ワン吉の先生ぶりを見に来た猿野、同期が困っているのを見て
くまモンのハーモニカの伴奏で「アイウエオ」と即興の歌を。



「アイウエオ」を単純なメロディに乗せて繰り返すだけの歌。
この猿野のノリノリぶりをご覧ください。

 

リズムに乗せてカンガルーとお腹の子供が体を動かす様子は
明らかにディズニーのテイストです。
さらにいえば、この映画を見て「涙が出るほど感動した」という
手塚治虫が、のちに「ジャングル大帝」でこの動きをオマージュしています。

「ジャングル大帝」でオマージュしたのはこれだけではありません。

A-I-U-E-O Mambo


歌うのは弘田三枝子。
動物たちに言葉を教えるシーンのためについ先日死去した冨田勲が作曲しました。

   

何回か繰り返されるうちに全員がきちんと机に座り、
まじめに「あいうえお」を歌うように。
いやー、音楽の力って偉大ですね。

 

曲は声や編成を変えてなんどもなんども繰り返されます。
鹿が自分のつのに洗濯ロープをかけて洗濯物を乾かす様子。

 

皆で作る料理を煮込むいい匂いがテントから漂ってくる様子。

 

そしてガソリンの入ったドラム缶を積み込んだトラックが去っていく様子。
ここまで、猿野が歌い始めてからなんと6分間延々と歌は続きます。



猿野の絵を描いてやる雉川(だっけ)。
雉川は航空兵ですね。

そこに誰かが叫ぶ声が。

「おーい、郵便が来たぞ〜!」

猿野はポーズをとるのをやめて慌てて駆け出していききます。

 

「部隊長殿!航空便であります!」

海軍では階級に「殿」はつけない、「であります」ではなくできるだけ短く
「です」(おはようございますがおおす、お願いいたしますも願いますになる)
というものである、とわたしたちなどは聞かされているわけですが、
この言い方に海軍からチェックが入らなかったらしいところをみると、
それらは厳密なものではなく、雰囲気で使い分けがあったのでしょう。

チェックといえば、完成後に行われた海軍省のチェックは大変厳しく、
悲愴なシーンや軍機に触れると判断されるシーンなどに対して
多くがダメ出しをされてしまったという話があります。

 

内地からの待ちに待った航空便。
皆匂いを嗅いでから荷物を解いたりしております。

 
なんと、この兵隊の荷物にはアイスクリームのカップが入っていました。
皆が周りに集まってきて鼻をヒクヒクさせたり、思わず
唇をなめたり、唾を飲み込んだりします。

本当にアイスクリームのわけはないのですが・・・。

  

開けると中に仕込まれていた虫のおもちゃが飛び出して皆びっくり。

 

缶詰、マッチ、人形に下駄・・・。
雉川に送られてきた荷物には、故郷を後にした時にはまだ
むくげのヒナだった三羽の弟たち(妹かもしれませんが)が
すっかり大きくなった今の姿を伝える写真が添えられていました。

 

木陰に荷物を広げ、弟からの手紙を読む猿野。
猿野の荷物にも下駄、そしてココアの缶が見えます。

「ボクハ、ニイサンノオテガラヲ、マツテ イマス。
カイグンノ ニイサンヘ 三太」

 

体を起こして手紙を凝視していた猿野は、手紙から目を離すと
ゆっくりと面を上げてまた宙を見つめるのでした。





続く。

 


映画「桃太郎 海の神兵」〜海軍水兵たちの帰郷

2016-10-02 | 映画

昔、高校生くらいのとき何かでこの「桃太郎 海の神兵」のことを知りました。
おぼろげな記憶のなかでも、当時の製作者が渾身の作品を作り上げたが、
スタッフが戦地で押収したディズニーの「ファンタジア」を見て打ちひしがれ、

「こんな国に日本が勝てるわけがない」

と絶望したということだけは強烈な印象を残しています。
日本のアニメーションにとって原点ともいわれている作品で、なおかつ
戦時中の戦意高揚のために作られたものであるということで、
いつか是非見てみたいと思っていたのですが、夢が叶いました。
なんと、これがDVD化されていたのです。

