の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

シュエダゴン・パヤーの夜景

2014年10月02日 | ミャンマー
ヤンゴンのシンボル「シュエダゴン・パゴダ」です。
エーヤワディー川河口のデルタ地帯に位置するヤンゴンは、現在は人口400万人を超えるミャンマー最大の都市となりましたが、都市として発展し始めたのは1852年の第二次英緬戦争でイギリス占領下になってからです。
第三次英緬戦争でビルマ全土を占領したイギリスは、英領ビルマの首都として公共サービス、社会的インフラをロンドンと比肩される水準まで発展させました。
第二次大戦前には人口50万人の都市になります。しかし、人口の約55%はインド人、もしくは南アジア人が占め、30%ほどがビルマ人、他はカレン族、中国人、英国人やその混血でした。

かってはダゴンと呼ばれ、下ビルマを支配していたモン族が6世紀頃から居住した小さな漁村でした。
シュエダゴン・パゴダもその頃の建立だと考えられています。
18世紀になるとアワのタウングー王朝は再三襲撃してくるアユタヤ、跳梁する中国人匪賊、国内的には繰返される王位簒奪や盗賊によって疲弊していました。1752年に力を蓄えたモン族が王都アワを陥落させ、エーヤワディー川流域の残存勢力の壊滅にとりかかります。しかし、ビルマ族の小規模集団を糾合したアラパウンパヤーはモン軍を反撃します。手薄になった下ビルマにアユタヤ軍が侵入したことによりモン軍は撤退します。アラバウンパヤーは1754年にアワを奪回、上ビルマのモン族を一掃して1755年にダゴンを攻略します。モン語の地名「ダゴン」をビルマ語の「ヤンゴン」(宿敵全滅)に改めます。
1757年にはモン族の首都ペグーが陥落してビルマ族の統一第三王朝が成立します。

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午後6時13分です。カンドージー湖上に1972年建設の、王室船を模したカラウェイ・パレスでミャンマー・ダンスを見ながらの夕食に向かいます。

池の畔ではまだ水掛けの最中です。



カンドージー湖はイギリス植民地時代にヤンゴン市街へ水を供給するため造られた人造湖です。周囲8km、水深は50cmから1m余りあって、北のインヤー湖から地下水道によって導水されています。
池の西にはシュエダゴン・バゴダがあり、池の周りにはカンドージー自然公園、ヤンゴン動物園があって水族館や遊園地が併設された、市民の憩いの場となっています。

カンドージー湖から見るシュエダゴン・パゴダです。



湖畔にはホテルやレストランもあります。



カラウェイ・パレスです。





ビルマ兵姿のドアマンです。

王と妃の衣装で出迎えです。女性が手味持っている容器には水が入っています。ミャンマーでは水を浸した木の葉でお腹に水を掛けられました。





午後6時35分、テーブルに着くとビルマダンスは始まっていました。
他のお客はまだ少ないようです。その後入って来たのは中華系タイ人の団体ばかりでした。
ツアー会社ご用達のレストランのようです。



水を給仕してくれた女性です。

料理はビュッフェ方式です。せっかくですからミャンマーの伝統料理をいただきます。



こちらの女性はココナッツの果肉をとっていました。

シャン族の鳥の踊りです。





背景にヒマラヤ山脈が描かれています。最北の山岳部に暮らすカチン族の踊りです。カチン族はビルマ族と同族で言葉や生活はよく似ているそうです。
仏教徒ではなく、精霊崇拝の踊りでしょうか・・・。



時代がかなり下ってきました。

象使いと象の踊り?



ビルマの竪琴です。





壁板の彫刻です。

人形劇です。

人形を操る人も目立っています。黒子ではありません。

帰りにもう一度美女の撮影です。





コンバウン王朝の王と妃です。


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午後7時40分、表は暗くなり、ライトアップされた、シュエダゴン・パゴダが浮かび上がります。

シュエダゴン・バゴダ山門近くに建っていた仏塔です。