本館を出て屋外展示をまわります。
漆喰彫刻の展示室は扉が閉められており、屋外から覗き込みます。
法輪はペチャブーンのシーテープ遺跡出土です。
その下が並べられた陶製の土管です。
スコータイ古窯の複元です。横には大量の窯道具だ積上げてあります。
* * * * *
その後、整備されたスコータイ窯跡へ行きました。
大型の横焔式窯は屋根が設けてあり、解説板も立っています。
写真2枚目と3枚目の活動期間は1410年~1530年としています。
初期スコータイ窯としてリタイ王時代の1350年か~1400年に使用された窯も保存されていましたが、撮影しなかったようです(整備作業中の写真は下にあります)。
この一帯で47基の窯が整備され、35基が昇焔式、12基が横焔式となっています。
* * * * *
整備前の窯跡と2017年8月の整備中の写真です。
初期スコータイ窯の発掘当時の写真は4枚目です。
* * * * *
最後の写真は発掘現場周辺に投棄された煉瓦のほんの一部です。保存された47基の窯と書きましたが、作業現場を見れば相当数の窯が壊されたようです。
スコータイ旧都城の北、27kmにあるムアン バーン クランにあるクメール統治時代のワット ボート遺跡を再確認したかったのですが、道を間違えシーサチャナライまで行ってしまいました。
とりあえず過去に撮した写真を掲載しておきます。
漆喰彫刻の展示室は扉が閉められており、屋外から覗き込みます。
法輪はペチャブーンのシーテープ遺跡出土です。
その下が並べられた陶製の土管です。
スコータイ古窯の複元です。横には大量の窯道具だ積上げてあります。
* * * * *
その後、整備されたスコータイ窯跡へ行きました。
大型の横焔式窯は屋根が設けてあり、解説板も立っています。
写真2枚目と3枚目の活動期間は1410年~1530年としています。
初期スコータイ窯としてリタイ王時代の1350年か~1400年に使用された窯も保存されていましたが、撮影しなかったようです(整備作業中の写真は下にあります)。
この一帯で47基の窯が整備され、35基が昇焔式、12基が横焔式となっています。
* * * * *
整備前の窯跡と2017年8月の整備中の写真です。
初期スコータイ窯の発掘当時の写真は4枚目です。
* * * * *
最後の写真は発掘現場周辺に投棄された煉瓦のほんの一部です。保存された47基の窯と書きましたが、作業現場を見れば相当数の窯が壊されたようです。
* * * * *
スコータイ旧都城の北、27kmにあるムアン バーン クランにあるクメール統治時代のワット ボート遺跡を再確認したかったのですが、道を間違えシーサチャナライまで行ってしまいました。
とりあえず過去に撮した写真を掲載しておきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます