阪神基地隊は呉地方隊隷下で、主に大阪湾や播磨灘を中心に警戒を行うことを目的に
1954年、名称を「大阪基地隊」として発足した基地隊です。
わたしは神戸に生まれ長年阪神地域を地元としていながら、
この辺に自衛隊の基地があることをつい最近まで知りませんでした。
昔から酒造で栄えた灘五郷の海岸側の埋め立て地には工場か
せいぜい酒造会社しかなく、自衛隊?自衛隊なんてあったっけ?程度の、
阪神地域に住むほとんどの人々と同じような知識しかなかったのです。
この阪神基地隊にある第42掃海隊の後援をしている方からのお誘いで
隊司令の講演と艦艇見学、懇親会のため訪れたのが最初の訪問ですが、
2回目となる今回は恒例行事である年末の餅つきが名物?の「年末行事」に、
TOと二人でご招待いただき、参加することとなりました。
基地隊では今日日曜日、前日の招待による年末行事に続けて一般に開かれた
ウィンターフェスタが開催されたそうで、写真のテントはそのためのものです。
で店の他にもライブステージもあり、なかなか楽しそうだったんですね。
年末行事が行われた体育館と食堂、売店などがある建物。
呉、横須賀、佐世保、舞鶴と旧鎮守府系地方総監部しか
知らなかったわたしとしては、失礼ながら最初、
阪神基地隊の規模のあまりの小ささに驚いたものです。
しかし、あの阪神大震災が発災した時、阪神地区に所在する海上自衛隊の
唯一の部隊である阪神基地隊の存在は実はとても大きかったといわれています。
地震発生の17分後、基地隊司令は呉地方総監に被害情報をすぐさま報告し、
掃海部隊を姫路港に急派し、陸上自衛隊の派遣後の神戸進出に備え、
水中処分隊に神戸港岸壁付近の水中状況を調査させました。
これは来援部隊の為の岸壁を確保を目的としていました。
震災によって埋立地にあった当基地隊自身も液状化現象の被害を受けていましたが、
海上自衛隊艦艇部隊、基地隊等から約260名の隊員を派遣し、
同連隊長の指揮下で人命救助活動を行い、その結果8名の被災者を救助するなど
初動から一貫して現地で大きな活動の成果をあげることに成功しています。
ここには阪神基地隊の復旧の過程が報じられています。
わたしも当時関西在住で被災後は毎日のようにニュースに接しましたが、
しかし当時のニュースでは自衛隊の活動はあまり報じられなかったと記憶します。
当時の貝原俊民知事の”派遣要請が遅れたのは自衛隊のせい”発言や、
震災復興記念館に自衛隊の災害派遣についての写真や記述が全くないなど、
実際の被災者の自衛隊への感謝の大きさと比して、あまりにも
国を含め自治体の扱いが冷淡なのには今でも割り切れない思いが残りますが、
こういったイベントのありようを見ると、地元における阪神基地隊の知名度が
徐々に高くなっている様子が伺い知れます。
そして、社会の自衛隊に対する見方が特に東日本大震災のあとから
大きく転換したこととそれは、決して無関係ではないだろうと思うのです。
懇親会場の垂れ幕には「年末行事」とあります。
この時期に行われるのなら実質忘年会なのではないかという気もしますが、
まだ年を忘れるのには早すぎるということでこのタイトルでしょうか。
阪神基地隊の特徴は、小ぢんまりしていて入り口に入ると艦艇が全て把握できることです。
隷下の第42掃海隊の掃海艇、「なおしま」と「つのしま」。
そしてこの日のために?護衛艦「しまかぜ」の姿も。
今日は佐世保からわざわざお越しいただいております。
わざわざといえば、先日の練習艦隊帰国行事の時に
横須賀にいた「あたご」さんですが、なぜわざわざ舞鶴から?