関係者の間でもこの作品は、戦後GHQによって戦意喪失のため没収、
焼却され失われた「幻の傑作アニメ」と言い伝えられてきました。
ところが近年、松竹大船の倉庫でネガが発見されたのです。
もしGHQの手に渡っていたら確実にこの世から消えていたでしょうから、
もしかしたら映画会社の誰かが隠して検閲を免れたのかもしれません。

そして新たにわかったところによると、実際は記憶と少し違っていて、
スタッフは「ディズニーを見て絶望した」のではなく、
「押収したディズニーのアニメをを目標にこれを作った」のでした。


言われてみると、たとえば旗や桃太郎たちのハチマキが風に煽られる様子、
表情を曇らせたり何かを思いつめたりするときの表情の変化に、
今のアニメ風とはまったく違うディズニー風のテイストが感じられます。

もっとも、物資不足でフィルムもろくに手に入らなかった当時、
ディズニー作品とこれを比べるのは酷というものに違いありませんが、
少なくともその限られた条件の中で、日本の制作スタッフが 、
「ファンタジア」に近づこうとした努力はいたるところに窺えます。

ところでこのシリーズのタイトル画ですが、全てわたしのタッチで
この映画の登場人物を想像し、人間に描き変えてみました。
どうぞその辺りもご覧いただけると幸いです。



昭和19年12月完成。
この、和紙に毛筆で書いただけのタイトルにもなにか
切羽詰まった感が拭えません。
この1ヶ月くらい前からは本土空襲が激化していました。

物資不足も深刻で、国策映画といえども製作に必要な資材の調達がままならなくなり、
質の悪いザラ紙の動画用紙は利用が終わると消して新たな動画を描き、
セルも絵具を洗い落として再使用するなどの大変劣悪な制作環境 (wiki)


ということですので、セル画が残されている可能性はまずゼロです。

 

さすがは海軍省が作った国策映画。
音楽監督は御大古関裕而、そして作詞はサトウハチローです。

ただしわたしは古関が全てを作曲したというようには思われません。
古関裕而は確かに山田耕筰などのようにクラシックの管弦楽法や
対位法をみっちりやって前衛的なものが書ける作曲家ではありませんが、
それにしても、後ろに流れる音楽に耳をそばだててみると
理論的に奇妙に聞こえる展開が多く、時々稚拙ですらあります。

若いスタッフは次々と徴兵、徴用されて減っていった。
その上、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、
警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で(wiki)

という状況が音楽にも影響を及ぼしたのかもしれません。 
ちなみにオケに「大東亜交響楽団」というような名前がついていますが、
こういうオーケストラ名が付いていたらそれは「寄せ集め」を意味します。(今でも)



この映画は「空の神兵」でドキュメンタリー映画にされた陸軍の
落下傘部隊に対抗するように、海軍の落下傘部隊を扱っています。

この陸海の落下傘部隊の軋轢?については以前も触れましたが、
海軍がこの時期にわざわざ開戦初頭のメナド降下作戦を題材にしたのは、
陸軍落下傘部隊だけが世間にもてはやされたことと無関係ではないでしょう。

ちなみに取材が行われたとされるのは、蘭印作戦で海軍の落下傘部隊が
メナドに侵攻してからちょうど1年後といったころでした。



物語は海軍水兵の四人組、猿・犬・雉・熊が帰郷してくるところから始まります。
彼らは皆、富士山の裾野に広がる美しい村の出身です。



全く期待せず、というか半ば侮ってこれを見始めたわたしですが、
最初のシーンにおいてもうすでに「何か違う」感じがしてきました。
故郷に帰ってきた彼らが鳥の声と風の吹きわたる光景を、
まるで初めて見るものであるかのように目を細めながら眺め、
そして空気の香りを嗅ぐ様子がいきなり長回しされるのです。



唯一名前が明らかになっていた「猿野猿吉」。
(軍服の胸に”サルノ”と記されていた)
彼が鳥のさえずりをその姿を追いながら眺め、そして思わず目を細めて微笑む様子。
爽やかな5月の風にセーラー服の襟がなびく様子。

