らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

冷え込む夜は「霜消し」

2023-12-20 | 雑学

今週に入って急に寒くなりました。
先週の金曜日、土曜日の大阪は20度を超えて、10月下旬から11月上旬の気温でしたが、今週月曜日からは最高気温が9度以下に、最低気温は1度~3度で推移しており、一気に1月下旬の寒さとなって本格的な冬の到来となりました。
週替わりで10度も気温が下がるこの寒さは、年寄りには堪えます。

この寒さによって、畑のあぜ道や作物の葉っぱには真っ白に霜が降りています。
霜が降りる冷え込む夜は「霜消し」したいですが、その前に、霜の発生メカニズムについて調べてみました。

「霜の発生メカニズム」
霜は、空気中の水蒸気が車や草などの表面に氷の結晶となって付着する現象です。
一般に晴れの天気で、風が弱く、気温が 3~4℃まで下がると霜が降りやすくなります。
晴れて雲がなく風が弱いという条件が揃うと「放射冷却」が起こります。
放射冷却が起きると、地面から 1.5mの高さで観測している気温が4℃くらいでも、地面付近では0℃以下となって霜が降りることになります。

「放射冷却」とは、物体が熱を出して(放射)冷える(冷却)ことを言います。
夜になって太陽からの熱をもらえなくなった地面や車、草などの物体が放射冷却によって冷えていくため、物体の近くにある空気も冷やされていきます。
近くの空気が十分に冷えて 0℃以下になると、空気中の水蒸気が細かい氷の結晶となって物体の表面にくっつきます。
これが霜です。
このように、霜は、空気中の水蒸気が凍った氷の結晶となって地面や植物の葉などの表面にくっついたものです。



「冷え込む夜は霜消し」
この霜を消す言葉に「霜消し」がありますが、お聞きになったことがありますか?
「霜消し」とは、広辞苑によれば、《霜夜の寒さを消す意》酒を飲むこと。と説明しています。
そうなんです。お湯などをかけて霜を消すのではなく、酒を飲んで体を温めることを言う表現なのです。

暖房設備のなかった昔は、霜が降りるほどの、朝晩の冷え込みは骨身にこたえました。
そこで、寒さをしのぐために酒を飲んだようです。
ここから酒を飲むことを「霜消し」というようになりました。

お酒好きの方には素敵な言葉ですね。
例えば、今日は冷え込んだから「霜消しに行ってくる」などと言えば、何となく上品に聞こえませんか。
寒い夜には、呑兵衛にはぴったりする言葉のような気がします。


泥棒除けの「逆さ札」

2023-12-14 | 雑学

一昨日の12月12日は盗賊の首長・石川五右衛門が京都三条の河原で釜茹の処刑にされた日です。
関西の一部の地域では五右衛門の命日に因んで12月12日と書いた札を逆さに掲げて泥棒除けにする風習があります。

「石川五右衛門」
石川五右衛門は安土桃山時代(1558年?-1594年)に出没した大盗賊で、豊臣秀吉所持の千鳥の香炉を盗もうとして捕らえられ、文禄3年(1594年)に釜煎りの刑に処された記録があります。
出生地は伊賀国(三重県)、河内国(大阪府)、浜松(静岡県)など様々な説がありますが、その内の一つに丹後地方があります。
丹後に残る記録では、丹後の守護大名・一色氏の家老石川秀門の次男で、後に盗賊になった五郎左衛門を石川五右衛門としています。

「泥棒除けの逆さ札」
京都や奈良県、大阪府の一部などでは、玄関や軒下などの出入り口に「十二月十二日」と書いた札を逆さに貼っておくと泥棒が入って来ないといわれています。
その理由は、昔、泥棒は天井裏から忍び入ったため、お札を逆さに掲げて、泥棒からは12月12日と読めるようにし、泥棒に対して「あの天下の大泥棒・石川五右衛門も最後は捕まって釜茹でにされたのだ。おまえも同じような目に遭うぞ」と脅して、泥棒を戒めるためだそうです。

この風習は京都だけでなく、大阪、奈良と広範囲に見られるということです。
しかし、その日付けは大阪府の松原市では「十二月二十五日」、大阪南部では「十二月二十三日」というように地域によって異なりますが、家の出入り口に逆さまに張ることは共通しています。

・玄関に張ったおまじない札です。


この風習は江戸時代に庶民の間に広まったといわれています。
昔は天井近くに貼られていましたが、現在は家の事情で、玄関ドアや窓付近に貼る家が増えてきているということです。
また、お札は、12月12日の12時に12歳になる子どもに書かせると効果が絶大だとも言い、更に、小さいお札を財布に入れておくと、財布をすられないともいわれています。

この逆さ札は飽くまでおまじないです。
12月はお金の出入りが激しい時期です。
泥棒除けの効果の有無は別にして、忘年会の話題に如何でしょうか?


英雄アキレスとアキレス腱

2023-12-08 | 雑学

個人情報を流出させたり、クレジットカードの不正利用をする悪質なプログラムに「トロイの木馬」があります。
感染すると、顧客情報や口座番号などの重要情報を盗まれたり、新たな攻撃の踏み台にされたりと、さまざまな被害に遭います。
パソコンに侵入する「トロイの木馬」については詳しくありませんが、このトロイの木馬はトロイ戦争の時にギリシャ軍の勝利の手段として登場したものです。
更に、この戦争では英雄アキレスも活躍しています。
アキレスと言えば、「強者が持つ急所」として比喩的に表現されますが、今日はその由来などをご紹介します。

「トロイ戦争」
「トロイア(トロイ)戦争」は古代ギリシャの英雄たちがトロイアへ遠征し攻略した戦争です。
この戦争は、ヘラ、アテネ、アフロディテという3人の美しい女神が「世界で一番美しい女神」を競って争いとなった戦争です。
審判役となったトロイアの王子パリスはアフロディテを選んだのですが、その際、女神たちは自分を選んでもらおうとそっと密約を交わしたのです。
・ヘラは支配権と富を、
・アテネは戦いの勝利と知恵を、
・アフロディテは世界一美しい女性を約束しました。
その結果、審判役の王子はアフロディテを選び、約束どおりギリシャの都市国家スパルタの美しい王妃ヘレネを与えられました。

このヘレネ奪還を目ざしてギリシャ軍とトロイ軍が始めたのが「トロイ戦争」の始まりです。
彼女の夫メネラオスの兄アガメムノンを総帥としたアキレウス、オデュッセウスらの遠征軍が出発し、トロイア側はヘクトルほかの英雄がこれを迎え撃ってギリシャ軍とトロイ軍の戦争が始まりました。
このトロイ戦争は10年間決着がつかず多くの英雄の血が流されましたが,ついに人間を隠し入れた木馬作戦が効を奏し,トロイアは落城,男は殺され女は奴隷にされたという結末でした。

「英雄アキレス」
この戦争で活躍した武将の一人にアキレウス(アキレス)がいます。
アキレウスは武力に秀でていたほか、足が速かったとされており、1人で戦況を変えるほどの圧倒的な力を持ち、トロイア戦争では敵の武将を数多く討ち取りました。
ギリシャ軍でもっとも強い英雄とされ、ほかの武将たちがアキレウスの後継者になりたいと考えるほどでした。
しかしトロイア戦争の終盤には、ギリシャ連合軍の総大将アガメムノーンから理不尽な仕打ちを受けて激怒し、戦闘参加を拒否します。
その後、アガメムノーンから謝罪の言葉と財宝の提供を受けますが、アキレウスは許しません。
自分の態度を貫き通す頑固な一面を持っていたようです。
トロイア戦争の終盤に、アキレウスは唯一の弱点である足のかかとに矢を受けて亡くなってしまいます。

・1975年に作られた伝説上の木馬(トロイの木馬)の複製です。
 この木馬はギリシャ神話に登場するイダ山(1774m)の松ノ木で作られているそうです。
 トロイ戦争でギリシャ軍の兵士がこの中に潜み、城内に入り込んでトロイ軍を陥落させました。


