の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

東南アジア陶磁器博物館の再開館記念式典

2014年11月24日 | 博物館


写真はタイの清涼飲料水です。タイでは栄養ドリンクになります。中央の黄色いボトルは「M-150」(エム-ローイハーシップ)150ml瓶、30円で販売されています。左はタイ語で書かれていますが、ご存じ「リポビタン-D」100ml、36円、右は「M-150」と共に日本へも進出したスポーツ・ドリンク「シャーク」250ml、90円で販売されています。
いずれもタイの消費財メーカー「オソトサパー社」の製品で、先代会長スラット・オーサターヌクロ氏(1930年~2008年)が商品化しています。タイは世界一の栄養ドリンク大国と言われており、コンビニの冷蔵庫には種々多様な栄養ドリンクが並んでいます。そんな中にあって「M-150」はシェア65%を誇る売れっ子商品です。
疲労回復のため、労働者や運転手が好んで飲むそうです。カフェインが多少含まれているため眠気覚ましにもいいようです。
これは、宣伝文句をすぐに信じ、自己暗示に掛かりやすいタイ人の特質によるものだと思います。
午後3時以降は缶コーヒーを飲まないと言う人がたくさんいます。なぜなら、夜、寝られなくなるからだそうです。まず日本人には考えられない発想です。

写真はバンコク大学ランシット学舎です。
スラット氏は1962年にタイに初めての私立大学、バンコク大学を創立しました。現在の在学生は28,000人を有するマンモス大学に成長しました。

大学構内の風景です。国立大学とは違って、結構自由な学風があるようです。また、女子大生のスカート丈が、各大学と比較して一番短いので有名です。










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スラット氏は父親が明、清の染付磁器のコレクターであった影響を受け、タイの古陶器に興味を持ち蒐集を始めます。1962年に王宮前広場で初めてサワンカロークの青磁壺を入手しました。1983、84年にオムコイからメソート、ウムパンにかけてのタノン・トンチャイ山系で山岳民族がスコータイ、アユタヤ時代の墳墓遺跡から古陶磁器を発掘します。発掘品は考古学的調査もされないまま骨董市場へ流れます。氏は発掘品を精力的に収集しますが、発掘された美品の50%は日本へ流出した、と口惜しがります。
1987年にオーソトサパー社の2階に古陶磁器のミニ博物館を開設します。
2002年は2000点のコレクションをバンコク大学へ寄贈、横焔式地下窯をイメージした半地下の「東南アジア陶磁器博物館」が開設されます。
2011年にタイを襲った大洪水はバンコク大学も水没させ、半地下に設立された東南アジア博物館は3カ月間水中に没してしまいます。

2014年11月21日、3年ぶりの再開館となり、セレモニーが開催されました。

写真は再開に伴う記念講演会の案内板です。

地下に「東南アジア陶磁器博物館」があります。横焔式地下窯を意識されたようです。

博物館の前には窯が復元されています。スラット氏が積極的に発掘調査されたカロンやワンヌア地区の古窯出土品が配置されています。



ワンヌア地区出土の陶器が並べてあります。




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いきなり昼食の写真です。




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受付をしていたお嬢さんたちです。
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午後3時15分、講演会は終わり、立食パーティーとなります。










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学生によるスコータイの伝統舞踊が演じられます。










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スラット氏の写真を横に学長の挨拶です。

ドクター・パリワット氏のスラット氏と東南アジア陶磁器博物館の歴史が説明されます。

山岳民族による発掘現場です。

オムコイの発掘現場へ向う道路です。一般人の立ち入りを拒絶するような道で、調査ができないまま墳墓は掘り尽されてしまいました。

オーソトサパー社の2階に開設された博物館です。

博物館内での在りし日のスラット氏とパリワット氏です。

サンカンペーン窯の多様な贋作です。チェンマイの骨董商によって作られたあと絵です。(2015年2月16日・誤記訂正しました。)

