らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熱海旅行(その3)伊豆山神社(2)

2011-06-01 | 旅行

“熱海の観光”シリーズ3回目の今日は、頼朝と北条政子が劇的な対面をしたと云われている「逢初橋(あいぞめばし)」と、伊豆山神社の「梛(なぎ)の木」をご紹介します。

「逢初橋(あいぞめばし)」
治承2年の夏、北条政子は親の定めた山本判官兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜に頼朝を慕って宴席を抜け出し、ここ伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れました。
当時、伊豆の蛭が小島に流されていた源頼朝は、その日、伊豆密厳院の院主で頼朝の師匠であった阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)の坊にいましたが、知らせを受けて頼朝と政子が劇的な対面をしたのが逢初橋と云われています。
一般的には伊豆山温泉入口の国道135号線に架かる朱色の橋が逢初橋と云われていますが、頼朝と政子が逢った本当の逢初橋は御岳社の森に架かっているこの石橋と云われています。
左の石段を上がると頼朝と政子が一時住んでいたと云われている般若院があります。

・この石橋が本当の「逢初橋」と云われている橋で、以前、NHKでもこの石橋を映し出していました。


「関八州総鎮護 伊豆山神社」
伊豆山神社の案内板には次のように説明されていました。
・御祭神は伊豆山大神
・鎮座地は伊豆の御山、子恋の森の一部で約4万坪、海抜170m
・御由緒
 『社伝によると、当社は最初、日金山(万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。
 源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、幕府最高の崇敬社として、関八州総鎮護と
 され、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三ヵ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記され、その所領範囲の広大
 であったことが当社の最隆昌期における状況を示しています』


「社殿と梛(なぎ)の木」
・石段の左右にあるのが御神木の「梛(なぎ)の木」です。


「梛(なぎ)の木」
伊豆山神社の梛(なぎ)の木は御神木となっており、根の周りには白石が敷かれています。
梛の木には人の悪意や嫉妬、災いをはねのける浄化作用があると言われており、その葉は護符として古くから身につけられてきたようです。
なかでも伊豆山神社の梛の葉は、葉脈が縦に通っているため、ちぎれにくく、また2枚ずつなかよく同じ場所から出ていることから縁結びのご利益があるとして有名なお守りです。
また梛にはオスとメスとがあり、カップルで持つ場合は女性が雄梛(おなぎ)、男性が雌梛(めなぎ)を持つとよいとされていますが、ひとりで持って恋の成就を願うこともあります。
良縁が結ばれる外、交通安全、災難除、 入学成就の守りとしても信仰されています。

・社殿の右側に立つ御神木の「梛(なぎ)の木」です。


・同じく左側に立つ御神木の「梛(なぎ)の木」です。


境内には、吾妻鏡(あずまかがみ)に光の宮と記されている摂社雷電社、摂社本宮社、末社白山社、同足立社、同結明神社が鎮座し、飛地境内社として摂社走湯神社があります。
なお、摂社とは、本社に付属し本社に縁故の深い神を祀った神社のことです。

「雷電社」
吾妻鏡には「光の宮」と書かれ、三代将軍源実朝が再興したと伝えられています。
殖産興業、火防鎮火の守護神として崇敬を集め、近年では、電気事業関係者の商売繁昌、事業隆昌の守護神として崇敬されているそうです。


「白山(はくさん)神社の鳥居」
白山神社は伊豆山神社の裏山500m上の巨岩が連なる場所にあります。
まっ白な鳥居をくぐり、勾配のある山道を片道20分ほど歩いたところに鎮座しています。

・伊豆山神社の右奥にある、白山神社の白い鳥居です。


・このような山道を20分ほど登ったところに小さなお社がありました。


「白山(はくさん)神社」
御祭神は伊豆大神奇魂・菊理姫神(きくりひめのかみ)で、古来から、病気平癒・厄難消除の神としての庶民の信仰が厚いようです。
御由緒、伊豆山記、走湯山記によると、東国一帯に疫病が流行した天平元年(729年)夏に、東国北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ、「白山の神威を頼むべし」との神託がありました。
猛暑のころであったが、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日たっても消えず、病気の者が、これをとってなめたところ、病苦がたちどころに平癒し、ここに社を創立したと云われています。