「トロイの木馬」
トロイ戦争で両者は譲らず10年もの歳月が流れました。
ギリシャ軍は最後の作戦として巨大な木馬を作り、その中に50人の兵士を隠れさせたのです。
そして、ギリシャ軍は負けたふりをして油断をさせ、巧みに木馬をトロイ城内に引き入れさせたのです。
その夜、皆が寝静まった頃、木馬内の兵士が一斉に攻め入りトロイ城は落城しました。
こうしてトロイ戦争はギリシャ軍の勝利で終わったと伝えられています。

「アキレス腱が弱点の由来」
ところで、いきなりスポーツを始めたり、段差を飛び降りたりするとアキレス腱を断裂したり炎症を起こしたりします。
特に現役をリタイアして急に運動などをするとアキレス腱の断裂を起こしやすいようです。
ストレッチを十分に行って始めるよう心がけてください。

さて、そのアキレス腱と言えば、比喩的に「強者が持つ急所」を指す言葉として用いられることが多いですが、その由来が、前記した「トロイ戦争」の英雄「アキレウス(アキレス)」なのです。

アキレスは不死身を誇っていた勇者ですが、唯一の弱点は彼のかかと部分の腱だったそうです。
これは彼の母親テティスが息子を不死身にするため、冥府を流れる川に赤ん坊であったアキレスを浸しましたが、かかと部分を握っていたためそこだけ水に触れず唯一の弱点となったということです。

不死身を誇っていたアキレスは戦闘中にその弱点である踵を射られて死にましたが、この逸話から「強者の唯一の致命的な弱点」の例えとして「アキレス腱」が用いられるようになったということです。


腑に落ちない

2023-12-02 | 雑学

以前NHKの番組に「ためしてガッテン」がありました。
私の好きな番組だったので毎週観ていたのですが、最近のニュースを見ているとガッテンがいかないことがよくあります。
この「ガッテンがいかない」ことを「腑に落ちない」とも言います。
今日はこの言葉について調べました。

「腑に落ちない」
最近の「腑に落ちない」出来事と言えば、スケートの羽生結弦選手が105日で離婚したことです。
離婚の理由について、「私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした」とし、「これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました」と話していました。
普通は、「何かと制限はあるかもしれないが、それでもその方が幸せだ」と思ってするのが結婚ではないのでしょうか。
相手の方も、有名人と結婚すればマスコミなどの取材を受けることなどは当然あり得ることであり、そのことを承知の上で、そしてその覚悟をしての結婚だったのではないでしょうか。
私は勿論ですが、このニュースを聞いた多くの人達も全く「腑に落ちなかった」のではないでしょうか。

「腑に落ちないの腑とは」
さて、羽生選手の件はこれくらいにして、「腑に落ちない」とは、「合点がいかない」とか「納得できない」時に使う言葉ですが、でも、なぜ、「腑」なのでしょうか?
調べてみると、「腑」とは【お腹の臓腑・はらわた】を指す言葉で、「五臓六腑」の「腑」のことです。
「腑」は「考え」や「心が宿るところ」と考えられ、「心」「心の底」という意味があります。
そこから、「腑に落ちない」とは、「人の意見などが心に入って来ない、所謂「納得できない」となったようです。



「五臓六腑とは」
では五臓六腑とはどの臓器なのでしょうか?
五臓六腑とは東洋医学の考え方で、
・五臓(心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓)と
・六腑(胃・小腸・大腸・膀胱・胆嚢・三焦)を意味しています。
そして、三焦は、上中下の三つに分かれ、上焦は横隔膜より上部、中焦は上腹部、下焦はへそより下部にあり、呼吸・消化・排泄をつかさどる器官だそうです。

最近のニュースを聞いていると腑に落ちないことだらけです。
学校のいじめ問題にしても然り、旧統一教会の問題にしてもそうです。
更に、宝塚歌劇団員の自殺問題や政治のニュースなど、数々の腑に落ちないことが再三にわたって報道されています。
各々の業界、そしてその世界の先生方と我々庶民の考え方は根本的に違うようですね。


間違いやすい言葉「忸怩たる思い」

2023-11-30 | 雑学

今日は令和4年度の文化庁の「国語に関する世論調査」からご紹介します。
この調査の中で言葉の意味についての質問がありますが、多くの方が本来の意味を誤解している言葉がありました。
その質問と調査結果は以下の通りです。

「世論調査結果」
この調査で「忸怩(じくじ)たる思い」と例示して、本来の意味を尋ねていました。  
 (質問)
 「忸怩たる思い」の言葉はどちらの意味だと思うか ?

