ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

四季「夢から醒めた夢」

2007年06月14日 | 観劇・読書・感想記
行ってきました!
劇団四季ミュージカル「夢から醒めた夢」

あらかじめ購入していたCDでの、毎日のように聴いていたおかげで、
聴くもの聴くセリフ、一緒に口ずさんでおりました。
サーヤも、もちろんエリーもです!!
前から5列目で観たのは初めてでしたが、スピーカーに近すぎてエリーは耳に手を当てながら観ていました。子どもって、人よりも音が大きく聴こえるのでしょうか?

舞台が霊界空港のシーンになると、そこには様々な理由で亡くなった人たちがそれぞれの色のパスポートを持って、搭乗手続きを待っていた。
その中の、アフリカやアジアなどの途上国、紛争国で理不尽に亡くなった子どもたちの心の叫びは、今にも胸に痛い。今ここでミュージカルを観ている自分と、その同時刻にも亡くならざるを得ない人がいるとい事実を突きつけられ、あまりのギャップに「日本に生まれてよかった」という正直な気持ちと、「この子たちを助けるにはどうしたらいいの?」という歯がゆさが、心の中で右往左往した。
涙は、自然と流れた。
思う気持ちが深いところにまで達してしまって。

人はみな、生まれたときはまっさらだ。
どんなに悪びれて見える子も、心を解いていけば、本当に優しく、そして愛を求めている純粋な心を持っている。
成長の過程で、すさんだり、反発したり、心が黒くなったり見えるけれど、根の部分はやっぱりまっさらのような気もする。
そう思うのは、私がお幸せ者なだけだろうか?

「夢から醒めた夢」
ぜひ、若い人にも見てもらいたいな。小学生、中学生、高校生、大学生、そして一緒に観る大人。
様々な年代で、捉え方が違うかもしれない。だから、子どもにはそれぞれの年代の時にまた観せてあげたい、と思った。
わたし?
私は、また明日にでも観たいでーーーす♪
超超おすすめですからね!

山口には、秋に行くんじゃないでしょうか?ふふふ

ヒトマワリ

2007年06月11日 | これも自分あれも自分
日曜日
一回り、年の違う人から電話があって
あれやこれやと、身になりそうでならない話をするのが、割と好きだよ。
これに酒がついてたら、話がまた飛び跳ねて、余計いいんだけどねぇ。

土曜日
一回り、年の違う人と会って話して
身が引き締まったり ためになる話を聴いてるのも、割と好きだな。
これに酒がついていると、時間を忘れそうで恐いけど。

さて、どちらが年上でどちらが年下でしょう?

いろんな世代の話が聴けるのは、とても貴重。ありがたい。

何か資格が?資格がなにか? partⅡ

2007年06月10日 | これも自分あれも自分
東京に行ってきました。
日帰りで。往復6時間の新幹線は、私の老体に鞭打ちます。今日は、さきほどまで死んだように眠っていました。
しかし、帰宅してすぐに眠れるわけではないんです。あまりにも疲れすぎて、頭ががんがんし、前頭葉の神経細胞が活発に動いて電気信号を発しているため、ぜんぜん眠れないのです。だから私は、熱もないのに、熱冷まシートを貼り付けて布団へ入らねばならないのです。それほど疲労しているということなのですね。

で、何をしに東京くんだりまで行っているかというと、とある資格を取得するための教室に通っているのです。それは、通信講座が設置されてなく、実施箇所も東京・名古屋・大阪のみ。八戸に住んだ今、東京と地続きである内に、東京まで行かないと取れない資格を取得しようと、ある意味そこに価値を置いてその資格を取ることに決めました。
その資格というのは、「認定子育てアドバイザー」という、NPO法人日本子育てアドバイザー協会がコーディネートしている資格です。国家資格でも、社会的に認知度の高い資格でもありません。
八戸に来て、ようし何か勉強をして資格を取ってみたいと思い始めて1年間、いろいろと探しに探してみました。自分の目指したい自分により近い資格は何かを。自分のイメージに合致する仕事が何なのかを。「日本カンセラー協会」に資料請求をしたり、「高齢者傾聴技能士」の資料も取り寄せました。「日本レクリエーション協会」にも問い合わせをし、これは八戸でも講習会を開催しているので、いよいよこれを取ろうかと本格的に考えていました。が、毎週金曜日の夜間の通学という条件が、子どものいる私には少し無理だと気付き、取りやめました。
あああ、でも、何かしたい。このまま何もせずにとどまることが、私にとっては拷問でした。ここまで書くと、私の性格がどんなか、なんとなくわかると思います。そうなんです、動いていないと死んでしまうんじゃないか病なんです。そして、資格を取った後、どんなふうにその資格を活用して動くかとか、どの機関と関わろうとか、そんな論理的思考は苦手で、とにかく取ってから考えようという場当たり的な人間なんです。ただそこには、世の中にこれからはやりそうなもの、という視点ではなく、自分のやりたいことという信念?だけはあるのですが。

「となりんち」を開く前、市役所や公民館や保育園などで常設の子育て広場の必要制を話し、実際にやってみたいと相談した時に必ず聞かれた「資格の有無」。無資格の私は、なんだか「そんなことをする資格がない人」という目で見られているような被害妄想に駆られたものです。新しい街、新しい人の中、まだまだ未熟な人脈の中で単独で動くのは早計なのかと、悩んだりもしました。しかし、私の熱は下がることなく、却ってどんどん熱くなるばかりで、どこかで沸点を決めないと熱の行き場を失い、自分の行き場もなくなる不安が頭をよぎり、見切り発車でもいい!と「となりんち」を発進させたのです。

