2階はまずスコータイ古窯、サンカローク古窯の出土品です。
写真上は奇跡の着地をしたサンカロークの青磁陶人形です。窯跡(物原)からの出土品なのか、遺跡出土かの説明はありませんが、実に見事な不良品です。
次ぎに種々の陶器ですが、ほとんどサンカローク窯の製品です。
上の写真はスコータイ古窯で使われた窯道具で、多様な窯印の入った置き台です。
サンカロークと同形の矩形の置き台もあります。
下はスコータイ古窯のジオラマです。ワット プラ パーイ ルアンの環濠北に煉瓦製地上式窯が整備、覆屋され保存されています。
ラームカムヘーン国立博物館には古窯に関する解説はありませんが、翌日訪れたサワンヴォラナヨック国立博物館には調査、整備された窯は47基で35基が昇焔式窯、12基が横焔式窯となっています。
ジオラマ右上にあるのが昇焔式窯です。かっては土砂と草に覆われ、地上に一部露出した直径1m少々の小さな窯をたくさん見ましたが、昇焔式窯との説明に驚きました。
昇焔式窯の周りにもたくさんの鉄絵魚文鉢の陶片が落ちていましたが、温度管理をどのようにしていたのか気になります。
* * *
次からは寺院装飾として焼かれた陶器です。これらの生産は殆どがサンカロークのパー ヤン窯が担っています。地元の人たちはパー ヤン窯とは呼ばずにパーヤック窯と呼びます。窯跡からたくさんの寺院装飾が出土し、特にヤック(鬼神、門衛)像に敬意を表しているようです。
復元品です。
寺院の手すりです。
最後の2枚はスコータイ都市建設に用いられた土管です。
1階に展示されていた黒釉偏壷には「Lopburi Art, 12~13c.AD」という解説が付いていましたが、スコータイ都市の灌漑の説明にはやたらと「Wat Phra Phai Luang community」と言う言葉が使われています。
伽耶、任那を証拠を改竄しても無かった、若しくは共同体程度に矮小化したい某国の学者と同じ思惑なのか....ただ、困ったことには某国の学者の意見に日本の学者も恭順になるのだが....
ワット プラ パーイ ルアンの北から東北にかけて東西3~4km、南北1kmの貯水池の存在を石井米雄氏が推定されておられるが、スコータイ王朝以前の旧都市の中心がワット プラ パーイ ルアンで、人工河川、貯水池などの灌漑を基本にした都市造りをしています。
ワットマハータートの建造、3重の城壁と濠が築かれ寺院の濠への導水管として土管が用いられました。
池や濠に囲まれた寺院周辺の発掘調査で様々な大きさの土管が出土するそうです。
スコータイ遺跡から出土した磚仏です。
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