ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

カーテンコール

2006年12月03日 | 観劇・読書・感想記
ビデオを借りてきてくれた。
夫は、会員になっているレンタルビデオ屋さんが安くする時には必ず借りてくる。
その中には、私のリクエストのものもあれば、流行のアクションものがあったり、彼が手にとって気になったものがあったりする。

夫婦でも、いや夫婦ゆえ、なかなかその趣味趣向は合わないものが多いのだが、ふと今朝観た映画にのめり込んで、結局最後まで観てしまった。
「カーテンコール」

山口県下関にあるとある小さな映画館を取材した記者とその映画館を取り巻く人々の愛と人生を深く語る映画だ。山口という懐かしい地名と、見覚えのある下関の町並みに見入り、そして穏やかな流れの中にあるのだけれど激しい様々な人生模様に心打たれ、画面から離れられなかった。

ラストの記者の父親から届く手紙の言葉。
涙が出てきた。
親のこの言葉ほど重く、そして温かく、受身で、守る、そんな言葉はないと、この映画を観て発見したのだ。
今まで、この言葉をよく掛けられていた。そう、父に。母に。
毎回帰省するたびに、この言葉を背中に受けて帰ってきた。だけど、「うんうん」と言うだけで、その言葉の深みに、その親の愛情に気づかなかった。
思い出せば、18歳で上京してからずっと、この言葉を言われてきていた気がする。なのに、私ってば、なんにも思いもせずに、なんのひっかかりもせずに、今まで生きてきた。自分の人生のことばかり考えて、先にあることへ進むことしか考えず、新しいことを始めることしか思わず、振り返りもせず、思い返すこともせず。それが若さなのだと言われれば、そうなのかもしれないが、それにしてもなんとも自分勝手な。自分ひとりだけで生きてきたみたいに、親の手助けは必要ない!とばかりに、勝手に東京で就職を決めて、勝手に山口へ転勤する人と結婚を決めて。両親の心配、という言葉だけでは片付けられぬ深い深い愛情を軽んじていたことに、36歳の今、今朝、気がついたのだ。

私は考えます。
あなたたちの愛情に、あなたたちがこれから先生きていく間に、全部を応えることは不可能だと。
あなたたちのような愛情を、わが子に注ぐことができるのだろうかと。
あなたたちの住む街にこんなに近くなった今、私のこれからをどうしようかと。
親の想い、計り知れず。
こんな言葉一つにも、どれだけの重い深い愛が隠れている。

「いつでも  帰ってこいよ」

知命

2006年12月01日 | これも自分あれも自分
知命
詩人 茨木のり子
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏(はさみ)で切れいと進言するが
肯(がえん)じない
仕方なく手伝う もそもそと

生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされて
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

「おんなのことば」 童話屋より
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離れてみると より分かる
気づかないところの優しさ
気づかないうちの守りと祈り
別れてみて気づく
あなたの私の心の中にいる大きさを
たくさんの手と目と心
ありがとう




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