の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

タ・プローム(2)

2015年08月17日 | カンボジア
タ・プロームのデヴァターは眉と目がつりあがったキツネ目が多いようです。それぞれの寺院で特徴があります。







崩れた石材で通り抜け困難な楼門がたくさんあります。

観世音菩薩(?)立像が彫られたまぐさ石です。コケに覆われて緑色をしています。

祠堂も繁った樹木で日陰が多くコケに覆われています。









「絞殺しの木」ガジュマルです。鳥などによって運ばれた種子が宿主の木で発芽し、宿主にまとわりつくように根(気根)を伸ばし、幹、枝は宿主を覆い、宿主を絞殺したように枯らしてしまいます。





増築された伽藍といたるところで崩れた石材に通路を塞がれて、まるで迷路を進むようです。









































この回廊も巨木になったスポアン(榕樹)で圧し潰されようとしています。




タ・プローム(1)

2015年08月16日 | カンボジア

「タ・プローム」は1181年王位についたジャヤヴァルマン7世が最初に建立した寺院です。母の菩提を弔うために、東西1,000m、南北600mの外壁をもつ広大な敷地に、三重回廊、中央に9基の祠堂、周囲にもたくさんの小祠堂を規則正しく配置した寺院です。
大乗仏教僧院として創建された後も増築が続けらて、敷地内は迷路のようになっています。
往時は5,000人を超える僧侶、615人の踊り子など12,640人が住み、周辺の村々に住む79,365人が寺院維持のため奉仕していたといわれています。
(「アンコール・ワットへの道」石澤良昭著を参照しました。)

西塔門から入ります。アンコール・トムと同じ観世音菩薩の四面塔門です。崩壊が進み危険状態になった門は通行を禁止されています。



日本語の解説板が立っていました。

鬱蒼と茂った樹木の間を進みます。



西門までの参道わきの伽藍は崩れ、石材の山です。

西門周辺は修復中です。



巨木に成長したスポアン(榕樹・ガジュマルの一種)がいたる所で壁や建物に根を下ろし、積石にくさびを打ち込んだように根を張っています。
熱帯の樹木は成長が早いわりには、地面に十分な根を張っていないので、豪雨や少し強い風で簡単に倒れてしまいます。根に絡められた建物、倒れた木が覆いかぶさり崩れる建物と貴重な遺跡の破壊が進行しています。
観光資源として巨木の絡んだまま放置しているのであれば、方針を改めて、貴重な遺跡がこれ以上崩壊しないように保護を優先するべきでしょう。



タ・プロームの未倒壊の壁や柱にたくさんの女神が残ります。
大乗仏教寺院として建造されましたが、後にヒンドゥー寺院に改宗され、仏像などの仏教彫刻は削り取られています。

この楼門の屋根に生えた榕樹が倒れるときは、建物も一緒に倒れることでしょう。



回廊が倒壊しています。

回廊内壁には仏陀が彫られていたようです。ジャヤヴァルマン7世亡き後に削り取られました。
















プレ・ループ

2015年08月15日 | カンボジア
バンテアイ・スレイとアンコール旧都を結ぶ道路は、枯渇した東バライにできたブリアダック村を通り、大貯水池跡中央部で南へ向かいます。しばらく進んだ曲がり角に建つヒンドゥー寺院「プレ・ループ」です。

東西7km、南北2kmの大貯水池、東バライの南に961年、第9代国王ラージェンドラヴァルマン1世(在位:944年~969年)が建立しました。
ラージェンドラヴァルマン1世は、944年に新都城を造営しプレ・ループを中心寺院としました。

周辺にはプリアダック村という大きな集落があります。木陰で昼食するのは村人でしょうか。

2重周壁で四方に楼門を備え、一辺120mの方形3層基壇を須弥山に模したピラミッド型寺院です。
最上段に煉瓦造りの中央祠堂とそれを取り囲む4基の祠堂、基壇の前にも6基の煉瓦造りの祠堂が並ぶ巨大寺院です。
煉瓦を用いて建造された、最後の巨大寺院です。





基壇前の石槽は死者を荼毘に付した火葬場だと考えられています。

火葬の後、灰を流した場所だといわれています。



基壇各層にはシンハが下界を睨みます。

基壇上から寺院正面の東を望みます。

煉瓦を積み上げた主祠堂です。

祠堂の動きの少ない女神像は表面の漆喰が剥がれ、表情が分からなくなっています。


バンテアイ・スレイのクメール人

2015年08月14日 | カンボジア
午前9時24分にバンテアイ・スレイに到着し、2時間15分の滞在でした。小さな寺院ですが、楼門や壁の彫刻をゆっくり見ていると時間が経つのが早すぎます。
この少女は、来たときに東参道の遺跡の窓に腰かけていたのですが、帰るときも同じ所に腰かけていました。









少女の母親はバンテアイ・スレイで働いています。母親の仕事が終わるのを待っています。

少女の母親です。バンテアイ・スレイで遺跡の監視をしています。
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木陰でクメールの伝統音楽を演奏しているグループの所へ来ました。
演奏しながら生活費を稼いでいるのですが、団体旅行が多く、遺跡からずいぶん離れているために近寄る人は見かけません。



この人は草笛です。哀愁を帯びた音色を発しています。







戦争で右手を失ったのでしょうか、左手だけの縦笛です。


彼らのCD販売に協力をしました。
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シェムリアップへ向かう道端でヤシ砂糖を売っていました。車を停めて寄ってみることにします。

右に置かれているのがサトウヤシの実です。高く積まれているのが、ヤシの葉で包まれたヤシ砂糖です。

サトウヤシの花序から採取した樹液を煮詰めて水分を飛ばし、砂糖を作ります。後ろの木にぶら下げられている、竹筒に樹液を採取します。








「女の砦」バンテアイ・スレイ(4)

2015年08月13日 | カンボジア
南北に3基の祠堂が並ぶ基壇の西へ周ってきました。中央祠堂の扉横の彫像は門衛です。



南祠堂です。



破風はお手軽に石を積んだようです。絵柄が連続していません。



マルローが盗み出したデヴァターです。フランス人が言い出したのでしょうか、「東洋のモナリザ」と安直な呼ばれ方をしています。

アンコール遺跡には持ち出し困難な優美な壁面彫刻はたくさん残っていますが、丸彫りされた石像はほとんど目にすることはありません。プノンペン国立博物館には12000点以上のクメール美術品の彫像などの優品を所蔵しています。シェムリアップのアンコール遺跡保管事務所にはその数倍の文化財が保管されています。
カンボジアを植民地にしたフランスにはさらに多くの彫像や文化財が運び去られ、高額で売買されていたようです。マルローが遠くカンボジアまで盗掘旅行を思いついた背景です。

かってはバンテアイ・スレイの祠堂の屋蓋部には神像や天女、門衛たちの立像で装飾されていたそうですが、現在は一体も見ることができません。

このデヴァターもマルローが盗み出したものです。





屋蓋に彫られている神像です。

中央祠堂の門衛です。
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半人半獅子のナラシンハが祠堂を守ります。複製が安置されていますが、実物はプノンペン国立博物館に展示されているそうです。



以前は頭のないナラシンハが置かれていましたが、新しいナラシンハは石材表面が白く、周りの景観から浮いています。何年かすれば古色を帯び、なじんだ景色になるでしょう。

ハヌマーンの彫像です。
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南経蔵です。

南経蔵を東正面から見ます。



破風はカイラーサ山を揺るがす魔王ラーヴァナです。

破風上部はシヴァ神とウマーです。

魔王ラーヴァナです。





東側から南祠堂を見ます。





中央祠堂の破風彫刻です。