の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

古都・ペグー (「ビルマの竪琴」の舞台シュエターリャウン・パゴダ)

2014年09月29日 | ミャンマー

水掛け祭りです。いたる所で水を入れたバケツや桶を持った子供たちが通りかかる獲物を待っています。
タイではピックアップ・トラックに満載した水をかけて回りますが、ミャンマーでは車の保有者も少なく車で走り回るほどの余裕はまだないようです。



次に訪れたのが「蛇寺」です。正式な寺院名は覚えていません。





塔の上で瞑想する仏陀を大蛇が守っています。

ご利益のある大蛇様でしょうか、見物の善男善女が絶えません。





お寺の前でも水の洗礼を受けます。







シュエモード・パヤーの門前を再び通って昼食に向かいます。



午前11時43分、レストランに到着しました。昼食です。門の脇には、いかにもビルマという、感じの良い壺が置かれています。

レストランの入り口にはタナカと砥石、水が用意され鏡も置かれています。タナカとは女性や子供が頬に塗っている白い粉で、原料は砥石の上に置かれた木の幹を擂って作ります。擂った木粉に水を垂らしててペースト状にして、頬、額、鼻梁などに塗ります。
タナカはミカン科の樹木で、樹高は最高で十数メートルに成長し、インドから東南アジアに分布しています。ミャンマーでは、バガン周辺の中央乾燥地域が主生産地と言われています。
粉末には芳香があり、顔に塗ると涼感があって、日焼け止めや保湿、殺菌効果あるようです。

食後の客が、店を出るときに塗り直すためのサービスです。顔だけに無造作に塗っているのではなく、おしゃれとして工夫して塗るのでしょう。

テラスからシュエモード・パヤーが見えます。

午前11時55分、まだ他のお客はいません。





レストランの女性です。タナカの塗り方を見ると、まず顔全体に薄く塗り、アクセントとして頬、顎を濃く塗っています。

食事を終え、表に出るとお土産売りの女性がたむろしています。この女性のタナカは汗で流れています。流れても気にしなくていいようです。
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次に向かうのがシュエターリャウン・パヤーです。





やはり屋根のある参道を進みます。

参道で売っていた仏像です。

ミャンマーでは僧侶によく出会います。

写真を撮影すには300チャット(チャットはミャンマーの通貨単位)要ります。
当時の為替レートが1ドル=641チャット、1ドル=83円です。実際には1ドル=825チャットで交換していますから、チャットの10分の1が円換算価格になります。
従って、撮影料として30円の徴収です。
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300チャットを払うと、この券をくれます。輪ゴムが付いていて手首に付けるようになっています。

100チャット紙幣です。
200チャット紙幣です。

こちらは午前中に行ったシュエモード・パヤーの写真撮影料支払証で穴に輪ゴムが通されていて手首に付けるようになっています。落とすと困ると思いポケットに仕舞っていましたが、誰も気の留める人はいないようです。
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994年、モン族のミガディガ王によって建立された寺院です。全長55m、高さ16m、足のサイズは7.7mの寝釈迦像です。









寝釈迦像の台座の背面には寺院縁起の彩色レリーフが描かれています。

■ミガディガ王は異教を信仰していました。ある日、王子の一人を生贄として森に追放しました。
王子は仲間と従者を従えて森へ向います。


森へ向う途中のスワンナプーミ村で仏陀を信仰するモン族の娘、ダラターウに出会います。
王子は彼女の信仰を守ることを約束して結婚、王宮へ連れて帰りました。


彼女は異教を崇拝せず、自室で仏陀に祈りを捧げます。異教の神官は、国王に訴えます。
国王は異教の神像の前で彼女と従者の処刑を命じます。


処刑の前に彼女が三宝に祈りを捧げると、異教の神像は粉々に砕け散ってしまいました。
驚いた国王は異教神の信仰を間違いだと悟り、王子と彼女を許して仏教に帰依します。
国王は寝釈迦像を建造して崇拝することにしました。


ミガディガ王は命によって、国民を異教崇拝から仏教に改宗させました。994年にシュエターリャウン・パヤーが落成、巨大な寝釈迦像を安置しました。

タイル張りの床はひんやりとして昼寝には持って来いの場所です。たくさんの人が休んでいます。

仏陀の枕にも仏伝図が描かれています。

太子が切った頭髪を空中高く投げたところです。





基壇に貼られているのは高額奉納者名です。大半はタイ人の名前ですが、日本人の名前もあります。


その後、ペグーはビルマ族の侵攻で廃墟となり、ペグー王朝の滅亡とともに寝釈迦像は忘れ去られてしまいました。
第二次英緬戦争でイギリス統治下となった1881年に、鉄道建設の土砂を採集するため小山を掘ったインド人技師が埋もれていた寝釈迦像を発見しました。

参道のお土産屋です。