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スパンブリーは県内に石器から青銅器へと続く先史時代の多数の遺構、その後にインドとの交易で繁栄したドヴァラヴァティー王国、12世紀から13世紀のクメール王朝、14世紀のスコータイ石碑に刻まれた”スワンナプーム王国”から15世紀に興るアユタヤ時代の重要な地域でした。
しかし、1760年にクラ地峡からアユタヤへ侵攻するビルマ軍に占領されます。この時の略奪と破壊によるものでしょうか、現在は歴史的遺構はほとんど残っていません。
ちなみに、アユタヤ王朝は再度南北から侵攻したビルマ軍によって1767年4月に陥落、426年続いた王朝は滅亡します。
地形図はスパンブリー国立博物館のアヤタヤ時代のパノラマ図です。写真左上が北、右下が南となり、中心を蛇行するのがターチン川です。川の両岸に幅1,900m、長さ3,600mの土塁と濠に囲まれた区域はアユタヤ王朝が興る前の14世紀のスワンナプームの都城、西岸の幅920m、長さ3,600mの区域は15世紀後半のアユタヤ時代に整備されています。
都城の中心にワット プラ シー ラッタナ マハタートがあります。そこを起点に川沿いの国道3507号線を北に5.5km行くと発掘調査されたバン・バンプーン古窯址が有ります。そこから1.7km戻るとワット プラ ノーンが有ります。その対岸辺りにワット サンパ シウがあります。
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まず、ワット プラ ノーンに参拝です。
アユタヤ時代の1579年の建立と記されたものや、ラッタナコシーン時代とするものも有り、歴史は定かではありませんが、本堂に安置された涅槃仏が珍しい様式だというので参拝します。
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タイで唯一の仰臥する2mの石造涅槃仏です。インドのクシナガラの涅槃仏を模刻したと言われています。
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次に参拝したのは、ワット プラ ノーンの対岸近くにあるワット サンパ シウです。
1314年アユタヤ王朝 (1351年~1767年)以前のスワンナプーム王国時代の建立です。
ビルマの属国となっていたアユタヤ王朝21代国王、ナレースワン大王 (1555年~1605年)は王位に就いた2年後の1592年にノーン サライで象による戦闘でビルマ軍を撃退、独立を果たします。その軍隊の調練をワット サンパ シウの協力でこの一帯で行なったそうです。
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新しい寺門をくぐるとまずナレースワン大王の礼拝堂があります。入り口横の石版には、この寺院の古い名前「ワット サン バンチー」と記載してます。
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広大な敷地にはたくさんの伽藍が並んでいます。カメラを持って歩いていると寺男が寄ってきて仏像を見たかと聞きます。返事に窮していると、こっちへ来いと足早に歩いて行きます。
礼拝堂まで来ると、参拝して少し待てと言いながら、背面の扉を開き、灯りを点灯しています。
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木造で壁のない礼拝堂です。本尊の奥のガラスの中にはアユタヤ時代の青銅仏が並んでいます。
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開帳してくれたのは、盗難防止の鉄柵とガラス張りの中に安置されたドヴァラヴァティー様式の青銅仏です。
1952年に寺の敷地内で発掘された1000年前の仏像です。横の棚には磚仏等が展示されています。
寺男は次に僧侶の写真を撮して行け、と別の部屋へ案内します。
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僧侶はルワン ポー チャン師、93歳です。聖水を浴び、タンブンをしてお守りを戴きました。
金属製の表裏にそれぞれ十座仏、真ん中には異なるサンスクリット語が刻まれています。
ある情報で境内にバン・バンプーン古窯址が保存されているとありました。寺男に窯址を聞くと火葬場を指さしています。いや、いや、陶器を焼いた昔の窯だと説明、色々確認するとター チン川東岸には存在しないようです。
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実は、この寺院、日本人の間でも有名で、たくさんの人がブログで紹介しています。私が参拝しているときも日本人家族連れが来ていました。
その理由は次回で......