ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

死なないように生きる

2006年12月13日 | 子ども
エリーの幼稚園散策の一環として、数園見学に行く予定なのだが、今日はその中の某幼稚園へ行ってきた。
そこは、モンテッソーリ教育を取り入れているところだった。
上のサーヤが山口時代に通っていたこともあり、また、縦割り保育というところを探しているので、候補に上がったのだ。

先生にいろいろと園内を案内していただきながら、お話を聞いた。
エリーは、いろんな教材(木のおもちゃに似たものたち)を出してきては遊び、他の子がしているお絵かきを真似てみたりしながら、落ち着いて遊んでいた。モンテッソーリ教材を使っての時間は、ゆっくりと穏やかに過ぎていく。1時間は、あっという間だった。エリーは、まだ遊びたかった様子。
そして、終わりのあいさつの前に、紙芝居を読んでいただく。エリーも、みんなと並んで木の椅子に座り、微笑を浮かべながら聞いている。楽しそう・・。

その後、私は先生からのお話を聞くべく、その部屋に残ったのだが、エリーはすかさず隣の遊戯室に飛んでいき、初めて会ったはずの子どもたちと一緒に遊びだした。走って、笑って、ボールを蹴って。私とは離れた部屋なのに、ぜんぜん平気。なじんでいる様子に、安心した。先生と話している時、一瞬だけ窓から「ママー!」と呼んだ。そして、私の姿を確認するとすぐまたお友達の中へ戻っていってしまった。意外にも、すんなり入っているエリーの姿に、母の私が驚く。

そんな中、先生が今の子どもの教育の在り方や、社会についてお話くださる。いろいろと学んでいる様子と、私の常日頃に感じている子どもへの接し方・社会のあり方に共通することがあり、ほっとする。
その先生が言った言葉の中で、私が思わず涙を流してしまった言葉がある。
「これからの教育、子どもが死なないで生きていけるように。死なないように力をつけていく、そのことを教えてるのは大人の役目なんです。」
~死なないように生きるために~
なんて、悲しく、そして今を映す言葉だろう。
胸にじ~んときた。
鼻の奥につ~んときた。
だって、本当のことだね。
「命」の大切さを教えるのは当たり前のことなんだけど、その当たり前のことをもっと直接的な言葉をもって表さねばならなくなった社会。そのことに、私の心が震えたのだ。

教育も、食育も、環境も、温暖化も、核も、戦争も、モノ・カネ・ヒトも、
すべてはつながっている
すべては自分とつながっている
すべてはわが子に受け継がれていく

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