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タイ=ミャンマーの国境山岳地帯の墳墓遺跡からの発掘品です。釈迦の瞑想を妨げる魔王軍の兵士ですが発掘時に破損してしまいました。緑釉や鉄釉の密着は良好ですが錫鉛釉は食付きが悪く剥がれやすくなっています。
裏面には漆喰が塗りつけてあります。ペグーの仏塔腰壁に埋め込んだときの接着剤でしょう。
では、いつペグーの仏塔から外されて、誰によって国境の高い山の上まで運び上げられたのでしょう。
ビルマ族によるパガン王朝が1050年に建国され、1287年に元の侵攻を受け衰退します。その隙を突いて下ビルマにモン族がペグー王朝を樹立するも国内は安定しません。1472年ダンマセーティーが王位を禅譲され、ペグーで寺院を増築、最盛期をむかえます。しかし、1539年にビルマ族のタウングー王朝に占領されます。1598年にモン族の反乱が起き、ペグーは大規模な破壊にさらされます。
その後に再興ペグー王朝が樹立しますが1754年にビルマ族のコンパウン王朝によって再建不能なまで破壊され尽くします。現在はたくさんの陶板が地中に埋まっているそうです。
国境山岳地帯からは謎に包まれた白釉緑彩盤を初め青磁、黒釉、白釉、緑釉そして辰砂を施した器まで多種多様な優れた陶器が発掘されています。当然国内が長期にわたる安定期に生産されたもので、寺院も修改築され、そのとき持ち出されたのでしょうか。
ペグー・タイプの大型陶板をチェンマイの骨董店の軒先に大量に立てかけてある写真を友人が送ってくれました。10年ほど前です。藁を緩衝材に50枚以上並んでいましたが、勿論新作でチェンマイで作られたと聞きました。その後どこへ行ったかは定かでありません。
次ぎにパガンの仏塔に嵌め込まれていた陶板をアップします。
損傷が激しく、一見古そうに見えますが何時造られたかは分かりません。ミャンマーの寺院は、時の為政者や敬虔な信者によって常に増改築が繰り返されています。
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パガンを建国したアノータヤ国王により1059年に建設開始、第3代国王チャンスィッター治世の1090年に完成したシュエズィーゴン・パヤーです。
ビルマ族が覇権を握った16世紀、18世紀に大規模修復がなされています。
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チャンスイッター国王によって1091年に建立されたアーナンダー寺院で、バガンで一番美しく均整のとれた寺院と言われ高さ51m、一辺60mの正十字形をした寺院です。
やはり、後世に大改修されています。
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代7代国王ナラパティスィードゥーによって1196年に建立されたダマヤーズィカ・パヤーです。
この王以降ビルマ語が碑文に使われ、モン語等は影をひそめています。
陶板にも文字が刻まれていますが、さて何語でしょう。
どの陶板も扱い傷のように凸部の釉薬が剥げています。おそらく貴重な陶板は修改築の時は取り外され再利用されたのではないでしょうか、その一部が商人にわたり山岳地帯まで運ばれたのかな………
バガン5千坊と呼ばれ、最盛期には五千を超える寺院や仏塔があったようです。写真の仏塔に嵌められた陶板の数は一基あたり千枚近くあります。陶板で飾られた仏塔がどれくらいあったのかは分りませんが、千基としても百万枚、すごい枚数です。
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15世紀にミャンマーで作られた白釉緑彩草文盤です。(過去ブログ「ミャンマーのお皿」の再掲です)
近年になって存在が知られた陶器です。詳細はたくさん書籍やブログで説明されているので省略します。
白釉緑彩盤もネット・オークションによく出品されるので少し触れておきます。
1990年代に新発見されたのですが、発見直後には模倣作が出回ります。製法技術や特徴が十分に研究され尽くした真贋不明な品が多かったようです。以降贋作は作り続けられますが、最近では当初のような精巧なものはなくなっように思います
これも10年ほど前の話ですが、スコータイの骨董商がチェンマイで白釉緑彩盤を30枚買った日本人がいると言ってきました。買った人は本物と信じたようですが、骨董商曰く、真作が30枚もまとまって出てくるはずがないでした。買われた30枚はその後日本へ渡ったのでしょうか………
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補修してあった瓶ですが、補修を全て剥がして参考品として入手しました。
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陶片は渋る骨董商から強引に貰って帰りました。
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皿と鉢はチェンマイ産の贋作です。静止糸切り、付け高台、窯印、窯道具による窯変、緑彩の筒書きとポイントはしっかり押さえています。
入手後すぐに友人の骨董商に見せたのですが、見るなり即贋作判定、もう少しよく観察してよと言うも、贋作は贋作とつれない返事でした。上の陶片はその後暫くしてから、これは本物だから勉強しろ、と見せてくれたのを強引に持ち帰りました。