の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ニヤック・ポアン(1)

2015年08月24日 | カンボジア

12世紀末にジャヤヴァルマン7世により、東バライの北に北バライ「ジャヤ・タターカ(ジャヤヴァルマン王の池)」が建設されます。
東西3.5km、南北1kmの人造湖の中心部に「ニヤック・ポアン(絡み合うヘビ)」は浮島のように建造されました。

ニヤック・ポアンは一辺が70mの正方形の池と四方に一辺が27mの小池が配置されています。大池の中心には蓮華座の円形基壇に祠塔堂が建ち、小池との間には正面が小池を向いた祠があります。



祠には東西南北にそれぞれ違う大きな彫像が据えられて、大池の水を小池に流す樋口となっています。
入ってきた北側には象の頭が大きな口を開けて水を流すようになっています。

大池です。干上がったい大池に仏像の台座が置かれています。

祠塔堂の基壇に2匹のナーガが巻きつき尾を絡め合っています。「絡み合うヘビ」と名前の由来です。


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東の祠へ歩いてきました。









東の樋口は人の顔です。







南の祠から祠塔堂を眺めます。
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南の祠はシンハです。彼女の母親はここで働いており、仕事が終わるのを待っています。






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彫像は涅槃図です。

西は馬の頭です。(ニヤック・ポアンを紹介している本は西がシンハ、南が牛となっているのもあります。)







仏陀座像が削られています。削られリンガに改造された仏陀坐像もあります。


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次回は池に下りて祠塔堂を紹介します。

東メボン

2015年08月22日 | カンボジア
東バライの中心に、大海に浮かぶように建造された、3層基壇の上に5基の煉瓦造りの祠堂が建つピラミッド型のヒンドゥー寺院です。

東バライはアンコールに初めての都城「ヤショダプラ」を造営した第4代国王ヤショヴァルマン1世(在位:889年~910年頃)によって890年に完成した、東西7km、南北2kmの貯水池です。
巨大な人造湖の中心部に第9代国王ラージェンドラヴァルマン1世(在位:944年~969年)は、952年に国王の先祖の霊を弔うためにヒンドゥー寺院を建立しました。

東バライは完成後、200年余りで涸れてしまいます。現在は干上がった東バライ跡にブリアダック村という大きな集落があります。

二重周壁に囲まれ、内壁を兼ねた一辺120mの基壇の四隅には巨大な象の彫像が四方を睨んでいます。西門から基壇を上っていきます。



基壇を上る階段を守る獅子像です。建造時は獅子が眺める先に広大な人造湖がありました。







各層の階段両側に立つ獅子像です。かっては貯水池を見ていました。



最上段の5基の祠堂です。





神象アイラーヴァタに乗るインドラ神です。祠堂の煉瓦は風化していますが、砂岩で造られたまぐさ石の彫刻はきれいに残っています。





















煉瓦の表面にあけられた小穴は仕上げの漆喰のつきを良くするためです。


















東側へ下りてきました。





東門から出ます。

タ・プローム(4)

2015年08月21日 | カンボジア
東楼門までやって来ました。和文解説板に書かれていたように、寺院の正門になります。

祠堂には装飾として偽扉が付けられていますが、この偽扉は回廊に設けられています。

ここにも大きく成長したスポアン(榕樹)が屋蓋から根を垂らしています。





回廊の小部屋に打ち捨てられ壊れた仏陀像が集められています。

線彫りだけで終わったバラモン像です。

東回廊門の横に設けられた門の壁に彫られた彫刻です。上段の台座の上は仏陀像が彫られていたのでしょうか、削り取られて空白になっています。



門柱前にあった石材です。並んだ石がずれないようにホゾが入っています。神像が安置された台座だったのでしょうか。

東楼門です。













鬱蒼と茂る巨木に太陽光を遮られた遺構は、苔に覆われて伽藍に施された彫刻の風化が促進されています。また、あちこちで寺院を崩壊しながら成長する榕樹には、改めて熱帯樹木の脅威を認識させられました。

やっと寺院の東門までやって来ました。

女神がずいぶん傾斜しています。





壁に羽の一部が残っています。ガルーダの一部で、身体部分の彫刻は持ち去られ、別の石を積み重ねただけです。

東門へ出てきました。正規の入り口になります。西門と同じ観世音菩薩四面尊顔の塔門だったはずですが、頂部は崩れ去っています。


タ・プローム(3)

2015年08月20日 | カンボジア
歴代クメール王はヒンドゥー教により「神々の王」、現人神と崇められ国を統治してきました。しかし、王の即位式を取り仕切る王師でバラモンも国王と拮抗する力を持っていました。ジャヤバルマン7世は、王宮内で暗躍するバラモンの勢力を一掃するため大乗仏教に改宗します。宗教改革です。
王位について5年後に建立した寺院に5,000人以上の僧侶が起居しました。扶南からドヴァラヴァティーへと続く仏教が、クメール王国でもヒンドゥー教と平和裏に共存していました。











榕樹の根が、大蛇がまとわり付くように回廊の屋蓋を崩しています。





記念写真を撮っている太ったインド人女性と比べるとこの大きさがよく分かります。










タ・プロームの女神

2015年08月18日 | カンボジア
中央祠堂を囲む壁面にはたくさんの女神です。祠堂の左にも絞め殺しの木です。



ここにも絞め殺しの木が絡みついています。



女神にも絡みついています。

左に見えた木です。宿主は枯れているようです。







塔の上にも女神です。









女神たちを集めてみました。