この質問に対して、調査結果は下記のとおりでした。
(ア)残念で、もどかしい思い    52.6 %
(イ)恥じ入るような思い      33.5 %(本来の意味)
(ア)と(イ)の両方          8.3 %
(ア)、(イ)とは、全く別の意味    1.9 %
 無回答                3.7 %

「年齢別回答結果」
調査の結果、30 代以上では、辞書等で本来の意味とされているものとは異なる(ア)の「残念で、もどかしい思い」を選択した人の割合が、本来の意味とされている(イ)の「恥じ入るような思い」を大きく上回っていました。
中でも、50 代では(ア)を選択した人の割合と(イ)を選択した人との割合に 30 ポイント以上の差がありました。
一方、16~19 歳では、本来の意味とされている(イ)の「恥じ入るような思い」の方が高くなっていました。
年齢別の結果からは、16〜19歳の半数近い人が正解でしたが、反対に50代では正答率が28.4%といちばん低い結果でした。

・年代別の回答グラフです。「赤線」が本来の意味です。


「忸怩たる思いの意味」
「忸怩(じくじ)」とは、自分の至らなさや失敗について、深く恥じ入る気持ちのことです。
「忸怩」の「忸」は、恥じる、恥ずかしく思うと言う意味で、「怩」は、訓読みでは「は」じるであり、その意味は、恥じる、引け目を感じて心がいじけるの意味です。
広辞苑にも、「忸怩」は恥じ入る様。「内心ーたるものがある」と説明しています。

このように、「忸怩たる思い」とは、「自ら恥じ入る気持ちに駆られること」、「自分の行いについて、心のうちで恥じ入るさま」を言い表す言葉です。

「誤用の原因」
ところが、この言葉は誤用して使われることが多いのだそうです。
その理由は、「忸怩(じくじ)たる思い」が、「ぐじぐじとする、ぐじぐじと悩む」などの音の響きと似ていることからか、この言葉の意味を「ぐじぐじ悩む」と誤用しているケースが多くみられると言うことです。

忸怩の意味に「悔しい」とか「腹が立つ」「憤りを感じる」「思い悩む」などの感情は含まれません。
ましてや、「はっきりしない、うじうじする」という意味は含まれず、相手に対して使う言葉ではありません。
他にも「腹立たしい思い」「ふんまんやるかたない思い」「残念」などの感情を表現する意味での使用はいずれも誤用となります。
「忸怩」は自分の行いについて、「心の内で恥じ入るさま」の意味です。

この言葉は日常的には用いることはないと思いますが、改まった場や文書などで使うときに「悩む」「腹立たしい」と誤用してしまうと、かえって恥ずかしい思いをしてしまうことになりかねません。
使用する時には十分注意したいですね。


古代中国の忠臣「予譲」

2023-11-26 | 雑学

夏が終わったと思ったら、秋がくる前に一足飛びに冬がやってきたような寒い晩秋となっています。
1週間先は師走です。
いよいよ年末商戦が始まり、街中は年の瀬一色に染まって次第にせわしくなっていきます。

12月と言えば今から320年前の元禄15年12月14日にはご存じの赤穂事件がありました。
主君浅野内匠頭の仇討を果たすため、赤穂藩の家臣47名が吉良邸に討ち入り、見事吉良上野介を討ち取った出来事です。
この事件は忠臣蔵として日本では人々の心を捉えていますが、お隣の中国にも忠義者がいたようです。
今日は古代中国の忠臣故事について調べました。

「士は己を知る者の為に死す」
中国の歴史家、司馬遷(中国最初の総合的な歴史書である「史記」の編者)によって編纂された『史記』にある有名な言葉に「士は己を知る者の為に死す(士爲知己者死)」という一節があります。
意味は「立派な男子であれば、自分の真価をよく知ってくれて、認めてくれる人のためなら、死んでもいいと思うものだ」です。