戦後の白黒アニメでこんな風に表情の変化を描いたものはなかった気がします。



この表情の意味を、画面を見ている者は知っています。
もしかしたらこれが彼らにとって最後の帰郷になるかもしれないことも。



「海軍の水兵さんが帰ってきたよー!」

その知らせに沸き立つ村の人々。
これは猿野の弟猿、「三太」。

 

四人は村の神社にまず参拝を行います。

「拝礼」「なおれ、着帽!」

声をかけるのは熊で、どうも彼が最も上官であるようです。
ちなみに冒頭画像は手前から猿、熊、犬、雉の順番。 




ここまで全員無言。
鳥居を出て各々の家に分かれていくとき、まるで「帽触れ」のように
ゆっくりと帽を振る猿野。



このシーンは、村の子供達が猿野の荷物を持って行ってしまうのを
見送っているのですが、それを見ながら意味なく異常にふらふらしていて、
そのあとセーラー服の裾を直したり、とにかくアニメーターの

「細かい動きを表現したい」

という意欲が溢れすぎてわけがわからないことになってしまっています。
「帽振れ」のシーンとはアニメーターも全く違うという感じ。


 

「にいちゃん、何乗るの?水上艦?潜水艦?」

三太は兄に海軍で何をやっているのか聞くのですが、猿野は

「ううん」「違うよ」「海軍の兵隊さんは軍艦に乗るだけじゃないよ」
「もっと考えてごらん」

とごまかすばかりで肝心の答えをしません。

「わかった、飛行機だ!」

これにもノーアンサー。

 

ワン吉の両親は畑を耕しています。

 

雉は喋らないので名前がわかりません(笑)
仮に雉川雉兵衛(きじかわきじのひょうえ)としておきましょう。

餌を欲しがる赤ん坊(というかヒナ)の弟たちに糧食をやるもさらにせがまれ、
雉一は困った末、親と代わる代わる餌を捕ってきて口に入れてやります。

 

この世界では雉は鳥の巣に住んでいるようですが、熊は人家に住んでいます。
弟が五月の節句人形を箱から出して飾る手伝いをする兄、
それを目を細めて見ながらお茶を入れる母親。

なんと、このシーンでは熊が母親のお茶を待つ間膝を叩きながら体を揺らす、
という意味不明の動きまで見せてくれます。



猿野は近所の子供達に海軍の話をせがまれ、
航空隊に入隊して初めて単独飛行を許されたときの話、
戦闘訓練の様子を話してやります。

 

が、その間に兄の軍帽を横から取った弟の猿太。
憧れの海軍のマークをほれぼれと見つめて自分がかぶってみます。

 

そして自分の姿を水に写してうっとりと手旗信号の真似をしたり
敬礼したり、兵隊さん歩きをしているうちに帽子を川に落としてしまい・・・・、



それを拾おうとして川に流されてしまうのでした。



「大変だ大変だ、三太くん川に落ちたよ!」

このツバメの動きも大変目まぐるしく、セル画を何枚も使っているのがわかります。



猿野の驚きのポーズ(笑)
このあとつい動揺して慌てる様子も細かく表現されます。

 

知らせを聞いて犬山ワン吉も駆けつけてきます。
ワン吉は空中で回転して走っている皆を飛び越すというスーパー運動神経ぶり。
ついでに猿野まで追い越しております。

 

崖の上から飛び込んで弟を助けに行く猿野。
このときに、まるで手を水上機のプロペラのようにブーンと回転し、
泳いでいる猿野の体が空中に浮かび上がるのが、
いかにもディズニーにヒントを得たアニメならではの表現です。

 

ワン吉は体に縄をもやい結びで(多分)結びつけ、勝手知ったる故郷の地形、
流れに先回りして木のうろからダイブ、滝の手前で水面の猿兄弟をすくい上げることに成功。




村の子供たちが彼らのしがみつくロープを皆で力を合わせて引き上げます。

 

リスははっきり言って錘になってるだけの足手まとい。

 

桃太郎を入れて5人の主人公には、今のアニメシステムでは考えられない
贅沢な「キャラクター専属制度」が取られました。
つまりひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従したのです。
そう言われてみれば各自のキャラの傾向が少しずつ違います。

アニメーターの癖や好みが、キャラクターに反映されているのでしょう。

 

さて、熊野熊衛門(これも便宜上勝手に命名、あだ名はくまモン)
の家では、長男のくまモンが
節句の飾り付けを行い、鯉のぼりを揚げます。
くまモンの家には三太が溺れたニュースは届かなかったようです。



しかしよく考えたら桃太郎に熊、いませんよね?

