の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ウボン・ラーチャターニーのろうそく祭り(2)

2014年09月17日 | ウボン・ラーチャターニー
■「ワン・アーサーンハ・ブチャー」です。朝から「チョーン・メック」、「コーン・チアム」、「パー・テーム」とタイの東端部を回ってきました。
「チョーン・メック」のラオスとの国境ゲートです。



前回の訪問時は国境に簡単な柵しかなく、自由に往来できたのですが、この時は入出国のチェックがあり、タイ人も書類提出をしています。

「コーン・チアム」です。「メコン川」の上流を見ています。この下流でメコン川とイサーンを横断して流れてくるムーン川が合流します。合流点は二色川と呼ばれ、メコン川の黄土色の水とムーン川の澄んだ水が混ざり合わずに流れていきます。
写真はスコールの区域がはっきりと分かります。

「パー・テーム」手前にある巨大キノコ状の奇岩「サオ・チャリエン」です。



「パー・テーム」の断崖からメコン川を望みます。


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午後4時13分、ウボン・ラーチャターニーの市街へ通じる道路まで戻ってきました。
ろうそく祭りの会場「トゥン・シー・ムアン公園」へ向かう山車で道路は渋滞中です。










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午後5時53分、ホテルに車を置きトゥン・シー・ムアン公園の外周道路にやって来ました。
ロウソク山車が集まっています。



道路ですれ違った山車も到着しています。



















トゥン・シー・ムアン公園のモニュメントは巨大ロウソクです。

スコールが襲ってきました。商店の軒下で雨宿りです。

















「ワット・トゥン・シー・ムアン」の山車です。





山車作りに携わっていたメンバーも近くに陣取り見守っています。

























こちらは珍しい、魚をテーマにした蝋細工です。鯉の滝登りではありません。

午後11時53分、ホテルへ戻ります。

カオ・プラ・ヴィーハン

2014年09月16日 | シーサケット

ウボン・ラーチャターニーの夜明けです。
早朝に「ワット・トゥン・シー・ムアン」のロウソク山車作りを見てから125km離れたタイとカンボジアの国境線上にある「カオ・プラ・ヴィハーン遺跡」(カンボジア名「プレア・ビヒア」)へ行きます。

「カオ・プラ・ヴィハーン遺跡」はタイとカンボジアを隔てるダンレック山脈の、海抜657m、高さ447mの断崖上に建ち、11世紀から12世紀に渡り増改築を繰り返されたクメール遺跡です。



山頂付近は「カオ・プラ・ヴィハーン国立公園」になっています。タイ側の断崖は「パー・モー・イ・デーン」と呼ばれています。

「パー・モー・イ・デーン」の断崖です。この断崖の延長線上に「カオ・プラ・ヴィハーン遺跡」があり、第二次世界大戦中からタイが占有していましたが、領有を主張するカンボジアとの間で国境紛争を繰り返していました。
1962年に国際司法裁判所はカンボジアの領有を認めました。タイは国境画定時のカンボジアの宗主国フランスとの条約でダンレック山脈の分水嶺を国境と定め、かつ実効支配下にあって楽観視をしていたようです。
タイは判決を拒否するるも、カオ・プラ・ヴィハーンから撤退します。

断崖の上から見るカンボジアの平原です。

断崖を下りる階段が設けられています。

階段の先の岩壁に3体の神像が彫られています。中央が男性で左右は女性になっています。

その横には中国人の落書きです。

「パー・モー・イ・デーン」から見る「カオ・プラ・ヴィハーン遺跡」です。

タイ軍の塹壕です。

「カオ・プラ・ヴィハーン」へ通じる道路です。

道路が終わり岩盤の上をしばらく進むと小川が流れています。
小川に架かった橋の上に門があり国境となっています。
2008年7月にカンボジアが単独で申請したユネスコ世界遺産に登録されます。前後してカンボジアは周辺の守備軍を増強、10月には交戦に入り、死傷者がでます。またカンボジアから発射された多数のロケット弾はタイ側の麓の学校や寺院、民家に着弾します。
以来、国境は閉じられたままです。
断崖に建つ「カオ・プラ・ヴィーハン遺跡」へ通じる道はここしかありません。タイからしか訪れることができないカンボジアの遺跡です。
カンボジアは自国から行ける道路を急遽造ったようです。



