

見込みの絵柄は、人物なのかペグーの寺院の壁に嵌められている陶板に描かれたような魔人なのかはっきりしません。(釈迦の修行を妨害する魔王の二人娘かな…)
真作は低温焼成の錫鉛釉で緑色の発色剤として銅を用いていますが、本品は硬く焼き締まり高温焼成されています。高台には窯印が刻まれ、なぜか油が塗布されています。
チャトチャック市場で売られていたのですが、店番をしていた主婦に値段を聞くと「1800バーツ」とのことでした。その日は他に手荷物もあって価格を聞くだけで、どこまで価格交渉をすればよいか考えながら店を去りました。
翌週再訪すると亭主が店番をしていました。1200バーツぐらいまで値段が下がれば買うつもりだったのですが、亭主の言う値段は1200バーツです。店番によって言い値が違うのはよくある話で、急遽購入想定価格を変更、600バーツからの交渉です。
結局800バーツで参考品として購入しました。
直径:28.5cm、高台径:20.4cm、高さ:5.7cmです。



この手の盤の特徴である、高台内に静止糸切痕が残っています。糸切後に高台を貼り付けたようです。
直径:31.0cm、高台径:19.9cm、高さ:6.7cmです。
白釉緑彩皿はオムコイからウムパーンまでの広範囲の山中から出土していますが、材料の化学分析からミャンマーで極短期間に生産されたことは確定されていますが、焼成された窯はまだ発見されていません。
生産された15、6世紀はビルマ族のバガン王朝を倒した、モン族が下ビルマに国家を再興した時代です。1287年にスコータイの援助でマルタバンに建国しますが、その後スコータイ、ラーンナー、アユタヤからの侵略や内乱が繰り返され、また上ビルマのアヴァ王朝のシャン族、タウングー王朝のビルマ族との戦争が続き政情は長く安定しません。
最も安定したのは1472年にダンマゼーディーが王位に就いたころで、セイロンに僧侶を派遣、首都のペグーにたくさんの寺院が建設され、都市が拡大した時代です。安定期も長くは続かず1539年にはタウングー王朝の攻撃で滅亡、ペグーは廃墟となります。
(その後の調査でカイン州モーラミャイン近郊のコー・ドン村の窯跡から白釉緑彩陶の陶片が発掘されたとの報告があります。2022年4月7日追記)





直径:25,0cm、高台径:18,6、高さ5.4cmです。