「故事」
この言葉については「史記・刺客伝」に次のような故事があります。
それによれば、この言葉は中国の春秋時代の晋の国の予譲(よじょう)が語ったものです。

予譲は二人の君主に使えましたが、いずれも十分な待遇を得られず、どこに身を置こうかと迷っていました。
そんな矢先、晋の智伯(ちはく=殷王族の末裔)という王に迎えられ、信頼されて手厚い待遇を受けました。
ところが智伯は「晋陽の戦い」で敵方の趙襄子(ちょうじょうし)に敗れ、殺されてしまいました。

何とか生き延びた予譲は智伯から受けた恩を返すため、仇を討つことを決意し、労働者に化けて趙襄子の敷地に入り込みました。
しかし、バレて捕まってしまったのです。
趙襄子に「なぜ私を殺そうと思った?」と聞かれ、「智伯さまの仇を討つためだ」と答えました。
趙襄子はその恩義に感動し予譲を逃がしました。

しかし、彼の仇討の決意は揺るぐことはなく、今度は、自分の顔を漆でぐちゃぐちゃに潰して、炭を飲んで声を潰し、別人の姿になりました。
その変貌ぶりは予譲の妻も気づかない程でした。

そして、再び趙襄子を討とうとしましたが、またもバレて捕まってしまいました。
趙襄子は一度逃がしたにもかかわらず再度襲ってきたことを「なぜそうまでして智伯に仕え、仇を討とうとするのだ」と訊ねました。

これに対して予譲は、最後に死ぬ前にせめて趙襄子の上着を切って気持ちだけでも仇討ちをさせてくれと懇願しました。
この願いは聞き入れられ、予譲は趙襄子の上着を切り刻んだのち、その刀で自分を刺して自害したという事です。

もし、智伯がこの話を聞いたならば、これほど嬉しいことはないでしょうね。
正に、古代中国における忠臣物語です。
現在の中国では考えられませんが、古い時代には日本人と同じような忠義の心を持った臣下がいたのですね。


床屋の由来

2023-11-24 | 雑学

現役時代は1か月弱で散髪していましたが、最近は次回までの日数が伸びて40日前後になっています。
年と共に頭髪が薄くなっていることから当然と言えば当然なのかも知れません。

ところで、散髪店は一般的には床屋とか理容店、散髪屋、理容院、理容室などいろいろな呼ばれ方がありますが、私は「床屋」という名前に馴染んでいることから、いつも「床屋に行ってくる」と言っています。
でも、散髪店が何故「床屋」と呼ばれているのでしょうか?
今日はその由来について調べました。

「床屋の由来」
床屋は鎌倉時代に髪結所に床の間があったことから人々が「床の間のある店」と呼び、そこから「床場」に転化し、更に「床屋」になったようです。
その謂れは、次のように言われています。
鎌倉時代の中期、亀山天皇(1259年~1274年)の頃に、藤原晴基という武士が天皇の宝物係として仕えていたのですが、所管の宝物を紛失した責任を取って職を辞し、浪人となりました。
晴基は、三男・采女亮(うねめのすけ)と共に紛失した宝を探索するために諸国行脚し、下関に下りました。
刀を探し続ける一方で、髪結いで高い収入を上げていた新羅人から親子でその技術を学び、生計のために亀山八幡宮裏の中之町に、往来の武士や金持ちを客とする我が国初の髪結所を開きました。
この店の奥にあった床の間には「亀山天皇が祀られた祭壇」と「藤原家の先祖を祭る掛け軸」があったことから、下関の人々はいつとはなしに「床の間のある店」と呼び、そこから「床場」に、さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになったとされています。
その後、「床屋」は下関から全国へ広がっていきました。

・下関の「床屋」発祥の碑です。


「法律上の呼び方」
散髪屋を「床屋」と呼ぶ由来は以上ですが、この「床屋」という呼称は法律には一言もありません。
法律では何と呼ぶのでしょうか?