「カオ・プラ・ヴィハーン」(カンボジア名「プレア・ビヒア」)の入り口です。パスポート、ビザは不要で入国料50バーツを支払うだけです。
1992年にパリ和平協定でカンボジア内戦が終結、遺跡が一般公開されますが、翌年にはポル・ポト派が遺跡を占拠します。
1998年、ポル・ポト派の投降によって遺跡を公開。2001年、カンボジアからの不法入国が絶えず、対抗処置としてタイ側が3カ月間ゲートを封鎖。2005年にも封鎖、解除が繰り返されて後、2008年の世界遺産登録に対するタイの反対運動以降に両国がゲートを閉ざしたままです。

山道です。崩れた急な階段を登って行きます。
階段は幅8m、75.5mで62段あります。ここから主祠堂までは約800m、高低差で120mほどを進みます。

参道入り口の獅子像です。





第一楼門です。カンボジアの国旗が翻ります。





第一楼門から振り返りナーガのテラス(又は橋)を望みます。ナーガは真北の方角を見ています。
幅7m、長さ31.8mのテラスです。









参道脇にはポル・ポト派の地雷が埋められたままです。
何年もかかって日本のNGOが地雷を撤去しましたが、2008年にカンボジアはタイとの国境紛争で新たに地雷を埋設したようです。
かってはこの近くに墜落した軍用ヘリコプターが横たわっていたのですが、撤去されています。

第一楼門と第二楼門を結ぶ参道が一番長く、幅11m、長さ275mで山の勾配に沿った緩やかな登り道となっています。
左右の石柱は2.15m間隔で立っていました。

第二楼門手前にあるバライです。

バライの前に建つ獅子像です。もとはたくさん並んでいたそうですが、ほとんどが盗難にあったようです。



第二楼門です。



振り返って見る第一楼門です。





入口の向うに見える破風に角穴が彫ってあります。木製の梁が通してあった跡です。屋根は瓦で葺かれていたようです。材木は朽ちて石造部分が残るだけです。



破風の大蛇と闘うクリシュナ神です。



破風の彫刻は乳海撹拌です。

その下のまぐさ石は、大蛇アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神です。

振り返って見た第二楼門です。





第三楼門へ進みます。

第三楼門です。



クリシュナ神です。





シヴァ神とウマーです。

第三楼門の南側破風に彫られた、ナンディンに乗るシヴァ神とウマーです。

第四楼門です。


第四楼門は入口付近の崩壊が激しく、通過できません。左の絶壁側へ迂回をします。

内戦時代に、この地に立てこもったポル・ポト派の中国製大砲です。以前の砲身はカンボジアの平原を向いて砲弾も置いていましたが、現在はタイ側を向いています。



タイ領です。



カンボジア軍の塹壕です。駐屯しています。







少女は第一楼門を過ぎたところで土産物を売っていた少女です。買うのを断るといつまでも一緒に歩いてきます。
下山の時にチップをあげようと思っていたのに、途中で姉に食事だと呼ばれて消えてしまいました。

崩れて地中に埋まってしまった破風です。

主祠堂です。

主祠堂の内部です。



主祠堂を囲む回廊です。



回廊内部です。保存状態は良好です。

祠堂の先は約547mの断崖となってカンボジアの平原を一望できます。















内戦時の弾痕がたくさん残っています。2008年の銃撃戦でも新たな弾痕が出来たことでしょう。

窪みの奥には弾丸がめり込んでいます。
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「カオ・プラ・ヴィーハン」へ行く山道の手前を南へ数キロのところにある「プラサート・ドゥ・トラーン」です。
砂岩の柱に1002年建立を示す碑文が残っています。


■訪問したのは2006年7月9日。アーサーンハ・ブチャーの前日で、シー・サケット、ウボン・ラーチャターニーと泊まった第3日目になります。

ウボン・ラーチャターニーのろうそく祭り(1)

2014年09月15日 | ウボン・ラーチャターニー
■ろうそく祭りといえばやはりウボン・ラーチャターニーが一番有名です。参加区域の山車の数、大きさ、蜜蝋細工の緻密さは他の地域とは群を抜いています。少し古い写真ですがウボン・ラーチャターニーのろうそく祭りを紹介します。

ろうそく祭りの会場となる「トゥン・シー・ムアン公園」近くの「クルン・トーン・ホテル」にチェック・イン、ムアン通りの古刹「ワット・トゥン・シー・ムアン」へ蜜蝋細工の山車作りを見に行きます。