ここではくまモンは金太郎に投げ飛ばされている熊の置物を手に取り、

まいったまいった、と言いたげに無言でひっくりがえって見せます。
クマは桃太郎には出てこないが金太郎には登場する、だからこの出演となった、
と制作者が言い訳をしているかのようです。

ここで桃太郎の話に金太郎をフュージョンさせていることを説明しているのですが、
出演にあたってはきっと熊のプロダクションがゴリ押ししたのに違いありません。



くまモンの母、「クマ」(たぶん)が息子を見ながら微笑み、
体を倒した時に、居間の奥にかけられた東郷元帥の写真が一瞬映ります。

さすがに東郷元帥を動物に喩えることはしなかった模様。
この世界では将官や桃太郎など士官が人間で、兵士が動物ということになっています。

 

無事に弟を救出した猿野は、ワン吉ときっちりと敬礼をして別れ、
二人で熊雄の揚げた鯉のぼりを眺めます。

彼らはお互いに何かを語り合っていますが、画面にはセリフはありません。

弟の三太がまったく懲りずに猿野の軍帽で遊んでいる間、


 

猿野はたんぽぽが綿毛を飛ばしているのをうっとりとうち眺めます。

 

そして、その綿毛が空に舞うのをしばし見ていた猿野の耳だけに、
落下傘部隊が降下を行う合図に使われるブザーと号令が聞こえてきます。

ブーッ、ブーッ

「降下30分前!全員落下傘着け!」

ブーッ、ブーッ

「降下用意!」

「こうかあ〜〜!」

ブーーーーッ



ふたたび眼を上げたとき、猿野の表情は変わっていました。



これは、彼ら海軍空挺部隊が死を決して行う降下作戦前の、
最後の帰郷だったのです。


海軍挺進部隊の降下作戦は極秘のうちに訓練が進められ、
1942年の1月11日に行われました。
前にも書きましたが、これは陸軍より先に行われ成功したにもかかわらず、
陸軍空挺部隊が予定するパレンバン空挺作戦の企図秘匿のため、
その戦果はすぐには公表されず、1ヶ月以上後の大本営発表で
パレンバン空挺作戦の成功とほぼ同時に発表されることになりました。

しかも、陸軍の第一挺進団の戦果、被害の少なさ、攻略したものの重要性が
海軍のそれを上回ったため、陸軍ばかりが目立つ結果となってしまいます。


また、日本軍落下傘部隊を謳った軍歌として大ヒットした『空の神兵』は、
後に陸軍空挺部隊を描いた同名の映画『空の神兵』の主題歌になり、
「空挺といえば空の神兵」という風潮は海軍空挺隊に不満を与えました。


「国策映画」「戦意高揚」

このアニメについて回るこれらの言葉には、非難の意味合いが含まれます。
しかし、わたしは前作「桃太郎の海鷲」で真珠湾攻撃を描いたときと違い、
このアニメを昭和20年にわざわざ海軍が後援して製作するにあたっては
海軍の陸軍落下傘部隊に対する対抗心が製作のモチベーションであり、
実は海軍落下傘部隊を世に知らしめるのが目的ではなかったかと思われるのです。

事実、この作品によって海軍挺進部隊は国民にある程度は知られることになり、
海軍の目的はほぼ果たされることになります。

国策映画というより海軍の宣伝映画の面が大きかったように見えます。

続く

 