そして、2011年の大洪水です。

改装された展示室の扉が開きます。



スコータイの鉄絵双魚文皿です。

スコータイの皿です。

スコータイ窯の碗です。

サンカローク、漢字では「宋胡録」と書かれます。
パ・ヤーン窯の鉄絵蓋付小壺です。

写真の容器で灯明を灯します。

水差しです。

白褐彩唐草文水差し。

気になった壺を2点撮影しました。



パーン窯の青磁花文皿です。

同じくパーン窯の青磁皿です。

カロン窯の製品です。





カロンの青磁花文皿です。非常に薄く作られているため完品を見ることはなかなかできません。

カロンの黄釉皿です。

ワンヌア窯の青磁皿です。

サンカーンペーン窯の魚文皿です。

初期コ・ノーイ窯のモン陶の青磁台鉢です。



コ・ノーイ窯の鉄絵皿です。見込みはナマズと鳥、回りには双魚と鳥が描かれています。







東南アジア陶磁器博物館の重要展示物の一つ、青磁騎象兵士です。弱点である象の足を兵士が守ります。青磁の発色が非常にきれいな水色です。

クメールの象形壺です。青磁の発色が傑作です。

パー・ヤン窯の天人像です。

ミャンマーの白釉緑彩鉢です。非常に大型の鉢です。

カロン窯の壺です。

中国、元の青磁皿です。

やはり元の染付です。

タイの北方窯に影響を与えた模様が如実に分る皿です。



サンカローク窯の小型青磁瓶です。

スコータイの花文皿、日輪との意見もあります。

パー・ヤン窯の鉄絵蓋付小壺です。

パー・ヤンの小壺です。褐釉の発色が良くないです。

ミャンマーの白釉緑彩鳥文皿です。
タノン・トンチャイ山脈で出土して初めて世に知られるようになりました。まだ、どこで焼かれたのかは分かっていません。
モン族が製作に携わったのだと思いますが、サンカロークでも製陶に携わったのは、高い文化を持っていたモン族だといわれています。



川フグの瓶です。

ミャンマーの青磁麒麟文皿です。他では見たことがありません。今後ミャンマーが開放され、ビルマ族以外の遺跡や窯址が調査されればどこで焼かれたのか明らかになるでしょう。







記念品の青磁皿を頂き帰路に着きます。

スラット氏は政治にも参加し、政党党首や商務大臣、運輸大臣を務めますが、70歳で政治や事業から引退し、若いころの夢であった写真撮影に時間を費やします。どこか哀愁を帯びたバンコクの下町風景を撮影した写真は有名です。

金曜日の夜のバンコクは大渋滞です。
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洪水前の2011年9月24日に訪れた写真です。再開後の展示は洪水前と全く同じでした。



難破船の積み荷を再現していますが、以前の方が散乱する陶磁器が多かったようです。







展示ケースに穴があって、展示品に触れることができます。



クメールの象形壺ですが、この時の写真が良く写っているのでアップしておきます。



売店で買った絵葉書です。





愛想の良いガードマンでした。




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その後、アユタヤの洪水状況を見に行きました。幹線道路から外れた集落はどこも冠水で孤立しています。

被害者救助のため陸軍が出動しています。

軍用車で孤立した集落へ飲料水、食料を届けます。
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洪水後の2012年7月14日に訪れた時の写真です。
柱の下部が茶色く汚れていますが、水の溜まっていた高さです。





かっての展示室です。展示品は水が押し寄せる前に避難したようです。



窯にも草が茂っています。
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2011年11月20日の写真です。
洪水で不通となったバンコクから北へ向かう道路のうち、ドン・ムアン有料道路が通行できるようになったと言うので出かけてきました。
ドン・ムアン空港です。「ドン」とは、「雨期でも冠水しない小高い土地」と言う意味で、かっての国際空港であったドン・ムアン空港は小高い土地に造られたようですが、写真の有様です。
ちなみにバンコク大学は空港の北13kmの所にあります。

手前には水没した乗用車の屋根がのぞいています。

こちらの駐機場は機体まで水が来ています。

バンコク大学の約2km南です。運河ではありません。
路地奥から表道りまで舟で人を運ぶ商売が繁盛しています。









後方の柱が水垢で汚れていますが、1m近く水が引いたようでが、まだ大人の腰辺りまでは冠水しています。



水に浸かっているバンコク大学です。門は閉ざされています。


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