手前の容器に入ったゼリー状の物を型に置き、右手のガラス瓶で押し付け成形します。

押し付け後に型から取り出します。右側の盆に置かれているのが脱型した表面を飾るパーツです。



成形品はしばらく置くと固化します。みんなで手分けして不要部分を切り取ります。

ロウの装飾作りのお手伝いです。外周の不要部を切り外していきます。



山車先端部の像の頭部を作成中です。
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経蔵の背景に変わった雲が出来ています。



経蔵の内部です。
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■翌朝、進捗状況を見に、再度「ワット・トゥン・シー・ムアン」を訪れます。
池に建つ経蔵です。

6層屋根の美しい経蔵です。

本堂です。

本堂内です。

本堂に描かれた壁画です。

少しモダンな形をした鐘楼です。

広い境内を歩いて作業現場に到着です。

昨日は組み込まれていなかった頭部が出来上がっています。







透かし彫りになった状態を山車全面に貼って行きます。相当な枚数を作らないといけません。

透かし彫りを作る応援が増えています。

ネンも頑張ります。








ロウソク奉納(スリンの田舎にて)

2014年09月13日 | スリン
■「アーサーンハ・ブーチャー」(三宝節)にスリンの東方、「シー・コラ・プーム」近くの小さな集落を訪れました。バンコクから486kmの距離に「シー・コラ・プーム」の町はあり、国道2371号線を暫く南下して左折、「シーサケット」方面にむかったところです。夕方から寺院へ参拝、ロウソクを奉納するのに立ち合いました。
午後3時45分に「シー・コラ・プーム」に到着です。市場で買い物をしてから行きます。



海水魚です。海から600km離れた内陸部まで運ばれています。タイの物流は優秀です。



淡水魚のなれずしです。

こちらも淡水魚を漬けて発酵させています。



白く盛られているのはキノコです。
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午後4時18分になりました。市場近くの「プラサート・シー・コラ・プーム」に立ち寄ります。ラテライトの基壇上に5基の祠塔が建つ、12世紀のクメール遺跡です。

中央祠塔です。

中央祠塔のまぐさ石です。中央は聖鳥ハンサに乗る10本腕のシヴァ神、下には左からシヴァ神の妻で、人の頭を串刺しにして持つドゥルーガ神、ヒンドゥーの三大神、4本腕のヴィシュヌ神、同じく三大神で四面四臂のブラフマー神、そしてシヴァ神の息子、象の頭で4本腕の富と知恵の神、ガネーシャ神が並んでいます。

中央祠塔入口の柱の下には、正面向きに女神像。

女神像の横面には門衛が彫られています。
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午後5時10分、村人たちが集まってきました。

寺院に奉納するロウソクです。

子供たちが持っているのは打ち上げ花火(バン・フャイ)です。

打上げ花火は、行列を先回りして打ち上げていきます。











村はずれにある祠です。

粗く削られた木片が三体あります。仏陀ではありません、神霊崇拝の偶像でしょうか・・・。お供えもあります。

子供が多い村です。みんな元気があります。





楽団と共に踊りながら行きます。



お寺の手前で勢揃いして、踊りながら寺院へ入って行きます。







僧侶が堂内に着座します。



奉納の行列はお堂の回りを三周します。









別のグループもやって来ました。

やはり、お堂を3周します。



読経の後、僧侶の先導で灯したロウソクを手にお堂を三周します。「ヴィアン・ティアン」です。









燃え残ったロウソク、線香は、境内の木の根元に花と一緒に供えて帰宅します。
翌日は近くにあるクメール遺跡「プラサート・プラーン・クー」に立ち寄ってから「ウポン・ラーチャターニー」のろうそく祭りを見に行きました。

ろうそく祭り(チャイヤプーム)4

2014年09月12日 | チャイヤプーム
■「ろうそく祭り」のパレードです。各地域、学校、組織が工夫を凝らしています。




















冷水のサービスもあります。

































































































地元チャイヤプーム大学による麻薬撲滅や地球環境保護等の社会問題啓発のパレードを最後に午前11時20分に全てのグループが市役所前から去って行きました。

行商の女性も引揚げます。売れゆきは、あまり良くなかったようです。

見物の人たちも帰路に着きます。
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「ディー・プロム・ホテル」に戻り休憩、チェック・アウトし帰路につきます。



午前11時30分にスタート、バンコクまで約350kmです。
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国道2号線「パック・チョーン」付近では「ノーイナー」(シャカトウ)、トウモロコシが売られています。



昼食代わりにトウモロコシを買います。一本15円です。