ブラスに酔った夜〜横須賀音楽隊 ふれあいコンサート2016

2016-10-01 | 音楽

毎日毎日蒸し暑い曇りがちな日が続いていたものの、
一雨ごとに気温が下がっていって、ついに

「今日から秋になった」

とはっきりと思った日、わたしは横須賀に赴きました。
コンサートがあることすら前の週まで知りませんでしたが、
チケットを手にいれた人から一枚譲っていただき、2月末の定演以来
半年ぶりで聴く横須賀音楽隊の演奏です。

前隊長樋口好雄二等海佐が8月29日付で東京音楽隊長になられ、
新隊長である植田哲生三等海佐を擁しての(多分)初めてのホールコンサート。

「ふれあいコンサート」という名前ははっきりいってイマイチですが、
ジャズやポップスという軽いナンバーで一般市民と音楽がふれあう、
そんな機会にしようという試みなんだと思います。(多分)



さて、コンサートの日、よこすか芸術劇場の下に車を入れるため、
異常に早く到着したわたし。
ホテルメルキュールの喫茶で早い食事を取ることにしました。



横須賀のホテルだけあって、カレーに力を入れていて、
「海軍カレー」「海自カレー」「ホテルオリジナルカレー」と、
なんと3種類のカレーがメニューにありました。

そこでためらいなく頼んだ海自カレー。
「ゆうぎりカレー」だそうです。
こだわりポイントは隠し味にコーヒーを使っていること。



海自カレーを注文したら、サラダと一緒に牛乳がきました(笑)

「牛乳もセットなんですか」

軽く驚いて確かめると、

「海軍カレーには牛乳が付き物でございます」

そ、そうだったのか。ってかこれ海自カレーなんだけど。



海軍カレーといえば、レストランでこんなものも売っておりました。
進ちゃんとはもちろん小泉進次郎議員のことですが、これ、もちろん
本人に許可とってるよね?



パッケージの隅にいるこの人は誰。
海軍カレーなのに進ちゃんもこの人も海自の制服なのはスルーで。


実はわたしが現地に着いたのは3時半。
念のためホテルの前にホールの様子を見に行ってみたのですが、

・・・・・いるよ。もう並んでる人が。

今にして思えばこの日は入った順番で席を選べたので、
こだわる人は2時間前から並んでいたんですね。(椅子とシート持参で)

わたしは東京音楽隊の時のように、席番号とチケットを引き換えるのだと
思っていたので、早くから並んでもねえ、とご飯を食べに行ったのですが、
5時に戻ってきてみたらもう人がてんこ盛りに並んでいるではないですか。

それでも1階席の後ろの方に席を確保することができたので、
パンフレットを椅子の上に置き、ロビーに出て時間をつぶしました。




ロビーには自衛隊の活動についてのパネルがちょっとだけあり、
入隊に関する資料が並べてありました。



そういえばこの日、呉に「しらせ」がいて行事があったという話を聞きましたっけ。
「しらせ」に女性隊員が乗り組んだのは今回が初めてだったそうです。
医官一人を含む10人が、第57次航海に参加していました。



さて、そんなパネルを見て席に帰ってきたら、なんと。
確保しておいたはずの席に見知らぬじじばば、いや老夫妻が座ってるのです。

「あの・・・この席、プログラムが置いてあったはずなんですが」

すると、二人ともこちらに目も合わせず、じじの方が即座に

「なかったよ!」

と吐いて捨てるように答えて、そっぽを向きました。
そのあまりのレスポンスの良さに、これは気づかなかったことにして
ちゃっかり席を獲ったんだ(つまり故意犯)と確信したわたしでした。


自衛隊のイベントでは、こういう不愉快なことがよくあるわけだけど、
その主原因が必ず団塊世代なのは何故なんだぜ。


しかし、そんな団塊に拘っている場合ではありません。
この時には多くの人たちがすでに席を取ってしまっていたので、
一目散に二階に上がって冒頭写真の席に座りました。

はっきりいってじじばばに取られた場所よりよっぽどいい席でした。
ざまーみろってんだ。


さて、いよいよコンサート開始です。

ヴィヴァ・ムジカ

Viva Musica!.Tokyo Kosei Wind Orchestra.
 

