懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

映画「スパイ・ゾルゲ」と篠田正浩監督

2008-03-03 00:41:43 | Weblog
篠田監督はおおらかで、女性に心の広い愛を持っていて、そのことにたまに感心している。

「スパイ・ゾルゲ」にも、この監督の女性観が反映され、微笑ましいものがあった。

本当は、村上隆の言うような、異邦人の計り知れない孤独が、この祖国の危機を救う情報を命がけで手に入れるスパイにはあったはず。ゾルゲが女性を引き付けるのは、彼が良い男だったからといえば、そうも言える。

けれど本当は、彼が、ブラックホールのような特大の孤独を抱えた男だったからこそ、そのブラックホールが女性たちを惹きつけたのだ、と思う。

篠田監督の映画はおおらかで、その辺の理解は見る側で補足しないと、映画だけでは、そういう面はあまり判らない。

製作側の苦労は多々あろうが、この映画は、一般的にいえば、大成功とは言いがたい。映画に疾走感のひとつもない。けれど、この映画を見てほのぼのするのは、ひとえに、おおらかな篠田監督の、人徳、徳性によるものと思っている。

映画では、ゾルゲは、祖国に置いてきた妻に愛され、インテリ女性とも大人のお付き合いがあって、スパイ先の、ドイツ軍の偉いさんの妻とも関係する。このドイツ軍人はゾルゲと男の友情の関係。しかも、奥さんに飽きていて、夫婦生活が苦痛なため、日本の常識とは違った反応をする。

二人の婚外男女関係を知ったダンナは、ゾルゲが奥さんの相手をしてくれたおかげで、「妻の機嫌が良くなり、感謝している」とかなんとかゾルゲに言って、男の友情は破綻どころかむしろ強まるのだった・・・。これは、映画らしく人を喰った展開で、ぬっとぼけかたが、なかなか良かった。(何割かの夫婦は、案外そんな風に思ってるものなんだろうか????)

葉月リオナの演じたゾルゲの「日本の女友達」は、実在の人物は、めっちゃいい女だったと思う。葉月が演じて、「だいなし」だったが、監督が使いたかったのだから、それに免じて想像力で補って見た。

彼女はカフェで働く普通の女性で、インテリではないが、ゾルゲの孤独をしばし癒す。「私、友達がいません」。素朴なスパイの心情吐露。
「じゃあ、私が友達になってあげる」女の子の一言で、二人は結びつく。

映画はまろやかで、この二人の関係性も友人関係か男女関係か、明示はないし、私は史実を知らない。私は、男女関係だと思っているが。

複数の女性と関わる、ゾルゲという男が、いつも女性への尊敬心のある、魅力的な男に映っている。ひとりひとりときちんと向き合える男性に見える。篠田監督の女性観の投影もあろうが、ブラックホールを抱えたこのスパイは、出会ったそれぞれの女性の前で、愛を得るに足る魅力を湛えた男性だったのだろうと思う。

換言すれば、「特大のブラックホールを胸に抱えている」男というのが、そもそも、展開によっては、魅力的とも言えるか。欠落は愛を産む。

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