「理容師法」という法律によれば、「理容所」という呼称で規定されています。
条文は以下の通りです。
第一条 この法律は、理容師の資格を定めるとともに、理容の業務が適正に行われるように規律し、もつて公衆衛生の向上に資することを目的とする。
第一条の二 この法律で理容とは、頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えることをいう。
    ② この法律で理容師とは、理容を業とする者をいう。
    ③ この法律で、理容所とは、理容の業を行うために設けられた施設をいう。
第二条 理容師試験に合格した者は、厚生労働大臣の免許を受けて理容師になることができる。
(以下略)

以上のように、法律上は、理容師が理容行為を行う施設が「理容所」であると書かれおり、床屋とか散髪屋、メンズサロン、理容室、理容院などの名称は一言も書かれていません。
このように法律上では「理容所」が正しい呼び方ですが、でも矢張り馴染みがあるのは「床屋」ですね。
私はこの呼称が一番好きです。


納豆の食べ方

2023-11-22 | 雑学

皆さん、「納豆」はお好きですか?
2013年に「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されて、世界的に和食への関心が高まるにつれて、納豆は健康的な食材として外国人の間でも食べ始める人が増えてきました。
しかし、そのような人はまだ一部であり、その香りや見た目、糸ひくネバネバ感などから、多くの外国人には受け入れ難いようです。
私たち日本人には健康効果のある発酵食品の一つとして、抵抗感なく食べている人が多いのではないでしょうか。
そこで、今日はその納豆について調べることにしました。

「納豆の起源」
まず、納豆の起源ですが、これには諸説あるようです。

1.その一つは飛鳥時代に聖徳太子が発見したとする説です。
600年頃、いまの滋賀県にある笑堂(わらどう)というところで、聖徳太子が自身の愛馬の餌として食べさせていた煮豆が余り、捨てるのも忍びないのでワラで包み木にぶら下げていたところ、糸を引く納豆になっていたという説です。

2.二つ目は源義家(八幡太郎義家)が発見し、全国に広めたとする説です。
平安時代、奥州(現在の岩手県)で起きた反乱を治めるために京都から派遣された源義家が、その道中で馬の背に載せた煮豆を詰めた稲ワラの俵を開けたところ、糸を引いた納豆を発見したという説。

3.他にも縄文時代に大陸から稲作と大豆が伝わったとする説です。
中国大陸から稲作が伝えられた縄文時代、同時に大豆も伝えられたことから偶然納豆が生まれたという説。
当時の住居は床にワラを敷いていたことから、煮こぼれた豆が自然に発酵したのが始まりとする説です。



「納豆の語源」
納豆の語源も諸説あるようです。
・その一つは前記「2」の源義家(八幡太郎義家)からとする説があります。
義家は朝廷の命により「前九年の役」(1051年~1062年)と「後三年の役」(1083年~1087年)で2度に渡って奥州(東北地方)の平定に赴いています。
当時の軍馬の飼料は煮豆で、それを藁で編んだ俵に入れて馬の腹にくくりつけて運んでいたのが、ある時、俵を開けてみたら、馬の体温で良い具合に温められて、煮豆が不気味にも糸を引いた「納豆」になっていました。
そして、それを恐る恐る食べてみると、意外と美味であったといいます。
義家に献上し晴れて「納豆」は兵糧食となましたが、この時、家来が義家に“納めた豆”から「納豆」と呼ばれるようになったとする説です。

・他には、寺の納所(台所)で作られたことに由来する説です。
肉食が禁じられていたお坊さんたちにとって、納豆は非常に重要なタンパク源でした。
納所で大豆を原料に作るから「納豆」になったとする説です。

・更に、煮豆を神棚に備えたところ、しめなわに付着していた納豆菌の働きで納豆になり、神に納めた豆から「納豆」になったとする説です。

「北大路魯山人の納豆の食べ方作法」
ところで、納豆の食べ方について美食家の北大路魯山人(1883〜1959年)は、著書のなかで次のように記しています。
「納豆を器に出して、それになにも加えないで、そのまま、二本の箸でよくねりまぜる(305回)。そうすると、納豆の糸が多くなる。出る糸のようなものがふえて来て、かたくて練りにくくなって来る。この糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ねりかえすべきである(更に119回)」

そういえば以前、NHKの「ためしてガッテン」でも美味しい食べ方について説明していました。
私が記憶しているところでは、この番組でも、
・先ず「210回」かき混ぜます。
・次に薬味や調味料を入れて、更に「210回」かき混ぜます。
こうすることで、美味しく食べられると放送していました。

「400回」ほどかき混ぜるのは魯山人と同じです。
実際、放送の後、私もそのようにして食べましたが、抵抗なく食べられた記憶があります。
納豆が苦手な方は、一度お試しになってみては如何でしょうか?