ブラバンの人だけが知っていて、また知らぬ人のないアルフレッド・リード作品。
「エル・カミーノ・レアル」という曲が特に有名です。
ちなみにロスアルトスには全く同じ名前の幹線道路があります。

「ブラスの愉しみ」ということで、ブラスらしい曲をオープニングに選んだのでしょう。

稲穂の波

 

ある意味最もブラスらしい曲として、コンクールの課題曲から一曲。
日本のブラスバンドはレベルが高く、こういう曲を中学からやってしまいます。

隊員の中には学生時代練習したことのある人もいたことでしょう。


バスクラリネットにスポットライトを

Spotlights on Bass Clarinet - Jan Hadermann


入隊して41年を横須賀音楽隊で過ごし、このコンサートを最後に
退官するバスクラリネット奏者(曹長)がソロを取りました。
ということは19歳から60歳までをここで過ごしたということなのですね。
どなたか存じあげませぬが、本当に長い間お疲れ様でございました。

バスクラというのは主役になることがなく、その楽器の特性上
ベースの音で音楽を支えるというのが身上ですが、 この曲では
題名の通り、バスクラにスポットライトが当てられます。

作者のヤン・ハーデルマンはベルギーの作曲家です。
てっきりバスクラ奏者だと思っていましたが、違いました。
依頼されたか友達がこの楽器を吹いていたのでしょう。

この曲を聴いて思いますが、やっぱりバスクラって
全編主役を張るのは無理がある楽器だなあ・・・なんて言っちゃいけないか。

タイム・トゥ・セイ・グッドバイ

Time to Say Goodbye 海上自衛隊 横須賀音楽隊『サマーフェスタ演奏会』

わたしが最初に三宅 由佳莉3曹の歌を生で聞いたのもこの曲でした。
サマーフェスタでの中川麻里子士長の映像がありましたので貼っておきます。

この映像でもドラマチックな高音を効かせてくれるまりちゃんですが、
この当日の演奏はホールの響きも効果的に作用し、もう圧倒的でした。

一つだけいうなら、レシタティーボ風の出だしの部分、
「くぁんど その そろ そにょ〜れぱろーれ〜」のところ、
もう少しゆっくりと、歌詞を聞かせてくれてもいいように思います。
ピアノ伴奏とかならともかく、ブラスなのでちょっと煩雑に聞こえるんですね。 


余談ですが、サラ・ブライトマンのレコーディングでは

「け・あい・あっちぇーぞ」

の「け」の音が低くて、いつも「いらっ」とするわたしです(笑)


ドラゴンクエストによるコンサートセレクション

 

曲は初めて聞きましたが、悲しいことに全てのパートに聞き覚えがありました。
ええ、一時寝食を忘れてはまったことがありまして・・。
もちろん独身の時です。念のため。

さて、ここまでが第1部で、第2部はブラスジャズ・ポップとタイトルがありました。

A列車で行こう(ビリー・ストレイホーン)

でまずビッグバンドの雰囲気にぐいぐいと引き込み・・・・、

黒いオルフェ(ルイス・ボンファ)

でサンバを聞かせてくれます。
この曲、大好きで、ブラジル語ではなく仏語で歌えたりします(〃'∇'〃)ゝ

原題の「マーニャ・ジ・カルナバル」(カーニバルの朝)というニュアンスと

その内容から、オリジナルのボサノバで演奏されることが多い曲です。
それを、サンバ!
フルートがメインのメロディを担当しました。

リカード・ボサノバ

Manhattan Jazz Quintet-Recado Bossa Nova


「ザ・ギフト」という英題があり、英語の歌詞もあります。
大御所マンハッタンジャズクインテットの演奏でどうぞ。

おお!と思ったのは、皆さんソロがお上手なこと。
自衛隊音楽隊も世代交代してこういう耳を持った人が主流になったのか、
と感無量でした。

ジョージア・オン・マイ・マインド

特にすげー!と唸ったのはこのソロをとったアルトサックスのカオルくん。
(上の名前を忘れ、下の名前だけを覚えているので)
自衛隊のジャズチューン、特にレコーディングされたものを聞くと、
これ絶対アドリブじゃないよね?書いてるよね?という風味のソロが多いのですが、
カオルのソロは(なぜ呼び捨てw)そういうのとは全く違いました。