と思っていたら、先日横須賀に行く高速道路の上から
JMU磯子の岸壁にいるのを発見しました。
あのあとすぐドックに入ったと思われます。
わたしたちは0700の伊丹行きで大阪に入り、レンタカーを借りました。
かつて住んでいた頃を懐かしく思い出しながら阪神高速を運転すること30分少し。
基地隊に到着した時には9時30分くらいでした。
11時半の懇親会開始までまだ時間はたっぷりあるので艦艇を見学することにし、
まずは阪神基地隊の所属である掃海艇に乗り込みます。
乗艇するなりゴムボートの日の丸ペイントなど超細部に注目するわたし。
たまたま乗艇した時、地本開催のツァーと思しき若い人たち団体の
艇内ツァーが始まったので、わたしたちはくっついて行きました。
わたしはなんども掃海艇にはお邪魔しているので、ほとんどのことは
耳新しいことではありませんでしたが、この時説明の方がPAP-104について
「これはフランス製です。
フランス海軍ではこれを使い捨てにしてますが、
自衛隊では高いので大事に整備して使ってます」
とおっしゃっていたことがその後二人の間で話題になりました。
「使い捨てってどゆこと?」
「国が買い支えるため、それか企業の技術を維持するために、かな」
「日本は輸入してるんだから使い捨てるなんてできないよね」
そもそも輸入でなくとも、掃海具使い捨てなんてことはありえません。
「もったいない」精神を尊ぶ日本の、しかもお金のない自衛隊が()
そんなことをするわけないじゃないですか。
現在の新型掃海艇は国産のS-10(Sは掃海のS)を搭載していますが、
これを使い捨てにするなどということは同じ理由で決して起こらないでしょう。
ただし、説明の方に聞いたところによると、掃海具が紛失するということはあるそうで、
「ラインが切れて行方不明になり、後日どこかに打ち上げられていた、
ということならあったという話です」
とのことでした。
紐で繋がってるだけなのでそれが切れたらもうおしまいなんですね。
それにしても掃海具、10キロくらいあるのに沈没せず打ち上げられてしまうのか・・・。
説明を受けている間、艇内の通路を撮っておきました。
他の掃海艇と同じ作りであるならば、この階には艇長室、
食堂、調理場などもあるはずです。
案内ツァーについていくと、前甲板にやってきました。
緑のネットはおそらく一般公開用に臨時でつけたものでしょう。
今日は招待客の大人だけですが、明日には一般公開となり
小さな子供を連れてくる親などもいるはずだからです。
ブリッジの上を二階建て上下車線で走っているのは阪神高速湾岸線。
阪神淡路大震災の時にはこの一部が落橋したというのが未だに信じられません。
ところでこの写真では確認しにくいですが、この日阪神高速神戸線を
西に向かって走っていて、六甲山がうっすらと白いのにわたしたちは驚きました。
住んでいた頃にはほとんど見たことのない景色だったからです。
あとで聞けば、この日六甲山は初冠雪があったということでした。
「なおしま」のマストには隊司令旗が翻っていました。
隊司令旗(乙)は編成上二等海佐以下をもって充てることとされている
隊司令の乗り組んでいる自衛艦に掲揚されることになっています。
この場合は第42掃海隊司令ということになりますが、隊司令がこの時
本当に艇内にいたかどうかは謎です。
機雷掃討に使うバルカン銃の説明中。
地本のツァーで来た青少年たちには興味津々の物件ではないかと思うのですが、
何か質問は、といわれても誰も反応なし。
ここに限らず、掃海具の説明の後も、艦橋でも誰一人質問しません。
皆それなりに自衛隊に興味があるから来ていると思うんですが、
恥ずかしいのかそれとも何を聞いたらいいのかわからないのか・・。
「なおしま」というと今年のお正月にいった瀬戸内海の「直島」を思い出します。
実際に「なおしま」の名前はそこから来ているのですが、これはまた、長閑で風光明媚な
島のイメージとはちょい違う、ブラックデスメタル的な艇のトレードマークです。
NはなおしまのNだと思うけど、なぜローズ?
綺麗な薔薇には棘がある的な?
ちなみにこのパネルは諸元表を隠すためのカバーでした。
こちらも一層デスメタル風、おどろおどろしい系のロゴです。
ちなみに「なおしま」が進水したのは1999年10月ということなので、
彼女はうちの息子と全く同じ歳ということになります。
MKは18歳で、人生これからというところにいますが、「なおしま」は
他の「すがしま」型掃海艇と同じく艇体が木造でできており、
20年目をめどに順次退役していくはずなので、平成20年度には
その役目を次々と生まれるFRP素材の掃海艇に譲って引退する予定です。
赤と青、2色のカバーのかけられた椅子を見ながら、見学者である高校生らしき男の子が
「2佐以下(の椅子の色)は皆赤と青なのかな」
とつぶやいていました。
彼はどうも、この椅子に艇長も座るのだと勘違いしたようです。
この椅子は2佐職である掃海隊司令の座るものであり、
掃海艇艇長である3佐あるいは1尉は青一色のカバーの椅子です。
(ということを知っていても、おせっかいと思い黙っているわたし。
まあ、興味があれば調べればすぐにわかることだから)
ジャイロ越しに六甲山と高速道路陸橋を臨む。
窓際に鵜戸神社のお札が立てかけてありますが、これはおそらく
毎年日向灘で行われる機雷掃海訓練で日南にいった時、隊員が
安全祈願にいってもらって来たものだと推察されます。
テーブルの上にはカポックとテッパチ(正式名称知りません)
が見学者に見せるために並べてありました。
改めてカポックを見るとダウンベストのようですが、衝撃吸収が目的なので、
首の周り、そして肩周りを特に保護する作りになっています。
「あんなところにラッパがある!」
天井の梁に二本ラッパがきちんと並んでかかっているのに、
掃海艇初体験のTOにいわれて初めて気がつきました。
今まで乗った掃海艇のキャビンで見た覚えのない国旗等収納ラックです。
左から自衛艦旗、指揮官旗、国旗の順で
上に「新」、下に「古」が収められています。
新しいのと古いのを二枚用意するというのはどういう理由でしょうか。
やっぱり「普段用」「よそ行き」「雨用」とか分けているのかな。
ツァーはまだまだ続きそうでしたが、後ろの「しまかぜ」を見ることにして、
わたしたちは「なおしま」を降りました。
阪神基地隊シリーズ、後半に続きます。