柿と杮の漢字の違い

2023-11-18 | 雑学

一昨日、「柿の王様・富有柿」について取り上げました。
その前日、「柿」の文字を入力をしているとき、「柿」によく似た漢字に「杮(こけら)があることを思い出しました。
「杮(こけら)」とは、ご存じの通り、木材を削る時にできる木の細片。削りクズのことで、漢字では「杮」と書きます。
一方、「かき」の漢字はご存じの通り「柿」です。
この両者、パソコンで変換すると全く同じように見えますが、どこが違うのかお判りでしょうか?
調べてみました。

「柿」と「杮(こけら)」の違い
「柿」と「杮(こけら)」漢字の違いは、右側の旁が「なべぶた」か「上から下まで貫かれているか」の違いです。
・「柿(かき)」は、右側のつくりの部分は「市」で、上部は「なべぶた」(横棒の上に点が乗っている)になります。
・一方「杮(こけら)」は1本の縦棒が横棒を突き抜ける形で、上から下まで貫かれており鍋蓋ではありません。
その違いを拡大すると以下の通りです。

・左が「かき」で右が「こけら」です。

「杮(こけら)」の意味
「こけら」を広辞苑で調べると、木材を削る時できる木の細片。また、木材を細長く削り取った板。と説明しています。
また、劇場を新築して初めて行われる催しを「こけら落とし」と言いますが、これについても広辞苑では、工事の最後に屋根などの木屑を払い落したところから、新築劇場の初興行。と説明しています。

「こけら落としの由来」
では、なぜ新築の劇場のお披露目公演に「こけら落とし」という言葉を使うのでしょうか?
これには日本の伝統技術である「こけら葺(ぶき)」が関係していると言われています。
こけら葺(屋根葺手法の一つで、木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法)とは、飛鳥時代から使われていた日本の伝統的な屋根葺き技法です。
江戸時代の歌舞伎場の屋根もこの「こけら葺き」という技法で作られていて、完成した時に木くずを屋根から払い落してお披露目をしたことから、劇場などでの新築お披露目公演に「こけら落とし」という言葉を使うようになったということです。

「柿」と「杮(こけら)」は、パソコンやスマートフォンなどで変換すると同じ字が出てきますが、意味も漢字も全く違います。
間違わないように気を付けたいですね。


「銀行」の名前の由来

2023-10-21 | 雑学

大人から子供まで殆どの人は銀行の通帳をお持ちだと思います。
通帳の残高の有無に関係なく、私たちは一生、銀行とお付き合いをしていかなければなりません。
でもお金を扱う会社が何故「金行」ではなく「銀行」と「銀」の文字を使用しているのでしょうか?
今日は銀行の名称について調べました。

「銀行」の名称の由来
お金を扱う機関がなぜ名称に「金」を使わずに「銀」を使った「銀行」なのでしょうか?
日本銀行HPによると、「銀行」という名前の由来は、明治 5年(1872年)制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳したことに始まります。
翻訳に当たり、高名な学者達が協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から中国語で「店」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりましたが、結局語呂のよい「銀行」の採用が決まったといわれています。

なお、英語の「Bank」の語源は、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商(銀行の原型といわれている)が、両替のために使用した「BANCO(腰掛け、カウンター)」に由来するようですが、これはお金を勘定をするために使った道具からの命名だそうです。

「金は天下の回りもの」
ところで、「金は天下の回りもの。今は無くてもいつかは回ってくる」 と、昔からよく言われます。
一方で、「お金は淋しがり屋。少ないところには寄らず、多いところに集まるもの」とも言われています。

しかし、「天下の回りもの」にしては我が家には一向に回ってきません。
我が家の傍にお金の高速道路ができて、通過するだけなのでしょうか?
そうではなくて、我が家は「淋しがりや」の方が強いのでしょうね。
でも、一度くらいは我が家にも立ち寄って欲しいですね。