音色はとってもセクシー、アドリブフレーズ縦横無尽かつテンションパリパリ。
目を閉じて聴いていると自衛隊の制服を着ている人が演奏していることが
不思議に感じられるくらいイケてました。

マイ・フェイバリット・シングス

「サウンド・オブ・ミュージック」から「わたしのお気に入り」。
三拍子の曲をイントロではバラード風に、それからスピード感のある
ジャズワルツでぐいぐいとドライブしていくアレンジで、
ここでの主役はなんといってもまりちゃんの歌です。

イントロを声楽科出身独特の本格的な発声の英語で歌い上げたとき
正直この後どうなるのかドキドキしましたが、その後は

「薔薇の雫子猫のヒゲ」

「ドアベルとソリの鈴とシュニッツェルとヌードル」

てな感じの直訳の歌詞と英語を速いテンポに乗せてくりかえし、
それにカオルを始めイケイケのソロ軍団が絡むという趣向。

このアレンジはおそらく彼女の声を念頭にされたものだと思うのですが、
ラストをナチュラル9thのハイトーンで、まるでホーンのように終わらせたのには、
思わずあっぱれ!と感嘆しました。


なんかこういう終わり方が聴きたかった、という感じ。

スペイン チック・コリア

東京音楽隊の「スペイン」アレンジに関しては変拍子で数える

「1、2、3、1、2、3、4、5」の部分を

「1、2、3、4、1、2、3、4」

と普通にしてしまってつまらなくしてしまっていることと、
リフのメロディがオリジナルと違うことを
このブログで批評したという過去がございます。

海上自衛隊東京音楽隊/スペイン


リズムの件は「ドリルを行うから」という理由を聞いたのですが、
それではメロディが違うことには意味があるのか?と
しつこく突っ込んで嫌われた(にちがいない)わたしです。

この日もなんとなく覚悟(笑)していたのですが、なんと、
横須賀音楽隊、全く別のスコアを使っておりました。
考えたら別の組織なのだから当たり前かもしれませんが。

「スペイン」Spain 海上自衛隊 横須賀音楽隊『サマーフェスタ演奏会』



オリジナルにもある「アランフェス協奏曲」の部分をトランペットの
「たけちよ」というファーストネームの奏者が(こちらも苗字を忘れた)
原曲通りに吹き、リズムももちろんメロディもオリジナル通り。

リフ部分にはなぞの対旋律を独自にぶち込むという意欲的なアレンジです。


このユーチューブでは野外録音なので音質はイマイチですが、
カオルくんとタケチヨくんのソロが聴けます。

指揮しているのは転勤間近の前隊長樋口2佐ですが、樋口隊長は
この20日後に東京音楽隊の隊長になられたので、
東京音楽隊で「スペイン」をするときに例の部分をどうするのか、
わたしとしては(というかわたしだけが)大変気になるところです。


そして最後にまりちゃんがアンコールとしてJポップの曲
(わたしの知らない曲)を歌ってくれました。

わたしの隣にいた人が直接お話ししたことがあるらしく、
彼女が自分自身で、

「こういう曲(ポップス系?)が苦手なんです」

と言っていたと話をしていたのですが、この日聴く限り悪くなく、
いやそれどころか大変よろしかったと存じます。
何より場数を踏んで、随分歌手としてバランスが取れてきたと思えました。


立ち居振る舞いなどのステージングも含め、短期間に洗練されてきた、
というか、単純
に言うとさらにうまくなったなあ、という印象です。


さて、そんなわけで存分に楽しんだあっという間の2時間。

自衛隊音楽隊のコンサートに行くと、「ふれあい」という名前の通り敷居が低く

親しみやすい構成で一般の人にも文句なく楽しめる内容でありながら、
ブラスバンドの魅力を遺憾なく発揮しているといつも思います。

内外に大変実力を評価されている横須賀音楽隊のブラスの音色に酔い、
これからもその演奏に注目し、応援していきたいと思ったひとときでした。