あの時に思った、「資格」の意味。なんでも持っていればいいというものではないけれど、自分の信念に合致するもので、その信念を証明できる証明書があれば、たくさん並べた私の思いも、ある程度短縮して理解してもらえるかもしれない。
新しい土地に入って、私は私を認めてもらいたい。
私の考えを認めてもらいたい。
そして、この考えは私だけにとどまらず、ここに住む子育て中の母親の何%かは考えていることと、さして相違はないはずだ。だとしたら、声を上げれる者が、声を上げる道具として「資格」を取得することに、意味はあるだろう。
それが1年間考えた結果だったのです。

ネットで検索してみてください。
「認定子育てアドバイザー」
社会認知度は高くはないですが、講座の内容はとても充実しているし、東京の一線で活躍している方々がお話してくれるので、その内容はとてもレベルが高く、でもわかりやすい。深い話が聴くことができます。
毎回、東京に向かいながら、交通費かけてこんなん聴きに行って、果たして意味があるのだろうか?と考える時もままありますが、帰りの新幹線の中ではとても満足、充足感でいっぱいになって帰ることができます。資格取得まではまだまだ遠い道のりだけど、きっと取ってみせる!という意気込みは、誰にも負けないと思います。その割りに勉強してないんだけど。

「資格を取ることの意味」を考えている時。
資格があるから優遇されるのか?だとしたら、いっそ無資格のまま活動してやろう!と思ったこともあるし、でもやっぱり何か持っていると優位なのか?と悩んだ時期がありました。
その時出会った1冊の本があります。それをご紹介しましょう。

江原啓之著「スピリチュアル ワーキング・ブック」(三笠書房)
本屋で立ち読みしていたら、当たったのです。平積みの本ではありませんでした。江原さんの本の並ぶ背表紙たちを順番に気にしていたときに出会ったのです。そのページに出会った瞬間、私の脳にパチンッと何かがはじけ、これだ!私の求めていた答え!と、今まで悩んでいた正解が書かれてありました。そう、江原さんが正解を言ったわけではなく、私の複雑に悩んでいた悩みの、本来求めていた回答が見つかったということなのです。その中の一節。

「一年後を思い描いた時、どんな自分になっていたいか。その姿が見えてきたら、さっそく今日から準備を始めましょう。実務的な資格をとるなど、やるべきことは見えてくるはずです。
“資格なんて持っていても意味はない”と考える人もいますが、そんなことはありません。やはり資格はないよりあるほうがいいのです。(中略)無理をする必要はありませんが、自分にできることを広げておくのは、とてもいいことです。」

・・・っときたもんだぁ。
読んだ瞬間、私の心の中に、すーっと爽やかな風が入り込んで、今までのごちゃごちゃな頭の中がすっきりと整理がつきました。他力を使って、現状奪回を図ることができたのです。
そうしたら、自ずと自分の進む道がかすかだけれど見えてきて、それをイメージすることができて、この資格にたどり着いたというわけなのです。

わたしはわたしの役目
あなたにはあなたの役目
心をフラットに 
心を幼い時に戻したり 
未来の自分をイメージしたりしながら 
すごせたら幸せ



「となりんち」と放課後くらぶ

2007年06月09日 | 子育て広場「となりんち」
今日は、子育て広場「となりんち」の日。
向かいの和室では、離乳食講座が開かれていて、赤ちゃんのかわいらしい泣き声が聴こえていました。へぇ、こんな講座を無料でやってるんだぁ、なんて感心しながら、「となりんち」のチラシを置いてくださいとお願いしてみた。

栄養士さんなのか、市の職員さんなのかわからないけれど、講座の終了後覗きに来てくださった方々が、口々に「へぇ、こんなのやってるんだねぇ。いいねぇ。」と・・・。
ありがたいお言葉です。ぜひ、遊びに来てください!とお伝えした。
きちんとチラシも持って帰ってくれた。

まだまだ広報が行き届いていないので、なかなか周知されずに申し訳ないという思いです。知る人ぞ知る、隠れ家的なひろばになってますから。
それはそれで、こじんまりとしている分、たくさんおしゃべりができるという点でプラスなんです。

「となりんち」終了後は、自宅で小学生対象の「放課後くらぶ」。
“くらぶ”といっても、なんにもプログラムはなく、自由に遊び、自由にケンカし、自由に飲んで食べる感じなんですが、親も一緒に来て、親は親同士でしゃべりまくるという“くらぶ”です。「帰宅部」とした方がいいのかも。ある意味、「茶道部」か?いやいや、お茶はタテナイし、ただ飲むだけだし・・。
「いどばたぶ」(井戸端部)かな?
あ、いいね、この語呂。

子どもには、できるだけ多くの子どもと大人に関わらせてあげたい。
いろんな人がいる
いろんな考えがある
いろんな習慣がある
いろんなしつけがある
いろんな怒り方がある
いろんな価値観がある
そのいろんな中で
自分の目指したい大人や子どもにめぐり合って
それを生きる指標の一つにしてほしい

今より少し大きくなって
複雑な世の中と思春期の潔癖と汚濁との狭間に揺れる時
自分を見失わないように
自分の自信を保てるように

そんなことを考えながら
この「となりんち」も「放課後くらぶ」も「いどばたぶ」も
これからも続けていこうと思っている



サーヤのひとりごと

2007年06月07日 | 子ども
こんにちは!サーヤです。
さて今日は、学校の授業でリーダーさんと一緒に町探検の約束を決めるのです。
私は、リーダーになりました!うれしい!
金曜日、町探検があるのでーす!
うれしな、うれしいな♪
というところで、明日もがんばらなきゃいけないので、
ここら辺で終わりにしましょう。
さ、みなさんも明日も頑張りましょ。

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